#14 シュティフター 『水晶』 ~暖かく積もる~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

クリスマスはいかがお過ごしでしたか。年の瀬の空気のつめたく澄んだ静かな夜に読んでほしい、心あたたまる物語をご紹介します。今年一年ありがとうございました。

水晶―他三篇 (岩波文庫)
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#14 シュティフター 『水晶』 ~暖かく積もる~

若き日は画家を志していたという、オーストリアの作家シュティフターAdalbert Stifter, 1805-1868)。その文章にふれると、まるで絵画を眺めているように物語の風景が心の中に浮かんできます。今回ご紹介する『水晶(原題Bergkristallは、雪ふかい谷間の村に暮らす子供たちの一昼夜の冒険を描いたクリスマス・イヴの物語です。

出典:シュティフター作/手塚富雄・藤村宏 訳『水晶 他三篇』岩波文庫、2008年第5刷

 

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谷間の小さな村クシャイトの人々は、農作物を育て、自然とともに暮らしています。山々に囲まれ、外の町との交流はほとんどなく、けれども彼らはみな自分たちの生活に満足し誇りを持って生きています。

ある年のクリスマス・イヴのこと。クシャイトに住む二人の子供が、山向こうの町ミルスドルフに住むおじいさんとおばあさんを訪ねに出かけます。兄のコンラートは妹のザンナの面倒をよく見るしっかり者の少年で、天気がよければ自分たちだけでモミの木の茂る峠を越えて町まで歩くことを許されていました。

子供の頃、夏休みとか冬休みに実家で過ごして帰る時に、じいちゃんとばあちゃんがお菓子やら何やらありがた迷惑なくらいにどっさり持たせてくれた思い出がありますが、そんな素朴な情景はいつでもどこでも変わらないものですね↓

それから祖母は起ちあがって、あちこちと動きまわり、少年の小牛の皮のランドセルを一ぱいにふくらまし、(・・・)ザンナの小型のポケットにも、いろいろなものを入れた。めいめいに一きれずつパンをわたして、途中で食べるようにと言い、ランドセルには別に白パンを二つ入れておいたから、おなかがうんとすいたら、それをおあがりと言いそえた。

(p. 42)

日が暮れる前にクシャイトまで無事に帰すため、おばあさんは名残惜しげに、けれども急かすように孫ふたりを出立させます。おばあさんの心配をあまり気にもせず歩き慣れた道を行く兄妹ですが、峠にさしかかる頃には雪がさかんに降り積もり、とうとう道を見失ってしまいます。

「なんでもないよ、ザンナ」と少年は言った。「こわがっちゃいけないよ、ぼくについておいで。どんなことがあっても家へつれてってあげるから。(・・・)」

(p. 53)

手を取り合い、ふたりは雪山の中をけなげに歩き続けます。彼らが無事両親のもとに帰り着き、あたたかく幸せなクリスマスを迎えることができるようにと、僕たち読者は願わずにはいられません。兄妹の交わす言葉、自然のきびしくも美しい描写の一つ一つをゆっくりと味わいながら、ぜひとも物語を読み進めてみてください。

シュティフターが「水晶」の中に閉じ込め、僕たち読者に託したメッセージ。たとえばそれは、子供たちの純粋な心、自然に囲まれた暮らし――いつまでも変わらないでいてほしいと願いつつも、やがて季節はうつろい、子供たちは大人へと成長し、風景は時代とともに変化し、そして何もかもが遠い昔の夢物語になってゆく……

こうして一年また一年が、ごくわずかな変化をしめしながら紡がれてきたのであり、またこれからも紡がれて行くであろう、自然がいまのままであり、山々には雪が、谷間には人があるかぎりは。

(p. 17)

そんな感じで今年一年、皆さんそれぞれ、いろんなことがあったと思います。そうしてこれからも、生きているかぎり、いろんなことがあると思います。その一つ一つの出来事を自分なりに踏みしめて……やがてめぐり来る新しい年、新しい季節に向かって歩いて行きましょう。はい、なんとなくシマったかな。

