#27 織田作之助 『木の都』 ~名曲の温もり~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

27回目。冷え込む晩には、熱燗とおでん。その後はコタツでちょっと読書――人情味あふれる大阪の作家「オダサク」の短編などいかがでしょうか。

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#27 織田作之助 『木の都』 ~名曲の温もり~

オダサクの愛称でおなじみの織田作之助(1913~1947)。太宰治、坂口安吾、檀一雄らと共に「無頼派」などと呼ばれています。要するに、弱い者たちの味方ということです。全然ちがうかもしれませんが、僕はそう解釈しています。その意味では、僕はこのオダサクの「木の都」が無頼派の作品の中でいちばん好きです。

出典:織田作之助 『夫婦善哉』 新潮文庫、平成12年第41刷改版

 

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故郷、あるいは家族への愛惜の念。「木の都」で描かれるのは、そんなやさしさにあふれた情景です。けれどもその情景は、どこか非現実的で、まるで夢の中のできごとをなぞらえているかのように、独特の哀愁を漂わせています。

物悲しい雰囲気は、語り手の「私」が辿ってきた人生と密接に絡んでいます。舞台は大阪の上町。そこは、学生時代に両親を亡くし、実家を始末して以来縁が切れかけていた「私」の故郷でした。

故郷の町は私の頭から去ってしまった。(・・・)それは著しく架空の匂いを帯びていて、(・・・)その町を架空に描きながら現実のその町を訪れてみようという気も物ぐさの私には起らなかった。

(p. 60)

天涯孤独の彼がふらりと帰郷したのは、実に10年ぶりのことでした。

町の様子は以前と変わっていませんでしたが、それでも彼には「架空の町を歩いている」感じがしました(p. 62)。故郷は、もはや彼の心を揺さぶるほどの懐かしさを呈してはくれなかったのでしょう。

そこで彼がふと目を留めたのが、一軒の見知らぬレコード店「名曲堂」

かつては本屋があったところで、今は唯一、彼にとって昔の風景とちがう場所でした。けれどもそのレコード店の主人は、彼が京都の学生だった時分に通っていた洋食屋の親父さんだったのです。

敢て因縁をいうならば、たまたま名曲堂が私の故郷の町にあったということは、つまり私の第二の青春の町であった京都の吉田が第一の青春の町に移って来て重なり合ったことになるわけだ(・・・)。

(p. 66)

この何とも複雑で奇妙なめぐり合わせが、他の誰にも共感を誘うことのない、いわば「私」だけが感じることのできる秘密の懐かしさを生み出したわけです。

これ以降、「私」は名曲堂に何度か通うことになり、店の主人や息子の「新坊」とのささやかな交流を温めてゆきます。

無口で頼りない色白の新坊、そんな我が子の世話をまめに焼く主人……ほほえましい親子の姿を見て、「私」も新坊を何かと気にかけるようになるのです。

新坊が帰って来ると私はいつもレコードを止めて貰って、主人が奥の新坊に風呂へ行って来いとか、菓子の配給があったから食べろとか声を掛ける隙をつくるようにした。(・・・)父子の愛情が通う温さに私はあまくしびれて、それは音楽以上だった。

(p. 67-68)

両親を亡くしていた「私」にとって、この父子のやり取りは、彼自身の忘れかけていた家庭のぬくもりをしみじみと思い出させてくれたにちがいありません。

……けれども、どんなにうっとりするような名曲も、やがては終わる時が来ます。「私」にとって、いつまでも変わることなく見守り続けていたかったであろう名曲堂の親子もまた、とある結末を迎え、「私」の前からふっと姿を消してしまいます。

束の間の夢。切なさにぽっかりと空いた心の片隅に、わずかに残るぬくもり――名曲堂の思い出は、「私」の心に、自分だけの故郷を刻み付けたことでしょう。

寂しさに包まれながらも、不思議といつまでもあたたかい。オダサク「木の都」を、是非とも読んでみてください。

それでは。

 


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#21 谷崎潤一郎 『人魚の嘆き』 ~闇に煌めく物語~

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21回目は、谷崎潤一郎の初期の作品です。この前ビアズリー展で水島爾保布の『人魚の嘆き』の挿絵を見る機会があったので、物語の方も是非とも紹介しなくてはと思い立った次第です。

人魚の嘆き・魔術師 (中公文庫)
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#21 谷崎潤一郎 『人魚の嘆き』 ~闇に煌めく物語~

一字一句まで徹底的に味わい尽くす、そんな文章好きならではの読書の楽しみ方に本作品はうってつけです――中公文庫版・水島爾保布の挿絵とともに、本の世界に妖しく心奪われてみませんか。

見慣れない漢字や四字熟語に最初は戸惑うかもしれませんが、かえって読むスピードが適度に落ちることで、一つ一つ丁寧に創り込まれた文章とじっくり向き合う喜びに出会えると思います。

出典:谷崎潤一郎 『人魚の嘆き・魔術師』 中公文庫, 2015年第24刷

 

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はるかむかし、南京の由緒ある家に生まれ育った若き貴公子は、幼い時に亡くした両親から莫大な遺産を受け継ぎ、美しい青年となった現在にいたるまで放蕩の限りをつくし毎日を過ごしてきました。

珍しい酒も、美しい女も、もはや貴公子を満足させることはなく、阿片を吸い退屈をしのぐ不毛な生活に明け暮れていた――そんな折、彼の屋敷に荷車をロバに引かせた西洋人の行商の男がやってきます。

男は遠い異国の海から「人魚を生け捕って来た者」だと自己紹介し、貴公子に謁見を乞います(p. 24)。ガラス製の水がめの中に囚われた人魚を一目見た貴公子は、その魅力にすっかり心を奪われるのです。

しかし私はまだこれ程美しい物が、水の底に生きていようとは、夢にも想像したことがない。私が阿片に酔っている時、いつも眼の前へ織り出される幻覚の世界にさえも、この幽婉な人魚に優る怪物は住んでいない。

(p. 32)

そう言った貴公子の驚きと喜びが、どれほどのものか。それは僕たち現代人のように、人魚という生き物の姿かたちを絵本やアニメ、テレビゲームなどで「見慣れている」人間にとっては、実際ほとんど理解不能かもしれません。

実在していないのに、見慣れている。……思えば変な感じですよね。人魚ってどんな生き物?と訊けば、大人から子供まで、大体みんな同じようなイメージ(女の子の上半身は、なぜかホタテの貝殻のみ着用)を思い描くわけですから。

そして谷崎の描く人魚はどんな姿をしているかといえば、これもやはり僕たちの知っているような「普通の」人魚です。本作品がそれでもなお鮮烈なインパクトを損なわないのは、ひとえに作者谷崎の妖艶な筆づかいによるものでしょう。

夜になると、彼の女の眼から落つる涙は、(・・・)真珠色の光明を放って、暗黒な室内に螢の如く瑩々と輝きます。

(p. 41-42)

谷崎によって描かれる人魚は、確かに貴公子の言うような「夢にも想像したことがない」ほどの美しさを醸し出している気がします。人魚に恋しているのか、谷崎の文章に惚れているのか、自分で自分がわからなくなるくらい。

作品全体が恐ろしく精巧に創られた美術品のようなものですから、引用するとキリがありません。是非とも皆さんに本作品を手に取っていただき、世にも妙なる文章で紡がれた人魚の物語を、どうぞ心ゆくまで味わってみてください。

それでは、本日はこれにて失礼します。

 


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