#8 小川未明 『負傷した線路と月』 ~辛イノハ、君ダケジャナイ~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

前回と同じく、今回(8回目)も地元新潟の作品をお届けします。ブンガクの地産地消です 。

 


小川未明童話集 (ハルキ文庫 お 16-1)

 

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#8 小川未明 『負傷した線路と月』 ~辛イノハ、君ダケジャナイ~

新潟県(現・上越市)に生まれた小川未明(1882~1961)は、日本のアンデルセンと称される童話作家です。未明は「みめい」と読むのが一般的のようですが、本来は「びめい」が正しい読み方となります(この筆名を授けたのは文学者・坪内逍遥です)。その名を冠した「小川未明文学賞」は、児童文学の新人作家の登竜門として広く知られています。過去に僕も童話めいた怪しい代物を書き送ったことがあります。結果は、言わずもがなです。

出典:『小川未明童話集』ハルキ文庫、2013年第一刷

 

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今回ご紹介する未明の童話 『負傷した線路と月』 は、機関車の通り道であるレールが主人公(のひとり)です。ある日レールは、重い荷物を載せた機関車が通った時に、からだを傷つけられてしまいます。

レールは、痛みに堪えられませんでした。そして泣いていました。自分ほど、不運なものがあるだろうか。

(p. 148)

そう嘆くレールですが、もとより人生、山あり谷ありです。どこまでも続く長い道のりの、ほんの一部分に傷がついた程度のことで己の不運を恨むレールは、はたから見れば弱っちい奴だと思われるかもしれません。

しかし普段のレールは、どんなに過酷な条件下でも文句ひとつ言わない働き者なのだということも読み取れます。ストレスを溜め込みがちな彼だからこそ、それ自体はほんの些細なことが引き金となって、ある日とつぜん鬱積した気持ちをどっさり吐き出してしまうわけです。

辛い時は、声に出して泣けばいいのです。じっと黙って耐え続けるばかりでは、ほとんどの人は気づいてもくれません。自分のためにも、周りのためにも、涙はきちんと流した方が良いこともあるのです。

と、レールが考えたかどうかはともかく、彼は近くに咲く、通りがかった夕立の、そして夜空のにむかって逐一自分の不遇を打ち明け、なぐさめてもらいます。さらには、自分を傷つけて黙って通り過ぎて行った機関車が今どこにいるのか、月に探してもらうことになるのですが……これは流石にちょっと甘え過ぎか。

さて、ここまで僕たち読者は、被害者のレールと加害者の機関車という視点に立って物語の表半分を見てきました。傷つき打ちのめされたレールに深く同情した月は、犯人である機関車をけんめいに探し回るのです。月の辿った道の先には、どんな事実が照らし出されるのでしょう。続きは是非、作品を読んでみてください。

もう一つ。さっき僕は「辛い時は、声に出して泣けばいい」と書きました。けれども、

「辛イノハ、君ダケジャナイ」

おすすめ文学で僕が毎回勝手につけているサブタイトルに込めた意味も、よろしければ頭の片隅にでも置いてみてください。もちろん、それは僕が皆さんのために敷いた作品鑑賞のレールではありません。

皆さんそれぞれ、ご自身の心にひろがる物語の風景を純粋に味わってくださることを祈りつつ、「おすすめ文学」はこれからものんびり各駅停車でまいります。

 

 

#7 今昔物語集 『佐渡国人為風被吹寄不知島語』  ~住マウハ鬼カ、神カ~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

回目。「今ハ昔、…」平安のいにしえの時より語り継がれる、佐渡ヶ島の伝説です。

 



今昔物語集〈4〉 (新編 日本古典文学全集)

 

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#7 今昔物語集 『佐渡国人為風被吹寄不知島語』  ~住マウハ鬼カ、神カ~

「今ハ昔」で始まることからその名が付いた『今昔物語集』は、三十一巻にわたり千以上の説話を収めた平安時代後期の書物です。今回ご紹介するのは、この壮大な説話集のラスト(巻第三十一)の十六番目に収録された、新潟県の佐渡ヶ島を舞台にしたお話です。

併せて、太宰治の短編「佐渡」についても少し触れていきたいと思います。


きりぎりす (新潮文庫)

 

出典①: 『新編日本古典文学全集 今昔物語集4』 小学館(2002年第一版第一刷)

出典②: 太宰治 『きりぎりす』 新潮文庫(平成14年54刷)より 「佐渡」

 

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佐渡は日蓮や世阿弥が流された場所としても有名です。今昔物語集に記された「佐渡国…(以下略)」の物語は、日蓮の島流しよりさらに150年ほど遡った平安末期に成立しています

「佐渡国人為風被吹寄不知島語」と書いて「佐渡の国の人風の為に知らぬ島に吹き寄せらるること」と読むタイトルの通り、佐渡に住む人々が沖に船を出したところ嵐に遭い、見たことのない謎の島に流れ着くという話です。そんな九死をのがれた佐渡人たちの前に、世にも奇怪な姿かたちの島民が現れます。

「見レバ、男ニモ非ズ童ニモ非ズ、頭ヲ白キ衣ヲ以テ結タリ、其ノ人ノ長極テ高カシ」

(① p. 535)