それでは、よいお年を。

 

#11 ビアス 『チカモーガの戦場で』 ~現実への進軍~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

11目。アメリカ文学としては2作目のご紹介です。

ビアス短篇集 (岩波文庫)
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#11 ビアス 『チカモーガの戦場で』 ~現実への進軍~

アメリカの作家・ジャーナリストのアンブローズ・ビアスAmbrose Bierce, 1842-1914?)。南北戦争に参戦した経験をもとにした作品群をはじめ、切れ味鋭い短編小説の書き手として現代までその名を残しています。今回ご紹介するビアスの短編 『チカモーガの戦場で (Chicamauga, 1889)は、その題名から、テネシー州チャタヌーガ南東の小川チカモーガ・クリークにて繰り広げられた南北戦争の激戦のひとつ、「チカモーガの戦い (Battle of Chickamauga, 1863年9月)」を題材とした作品と考えられます。

出典:大津栄一郎編訳 『ビアス短篇集』 岩波文庫、2002年第2刷

 

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チカモーガとは、先住民チェロキー族の言葉で「死の川」を意味します(ブルース・キャットン著 『南北戦争記』 バベルプレス, 2011 p. 173参照)。南北両軍に多くの死傷者をもたらした当時のチカモーガ・クリークには、いにしえの呼び名通りの凄惨たる光景が広がっていたことが想像されます。

作品冒頭の淡々とした描写は、戦いの前の不気味な静けさを感じさせます。主人公は農民の子である六歳ほどの男の子。木で作ったおもちゃの剣をふりまわしながら、近くの森で想像上の敵を相手にひとり戦争ごっこをして遊んでいます。勇猛果敢に進軍する男の子は、

「川の岸からさらに奥へと進むと、急に、新たな、いっそう恐ろしい敵に遭遇しているのを知った。(・・・)一匹の兎が体をまっすぐ立て、耳をまっすぐ立て、両前足を体の前で宙に浮かせて、座っていた。」

(p. 115)

そのウサギに驚き、泣いて逃げてしまうのです。臆病な子供と言ってしまえばそれまでですが、薄暗い森の中で出逢った(多分まっ白な?)ウサギは、この世のものとは思えない異様な雰囲気をもって子供の目に映ったはずです。

森の中の子供とウサギ。幻想絵画を思わせる、現実と夢のはざまを描いたような情景は、男の子の無知と、それ故に大人とは比べ物にならないほど繊細な感受性を表現しているように思えます。

ウサギから逃れた男の子は、川近くの岩陰で眠り込み――目が覚めたとき、そこは本物の戦場と化していました。事態を正しく理解できない男の子は、傷を負い撤退する大勢の兵士たちが森の中を這い進んでいる光景を目の当たりにしても、ちっとも恐がりません。それどころか、

「彼らの間を自由に歩き回って、(・・・)子供らしい好奇心でひとりひとりの顔をのぞきこんだ。彼らの顔はどれも異様に白く、多くのものの顔には赤い血の縞ができ、血の固まりがついていた。(・・・)彼(男の子)は彼らをみつめながら笑い出した。」

(p. 119、下線部分は補足)

顔面蒼白で血を流している男たちの容貌から、サーカスの道化のメイクを連想して可笑しがっているのです。無垢な故に、戦争を理性的に知る大人の目には地獄絵図そのものでしかない光景にさえ、純粋な美しさを見出しているのです。

けれども、そんな男の子とて現実を突きつけられる時がやってきます。男の子の戦争ごっこがいつまでも彼を幻想の世界に留めておくほど、現実は遠い存在ではありません。では、何をもってその幼い幻影の世界が打ち砕かれるのか。

その答えは、自らが指揮官となって血まみれの兵士たちの先頭に立ち、川をわたり森を抜け、そうしてたどり着く進軍の果てのリアリティ――物語の結末にて、皆さんそれぞれ、見つけてみてください。

それでは。