#29 中島敦 『山月記』 ~一流ノ代償~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

29回目。芸術に限らずあらゆる分野で「一流の作」を残すことの、ある種の極致が描かれている。そんな風に思わせられる作品です。

 


李陵・山月記 (新潮文庫)

 

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#29 中島敦 『山月記』 ~一流の代償~

中島敦(1909~1942)の代表作『山月記』は、「人虎伝」という中国の古典を下敷きに創作された短編小説です。現代の小説と比べて難しい漢字や熟語が多くて読みづらいかもしれませんが、簡潔、強烈なメッセージ性を持つ名作です。

原典のタイトル通り人が虎になるという話で、虎の姿とその獰猛性が、人間の内面で肥大した「自尊心」や「羞恥心」の表象として描かれています。そのような感情とどう向き合えばいいのかという疑問をふまえて、ご紹介してみたいと思います。

出典:中島敦 『李陵・山月記』 新潮文庫、平成20年第74刷

 

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若きエリート官吏の主人公・李徴は、詩人になる夢を叶えるため一度は仕事を辞めたものの、名は売れず生活は苦しくなり再就職。その時はもう、以前の同僚たちは彼よりも遥かに出世していました。

夢破れ、かつて自分が見下していた人間のもとで働かなくてはならない屈辱に、エリートとしての李徴の自尊心は深く傷つきました。彼は発狂し、その姿は「人喰虎」へと変貌してしまったのです。

虎となった李徴はかつての友人と出会い、草むら越しに己の思いを語ります。

自分は元来詩人として名を成す積りでいた。(・・・)曾て作るところの詩数百篇、(・・・)自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

(p. 13-14)

猛獣に成り果てた今でも、李徴は高名な詩人になる夢を諦めきれず、自分の作品を友人に口述筆記させるのです。その執念はまさに獲物を執拗に狙う虎の姿勢に重なります。しかし、李徴の詩について友人は、一流の作として今一歩及ばないと感じるのです。

おそらくは李徴自身、そう感じていたのでしょう。今度は自嘲気味に本心をさらけ出し、即興で自分の気持ちをありのまま詩にすると、それは聞く人々の心に「粛然として」響いたのです(p. 15)。

恥も外聞もかなぐり捨てた瞬間に、李徴は一流の詩人になれた、と解釈できるわけですが、彼がそこにたどり着くまでには、やはり凡庸なプライドや羞恥心を自分の内部に増幅させる過程を避けて通ることはできなかったと思うのです。

誰かに認めてほしい、有名になりたい、そういった欲望を抱き続けるからこそ見えてくる世界がある。それが唯一の道ではないにしても、一流の仕事を完成させるために人は虎になってしまうこともあるのだとしたら、その代償の大きさはいかばかりでしょう。

この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。(・・・)天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。

(p. 17)

李徴は、虎になった自分がふと口ずさんだ即興詩が彼の生涯の最高傑作であることに気付いていたのでしょうか。もしそうだとしたら、この台詞は、さらなる悲しみを重ねて友人の胸を打ったのだろうと思うのです。

今回はこれまでにします。中島敦『山月記』、ぜひとも読んでみてください。

ではでは。

 

 

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