#3 村山亜土 『コックの王様』 ~夢みてえだ~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第3回目です。今夜のメニューは、イタリアン。

コックの王様 (集団読書テキスト)
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#3 村山亜土 『コックの王様』 ~夢みてえだ~

小学生のときに学級文庫で読んだ作品です。特に読書好きな子供ではなかった僕が何気なく手に取った、この『コックの王様』その後の僕の興味関心のルーツとなったと言えるくらいに運命的な出会いだったと、今となっては思います。

子供向けの、分量も少ない戯曲(演劇の脚本)形式の作品なので、例えばこれからシェイクスピアなんかを読んでみたいと考えている中高生や若い方々にとっては、形式に慣れ親しむという意味で本作品は手軽な入門書としてもおすすめです。

出典:村山亜土『コックの王様』全国学校図書館協議会(2007年改版第2刷)

 

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『コックの王様』は1949年の作で、児童劇作家の村山亜土むらやま・ あど、1925~2002)さんによって書かれました。三幕からなる戯曲で、ルイ14世期のフランスが舞台となっています。といっても、登場人物たちはみんな貧しく陽気な庶民たちです。

作品の冒頭にて、「フランスの古い童話より」と書いてありますので、原典はフランス文学となるのでしょうが、詳細はよく分かりません。同じく冒頭で「フランスのセント・デニー町」が舞台とありますが、これはおそらくパリ北部郊外のサン・ドニ(Saint-Denis)のことではないかと思われます。

この「セント・デニー町」の町角にある「ブラーミー料理店」にて物語は始まります。

主人公のアントアーヌは、ブラーミー料理店で働くコック見習いの少年。主人のブラーミーのだんなにこき使われながらも、同じコック見習いの相棒トーマスと共に懸命に働いています。そんな毎日に、トーマスなどは、「この店から逃げ出せるなら、仕事がなくて死んだって構わない」とまで嘆く始末。

その点アントアーヌは、どこか夢想家というか、楽天的なところがあります。ブラーミーのだんなにぶん殴られた直後に、窓の外を宮殿の馬車が通るのを嬉しそうに眺めたり、トーマスの愚痴を聞いている最中に突然、窓辺に咲いた雪割草がきれい、なんて言い出したり。

変わり者というよりは、どんな境遇にあっても人生を楽しもうとする性格なのでしょうね。アントアーヌは努力家でもあります。お店が休みの日は、世界中の珍しい料理の作り方が書いてある本を熱心に研究して、こっそり自分で試作しているのです。ちょっとそのレシピを覗いてみましょう。

「良きスープの中にイタリーのマカロニをほどよくにるべし。ちょっと味わい、次にてきとうの、このてきとうっていう所がむずかしいんですよ。(・・・)てきとうのバター・チーズ・こしょう・香料を入れるべし。チーズの十分とけたる時、全部を他のいれ物に移し、かきまわしつつとろ火にて煮るべし。」 

(p. 21)

全体的にてきとう過ぎて意味不明ですが、これが当時小学生だった僕の食欲中枢を大いに刺激し、「ボクもつくってみたい!」と思わせてしまったのです。お湯の沸かし方もまだ知らない時に、です。

それでもすぐに作ってみたくて、母親にお金を貰い近所のスーパーで材料を買ってきて、さっきのてきとうなレシピすらよく読まずに、大鍋に水と具材をぶち込んで作ってみたところ、これがとてもぬるくて味の薄いコンソメスープに、固いマカロニと全然溶けていないプロセスチーズが不気味に浮かんだ地獄汁になったのでした。

それからまもなくして家庭科の授業で調理実習が始まるころには、僕は料理が趣味(得意ではないけれど)になっていました。そして、料理の楽しさを知るきっかけになった「本」のことも、大好きになったのです。

アントアーヌの作る例のマカロニ料理は、いったいどんな味がするのでしょう? 僕が作った地獄汁よりはきっと美味しいのでしょうけれど。

「だが、アントアーヌ。よく聞け。いってえぜんてえ、料理なんてえものは本で勉強するなんてえもんじゃねえんだ。近頃の小僧っ子ときたらなんでもかんでもすぐ本だ。(・・・)だが、料理はそんなもんじゃねえ。(・・・)じゃ、いってえ誰が教えてくれるんだ?親方さ。(・・・)そういう偉え親方ん所で、永え間、奉公して料理を教えていただくんだ。(・・・)さあ、分かったら調理場へさっさと行った。」

(p. 22-23)

若いアントアーヌに、親方の言葉はどう響いたのでしょうか。夢を追う若者、という現代にも通じるテーマでこの物語を結末まで読んでみると、この口やかましいお説教が改めて重みを増してくるような気もします。

