#23 魯迅 『故郷』 ~希望を探して~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

23回目。これからお盆休みに帰省される方も多いと思います。新幹線や高速バスなどの車窓から見えてくる懐かしいふるさとの風景に思いをよせて……その旅のお供に、魯迅「故郷」はいかがでしょうか。

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇: 吶喊 (岩波文庫)
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#23 魯迅 『故郷』 ~希望を探して~

生まれ故郷への思いというのは、歳を重ねる度にいろんな意味で重みを増してくるものですよね。そんな気持ちを簡潔な文章で、切実に呼び起こしてくれるのが、魯迅ろじん 1881-1936)の「故郷」です。

僕自身、実家に帰る前にどうしても読み返しておきたい一作です。下記の岩波文庫には「村芝居」という短編も収録されています。「故郷」と似たような雰囲気の作品なので、こちらもおすすめします。

出典:魯迅 作/竹内好 訳 『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)』 岩波文庫、2011年第84刷

 

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皆さんにとって、故郷とはどんな場所ですか? 子供の頃、僕は夏と冬に田舎の実家に帰るのが嬉しくて仕方がありませんでした。当時はまだ元気だった祖父母、親戚のみんな、そして幼なじみの親友に会えるのが人生最高の楽しみでした。

嬉しいこと、楽しいことだけを与えられていた子供にとって、故郷はたしかに夢の国でした。けれどもあれから十年、二十年と経つうちに、状況は変わります。家の経済事情、介護――そういった責任を担う立場にある現在、僕にとっての故郷は少なくとも夢の国ではなくなりました。

私のおぼえている故郷は、まるでこんなふうではなかった。私の故郷は、もっとずっとよかった。(・・・)そこで私は、こう自分に言いきかせた。もともと故郷はこんなふうなのだ――進歩もないかわりに、私が感じるような寂寥もありはしない。そう感じるのは、自分の心境が変わっただけだ。

(p. 85)

これは主人公の「私」が二十年ぶりの故郷の地に立った際に思ったことです。彼の帰省の目的は実家を手放すための財産整理などの雑務であって、つまりは「故郷に別れを告げに来た」のです(p. 86)。

「私」には、子供の時に仲良くなった「閏土(ルントー)」という親友がいて、今回の帰郷で「私」は彼との再会を果たすのですが、二十年という歳月は二人の関係を大きく変えてしまいました。ただ嬉しい楽しいだけの故郷ではないという大人の現実が、切実に伝わってくる場面です。

ここで僕自身、幼なじみの親友と故郷で十数年ぶりに再会した時のことを思い出します。どうしても、子供時代とはちがうんですよね。二人とも、今という動かしがたい生活があって、苦労や信念があって……「○○ちゃん(アダ名は昔と同じ)も大変だね」って互いに交わす言葉が、やっぱり重くて。

そういう「重さ」は、物語でも終盤まで続きます。そんな中、最後の二段落あたりに「希望」という言葉が何度も出てくるのがとても印象的です。いったいどんな「希望」を抱いて、主人公は故郷に別れを告げるのか……是非とも作品を読んで、皆さんそれぞれの答えを見つけていただけたらと思います。

今は寒いけどな、夏になったら、おいらとこへ来るといいや。おいら、昼間は海へ貝がら拾いに行くんだ。赤いのも、青いのも、何でもあるよ。

(p. 89)

これは僕が文庫本に線を引いて折にふれ読んでは癒されている、子供時代の閏土のセリフです。ちなみに僕の故郷も、海辺のさびれた村にあります。色とりどりの貝がらみたいな、小さくてきれいな「希望」を胸に抱いて、この夏も故郷に帰るとします。

皆さんも、帰省する道中は(車を運転される方は特に)お気をつけて。それでは。

 


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#22 フィリップ 『ビュビュ・ド・モンパルナス』 ~夜の果てに~

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22回目。フランスの作家シャルル=ルイ・フィリップ (Charles-Louis Philippe, 1874-1909) の作品をご紹介します。都会の底辺で暮らす貧しい人々のありのままの生活を描いたフィリップの作品を、今の時代に生きる人たちにも知ってもらえれば幸いです。

ビュビュ・ド・モンパルナス(岩波文庫)
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#22 フィリップ 『ビュビュ・ド・モンパルナス』 ~夜の果てに~

『ビュビュ・ド・モンパルナス (Bubu de Montparnasse, 1901) は、フィリップが二十七歳の時に発表した作品です。それから十年と経たずに、彼は三十代半ばの若さでこの世を去りました。華やかな都パリで、貧しい勤め人として生活しながら執筆活動を行っていた作家フィリップ。その人生の終わりに僕自身の年齢が並んだ今、彼の作品にますます関心が高まってきました。

出典:フィリップ作/淀野隆三 訳 『ビュビュ・ド・モンパルナス』 岩波文庫, 昭和42年第7刷

 

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題名の「ビュビュ」というのは、登場人物の一人であるモーリスという若者のあだ名です。彼はいわゆる街のごろつきで、自分は働かずに売春婦のベルト・メテニエの「ヒモ」になって、彼女の稼ぎで食わせてもらっている男です。

タイトルに名前が出てくるあたり、主人公の一人と言えばそうなのかもしれませんが、僕はこのモーリスという男が(特に結末において)個人的にどうしても好きになれないので、これ以上彼のことには触れません。ご了承ください。

物語のテーマは「都会で生きる貧しい若者たち」でしょうか。そこにロマンスの要素を見るなら、主人公は先ほどの売春婦ベルトと、彼女と夜の街で出会ったピエール・アルディという青年の二人、ということになります。

製図工としてパリで働き始めたばかりの、純朴で世間知らずの青年ピエール。夜の女として生きながらも、まだあどけなさの残る黒髪の少女ベルト――そんな二人が、都会の底辺の生活に渦巻く欲望、貧困、病気といった共通の苦しみの中で、身も心もボロボロになりながら絆を深めてゆく……そんなお話です。

ベルトは街娼としての自分の生活のいろんなことをあれこれと考えていた。今晩はピエールを取ってから、もうひとり稼がねばならない。(・・・)明後日は衣装代をこさえるために、次の日は帽子を買うために稼ぐわけだが、そうこうしているうち、靴がまた駄目になってしまうだろう。

(p. 45)

衣服のこと一つとっても、ベルトは女の子として純粋にファッションを楽しむ以前に、まず夜の女として稼ぐために自分の身なりを気遣わなくてはなりません。手元に残るわずかなお金は家賃と食費にすべて消える。こういう血の通った生活苦の描写が、作品には無数に出てきます。

そして貧しい生活のドラマの果てに待っているのは、ハッピーエンドではありません。その結末に僕自身、何度読んでも心を痛めてしまいます。けれども、これはこれで意義のある終わりという見方も出来なくはないと思うのです。

――苦しみを乗り越えたその先に待っているのは、幸せか、不幸か。

そのことについて結論を出すのは、今回は難しいと思います。でも、同じ痛みを分かち合ってくれる人との出会いだったり、その人との時間の共有だったり、それが結果としてほんのわずかなひと時の出来事であったとしても、何よりも愛おしくて大切なものだと信じさせてくれる……僕にとって、『ビュビュ・ド・モンパルナス』はそんな作品なのです。

よろしければ、読んでみてください。それでは。

 


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