#5 梅崎春生 『春の月』 ~月に化かされた~

 「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

回目。一足早い春月夜をお届けします。

ちくま日本文学全集 044 梅崎春生
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#5 梅崎春生 『春の月』 ~月に化かされた~

梅崎春生(1915~1965)は、第二次大戦後まもなくして文壇に登場した、いわゆる「戦後派」作家の一人です。直木賞を受賞した『ボロ家の春秋』(1954年)が有名ですが、今回ご紹介する『春の月』という短編(中編か)小説は、それより遡る1952年の作です。

梅崎の小説は、庶民的な題材を平易なタッチで描く中にも、油断しているといきなり心をえぐるような直球をぶつけてきます。ぼけっと気楽に読んでいる最中に、ふと深く考え込んでしまう自分がいて、それがとても新鮮な印象として残るのです。

出典:『ちくま日本文学全集 梅崎春生』筑摩書房(1992年第1刷)

 

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『春の月』は、東京下町かどこかを舞台に繰り広げられるホームコメディ的な作品です。梅崎文学の多くの作品に共通する庶民的な親しみ易さの他に、とりわけ本作品が放つ異彩ともいうべき特徴があります。それは、複数の登場人物ごとに、視点が次から次へと切り替わるという語りのスタイルです。

物語には10人くらいの老若男女が順番に登場するのですが、最初は、須貝という都庁勤務の貧乏青年の視点からスタートし、須貝君にまつわるドタバタ劇が一通り展開すると、やがて彼の恋人・谷川魚子とのキスシーンに入ります。

二人が唇を重ね合わせた瞬間、それまで須貝目線で進行していた物語が一転して魚子の視点にバチっと切り替わり、キスをした後の魚子の本音が明かされます。

「このひとの口は、今日は鶉(うずら)豆のにおいがするわ」(・・・)谷川魚子は無感動にそんなことを考えていました。眼は見開いたままです。 

(p. 150、下線部分は原典ルビ)

倦怠期カップルだったのですね。ですます調のあけっぴろげな感じの描写が地味に笑えます。

さて、二人のやり取りからほどなくして、一台の車が彼らの傍を走り過ぎます。すると今度は、その車に乗っている男(牧山)に視点が切り替わり、須貝&魚子のシーンは瞬時に幕を引き、牧山のストーリーにバトンタッチされ、車内での会話が始まるのです。

このようにして、物語は同じ舞台・時間を共有しながらも、人物の視点がめまぐるしくシフトし、十人十色の人間模様が主観的に映し出されてゆきます。あたかも月の様相が、時間や天候あるいはその時の気分によって見え方が変わるがごとし、です。

先ほどの須貝・魚子カップルのように、登場人物間で面識がある場合もありますが、そうでない場合もあります。

基本的に一度舞台からはけた人物が再び視点の主として登場することはないのですが、先ほどの須貝君などは後の5人目あたりの登場人物のストーリーにちょい役として姿を現します。「須貝」とは明記されていないので、想像をかきたてられて面白いのです。

『春の月』のにぎやかな群像劇の最後の登場人物が舞台を退くと、物語は急激にトーンダウンし、静かで侘しい雰囲気に包まれます。

「空には大きな春の月が出ています。盛り場の塵埃を通すせいか、赤黒く濁って、汚れた血のようです。まだすこし欠けているようですが、もう満月になるのも、明日か明後日のことでしょう。あとはただ、夜風が吹いているだけです。」

 (p. 230)

登場人物たちの喜怒哀楽に満ちた人生の活気をあえてぶち壊す、このラストの情景描写に、ふと我に返るような奇妙な感覚を抱きます。それまで見てきた作中の他人事の人生の連鎖が、ここへきて僕自身にバトンタッチされたような……そんな気さえするのです。

春の月に、化かされたのかな? 梅崎春生の小説は、時折このような不思議な感覚を読み手に委ねてくるのです。それもきわめて唐突に――これがまたクセになるのです。

ぜひぜひ、読んでみてください。

 

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