以上、今回は「学級文庫」のご紹介でした。是非ともご一読を。

 


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#2 アンダスン 『手』 ~僕は見ている~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第2回目。今回はアメリカの小説です。

ワインズバーグ・オハイオ (新潮文庫)
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#2 アンダスン 『手』 ~僕は見ている~

シャーウッド・アンダスンSherwood Anderson, 1876-1941)は、20世紀アメリカ文学の礎を築いた作家でありながら、彼の影響を受けたとされるフォークナーやヘミングウェイらと比べると、知名度としては(少なくとも日本では)低いように思います。そんな「いぶし銀」の作家アンダスンの魅力を少しでも伝えたく、今回は彼の代表作である『ワインズバーグ・オハイオ』から、「手」という短編をご紹介します。

出典:アンダスン著/橋本福夫訳『ワインズバーグ・オハイオ』新潮文庫(平成4年41刷)

 

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 『ワインズバーグ・オハイオ』は、25編の短編から成る作品です。オハイオ州の「ワインズバーグ」という架空の町を共通の舞台に、そこに住む様々な人たち(おおむね、1編につき1人にスポットライトを当てて)の人間模様が、緻密かつディープな感じで描かれています。

全編中、十数編のエピソードにくりかえし登場するのが、ジョージ・ウイラードという、地元の新聞記者の若者です。彼はいわば、『ワインズバーグ・オハイオ』全体の主人公であり、それぞれの物語に登場する町の住人たちとの関わりを通じて、僕たち読者のナビゲーターを務めてくれる存在なのです。

ただし、彼は「語り手」ではありません。我らがウイラード君もまた、僕たち読者にとってはワインズバーグのいち住人であり、その人間模様が観察されるべき対象なのです。

さて、今回ご紹介する「手(原題:HANDS)にて、ウイラードが関わるワインズバーグの住人は、ウイング・ビドルボームという老人です。老人、と書かれていますが、実際は40歳。ビドルボームという名前も偽名です。

ほかの住人に知られてはいけない過去を抱えたまま、町はずれの小屋に20年間ひとりぼっちで暮らす彼は、苦悩のゆえに実年齢よりもずっと老けて見えるのでしょう。太宰治『人間失格』の結末にも、同じような感じの描写がありましたよね。

そんなビドルボームにも、ワインズバーグでたったひとりだけ友達と呼べる人間がいました。ほかでもない、ウイラードです。ふだんは無口でおどおどしているビドルボームも、ウイラードの前では安心しておしゃべりになり、しきりに「手」を動かします。

これが、ビドルボームの大きな特徴です。彼の(体型は太っているのに)ほっそりとした繊細な手は、とてもよく動きます。内に秘めたさまざまな感情が手指に乗り移ったかのように、実によく動くのです。

「ウイング・ビドルボームの物語は手の物語なのである。今の彼の名前も(・・・)鳥の翼の羽ばたきのように、落ち着きなく動く彼の手の活動ぶりからついたあだ名だった。」

 (p. 15)

けれどもビドルボームは、自分の「手」を恐れています。情感たっぷりに動くこの「手」のおかげで、彼は過去に人々から誤解され、以前住んでいた町を追い出されてしまったのです。

ビドルボームの悲しい過去の詳細については、是非とも作品を読んで知って頂ければと思います。彼の被った「誤解」は、僕たちの生きる現代社会においても、もしかしたら身近に見聞きあるいは経験することかもしれません。

偽名で暮らすワインズバーグで唯一心を許し合えるかに思えたウイラードに対しても、結局ビドルボームは自分の過去への強いトラウマから本当の自分をさらけ出すことができず、逃げ帰ってしまいます。

そうして今夜もひとり、粗末な夕食のテーブルにつきます。食べ終わってから、テーブル下の床にひざまづき、落ちていたパンくずを丁寧に拾っては口に運ぶ……その「手」の動きがランプの明かりに照らされ、そして物語は静かに終わるのです。

ひとりぼっちに戻ってしまったビドルボーム。そんな彼の姿を最後まで見つめ続けるのは、作者のアンダスン、そして僕たち読者だけとなりました。誰にも心を開くことができず、孤独に生きる人間。アンダスンは作家として、そういった人たちに寄り添っていたかったのだと、僕は思うのです。

「同情をもって物語られたとしたら、名も知れない人たちのなかにひそんでいる多くの不思議な美しい素質がひき出せるにちがいないのだから。」

(p. 15)

語り手のこの短い言葉に、少なくとも『ワインズバーグ・オハイオ』における、アンダスン文学の本質が示されています。僕自身、拙い作品を書くとき――自分が何のために書いているのか、見失いそうになった時――いつもこの言葉を胸に呼び起こしています。

 


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