男でも子供でもなく、頭に白い布を巻いた、おそろしく背の高い人間たち。謎の島に住む、謎の民族です。頭に白い布を巻く、ってどんな感じなのでしょう。単純にハチマキのようにオデコに巻く物のような気もしますが、僕は何となく、顔全体を覆い隠すようにぐるぐる巻きにした、それこそミイラのような不気味な容貌をイメージしました。

性別不詳の、巨人のミイラたち。そんなものが島からわさわさ出てきたなら、佐渡人たちにとってさぞ恐ろしい光景だったでしょうね。

巨人のミイラ(と勝手に呼びます)たちは、佐渡人たちを陸に上げない代わりに、食糧を恵んでくれ、天候が回復するまで船の停泊を許可します。原文の簡潔なテクストからも、彼ら巨人のミイラの神秘的な雰囲気と、ただならぬ威厳のようなものが感じられます。

そんな彼らの発するオーラに気圧されてか、佐渡人たちの誰一人として彼らの言葉に逆らい密かに上陸を試みようとする者はありません。ここは現世か、あの世の入り口か。彼らは鬼か、はたまた神か。ただ一つ分かっていることは、

「其ノ島ハ他国ニハ非ザリケルニヤ、此ノ国ノ言ニテゾ有ケル」

(① p.536)

巨人のミイラたちの話す言葉は、佐渡人のそれと同じ――つまりここは(例えば中国や朝鮮などの)異国の大陸ではなく、確かに日本の島だということなのです。佐渡の北東には粟島という小さな島がありますが、佐渡から「北様ニ(北に)」向かって流されたということなので、方角が少し違います。

さわらぬカミに祟りなしの心境で、佐渡人たちは天候の回復と共に大人しく帰還します。以来、彼らの流れ着いた謎の島での出来事は島民たちの間に広まり、畏れをもって語り継がれてゆくのでした。

さて、この佐渡伝説の誕生から800余年の後、ある一人の作家が、佐渡にまつわる紀行文ともフィクションともつかない不思議な小品を遺しました。太宰治「佐渡」です。

「佐渡は、淋しいところだと聞いている。死ぬほど淋しいところだと聞いている。(・・・)私には天国よりも、地獄のほうが気にかかる。」

(② p. 168-169)

この描写からも、太宰は佐渡という場所について、ある種の神秘性――この世のものならぬ雰囲気を感じ取っていたことが窺えます。そして我らが太宰兄もまた、佐渡にまつわる奇妙な体験をするのです。「おけさ丸」に乗って佐渡に向かう途中、新潟を出港してから一時間ほどして、太宰は甲板に出て海を眺めます。そこで彼は、すぐ眼前に島を発見します。

もう佐渡に着いたのかと一瞬思いましたが、時間からしても夷(佐渡)港まではまだ半分も来ていません。こんなところに、どうして島が見えるのか。佐渡ではないとすると、この島は一体何なのか。他の船客が平然たる面持ちでいるなかで、太宰はひとり混乱します。

「この汽船の大勢の人たちの中で、私ひとりだけが知らない変な事実があるのだ。」

(② p. 173)

太宰もまた、先の今昔物語に描かれたような謎の島を見たのでしょうか。方角からして巨人のミイラの国とはまた違うようですが、見る者を惑わせる何かに遭遇したことは確かです。

ただし、この太宰のストーリーにはきわめて現実的なオチがあります。最初に太宰が目撃したのは他ならぬ佐渡の一部(「工」の字のかたちをした佐渡ヶ島の右下部分)で、その後船は内部の平野の港に到着した、ということなのです。

でも、やっぱり変です。当時太宰の乗った「おけさ丸(現在も同名の佐渡汽船が運航しています)」の新潟⇔佐渡間の所要時間は2時間45分でしたが、これは現在の佐渡汽船カーフェリーより少し遅いくらいで、さほど変わりません。

にもかかわらず、新潟を出港してから1時間程度のところで、太宰が描写したような島は――それが佐渡であろうとなかろうと――見えないと思うのです。太宰自身も、それを暗に匂わせるような描写をしています。

やはり太宰の目に映ったのは、ある種の神秘の島ではないでしょうか。芥川龍之介「羅生門」「芋粥」を今昔物語から取材したように、太宰も「巨人のミイラ」島伝説を念頭において「佐渡」を書き綴ったことは十分に考えられます(そういう文学研究は既になされているのかもしれません)。

ともかく、太宰の「佐渡」という作品は、単なる紀行文チックな小品にとどまらない、彼の創作した佐渡伝説と解釈することができるのです。

かくいう僕も、佐渡ヶ島で生まれ、幼少の数年間を佐渡の地に生きた人間です。これまで何十回と往復したことのある海の上で、見たこともないような島影がある日とつぜん見えることがあるかもしれません。

それならそれで、別に驚きゃしません。佐渡ヶ島というところ――そしてあの辺一帯の海は、今でも古き良き日本の「魔性」とでもいうべき独特のムードが色濃く漂っているのですから。

ぜひ、ご一読を。長文失礼いたしました。