#9 プレヴォー 『マノン・レスコー』 ~実はいい女~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

9回目は、18世紀フランスの長編小説です。(追記:後の第40回のおすすめ文学で『椿姫』を取り上げていますが、作中にこの『マノン・レスコー』が出てきます。併せて読んでみてください。)

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#9 プレヴォー 『マノン・レスコー』 ~実はいい女~

『マノン・レスコー』はフランスの作家アベ・プレヴォー(1697~1763)によって書かれた長編小説です。これまでは短編を中心に紹介してきたので、ぼちぼち長編も、と思った次第です。とはいえ、本作はフランス文学の膨大な長編群の中では相当短い部類に入るかと思います。例えばマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を取り上げるなど、今の時点ではちょっと無理です。

出典:アベ・プレヴォー著/青柳瑞穂訳 『マノン・レスコー』 新潮文庫、平成四年63刷

 

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この作品を読むとき、僕はある2つの日本文学作品を思い起こします。男が一人の美少女を偏愛し、翻弄され続けるところは谷崎潤一郎の『痴人の愛』。たとえ報われなくても身心をぼろぼろに痛めつけて他人に尽くすところは太宰治の『饗応夫人』――この2作と『マノン・レスコー』には、どことなく同じ匂いを感じるのです。

けれども、先の2作と比べて『マノン・レスコー』は全体的に軽快でコミカルな雰囲気が前面に出ています。主人公は学業優秀で世間知らずのボンボンである青年グリュウと、お金のためなら浮気も辞さない小悪魔ガールのマノン・レスコー。僕たちが見ているのは、そんな二人の若気の至りが繰り広げるはちゃめちゃな恋愛風景です。

「恋は富よりもはるかに強い。財宝よりも、富裕よりも、はるかに強い。しかし、恋はそれらの力を借りる必要がある。」

(p. 122)

そんな迷言を口にしながら、グリュウは金遣いの荒いマノンの心を自分につなぎとめておく必要から、短期間に大金を得るため詐欺や暴力の世界に関わってゆきます。

富の力を「借りる」という言い方をしているところ、まだまだ青いね(笑)。その純粋さ故に、堕ちてゆくスピードも人一倍のグリュウ。マノンはマノンで、金持ちの男どもをたぶらかすことに何の罪悪感も抱きません。

「彼女は悪気なしで罪を犯しているのだ、(・・・)軽薄で、向こうみずだけれど、いちずで、真正直な女である。」

(p. 171)

これはグリュウのマノンに対する評価ですが、グリュウ自身もやってることは大体一緒。要するにこの二人、似た者同士のカップルなのです。

グリュウは女に利用され続けているだけの気の毒な男、というわけでもないようです。マノンにしても、(お金の心配さえなければ)どうやらグリュウ以外の男を本気で愛する気配はこれっぽっちも無いようです。

周囲の人々を巻き込み、彼らの人生を散々にひっかきまわしてはいるものの、当の二人は台風の眼のごとくおだやかで揺るぎない愛の絆に守られていると言えるのかもしれません。

この関係性をある種の純愛の極致と見るならば、マノンは悪女から聖女に一変して読者の目に映るかもしれません。何というか、実に振り幅の大きな小説です。物語は後半に至ってさらなる展開を見せるのですが、ちょっと急すぎてついていけない部分もあるかもしれません。

結局のところ、僕にとってマノンは理想の女性像だったりします。けれども現実には、こんな女性はまずもって存在するはずもなく、あくまでも純粋に物語の中でのみ生きている彼女に惹かれるわけで、これもまたブンガクの醍醐味なのです。

『マノン・レスコー』、よろしければご一読ください。

それでは。

 

#8 小川未明 『負傷した線路と月』 ~辛いのは君だけじゃない~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

前回と同じく、今回(8回目)も地元新潟の作品をお届けします。ブンガクの地産地消です 。

小川未明童話集
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#8 小川未明 『負傷した線路と月』 ~辛いのは君だけじゃない~

新潟県(現・上越市)に生まれた小川未明(1882~1961)は、日本のアンデルセンと称される童話作家です。未明は「みめい」と読むのが一般的のようですが、本来は「びめい」が正しい読み方となります(この筆名を授けたのは文学者・坪内逍遥です)。その名を冠した「小川未明文学賞」は、児童文学の新人作家の登竜門として広く知られています。過去に僕も童話めいた怪しい代物を書き送ったことがあります。結果は、言わずもがなです。

出典:『小川未明童話集』ハルキ文庫、2013年第一刷

 

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今回ご紹介する未明の童話 『負傷した線路と月』 は、機関車の通り道であるレールが主人公(のひとり)です。ある日レールは、重い荷物を載せた機関車が通った時に、からだを傷つけられてしまいます。

レールは、痛みに堪えられませんでした。そして泣いていました。自分ほど、不運なものがあるだろうか。

(p. 148)

そう嘆くレールですが、もとより人生、山あり谷ありです。どこまでも続く長い道のりの、ほんの一部分に傷がついた程度のことで己の不運を恨むレールは、はたから見れば弱っちい奴だと思われるかもしれません。

しかし普段のレールは、どんなに過酷な条件下でも文句ひとつ言わない働き者なのだということも読み取れます。ストレスを溜め込みがちな彼だからこそ、それ自体はほんの些細なことが引き金となって、ある日とつぜん鬱積した気持ちをどっさり吐き出してしまうわけです。

辛い時は、声に出して泣けばいいのです。じっと黙って耐え続けるばかりでは、ほとんどの人は気づいてもくれません。自分のためにも、周りのためにも、涙はきちんと流した方が良いこともあるのです。

と、レールが考えたかどうかはともかく、彼は近くに咲く、通りがかった夕立の、そして夜空のにむかって逐一自分の不遇を打ち明け、なぐさめてもらいます。さらには、自分を傷つけて黙って通り過ぎて行った機関車が今どこにいるのか、月に探してもらうことになるのですが……これは流石にちょっと甘え過ぎか。

さて、ここまで僕たち読者は、被害者のレールと加害者の機関車という視点に立って物語の表半分を見てきました。傷つき打ちのめされたレールに深く同情した月は、犯人である機関車をけんめいに探し回るのです。月の辿った道の先には、どんな事実が照らし出されるのでしょう。続きは是非、作品を読んでみてください。

もう一つ。さっき僕は「辛い時は、声に出して泣けばいい」と書きました。けれども、おすすめ文学で僕が毎回勝手につけているサブタイトルに込めた意味も、よろしければ頭の片隅にでも置いてみてください。もちろん、それは僕が皆さんのために敷いた作品鑑賞のレールではありません。

皆さんそれぞれ、ご自身の心にひろがる物語の風景を純粋に味わってくださることを祈りつつ、「おすすめ文学」はこれからものんびり各駅停車でまいります。