ひとりは、怖い。

昨日と先週、二週続けて金曜ロードショーで「ホーム・アローン」の1と2をやっていたようです。1は見逃してしまいましたが、2は気付いて録画しました。年末までには見ようと思いつつ――

文学紹介記事の更新も滞ったまま、僕は昨晩も「事務所アローン」でした。個人オフィスに閉じこもって黙々と仕事をしているので、朝から晩までほぼアローンです。

さて、僕はホーム・アローンは1作目しか見たことがないのですが、この映画、とある古典文学作品とよく似ているのです。検索すると、やっぱり同じ意見が見つかりますね。

その作品が、19世紀イギリスの作家、ウィルキー・コリンズWilkie Collins, 1824-89)の短編小説「黒い小屋」です。下記の短編集(岩波文庫)に収録されています。

夢の女/恐怖のベッド―他六篇 (岩波文庫)
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この物語でひとり留守番をするのは、ベッシーという十八歳の女の子。ホーム・アローンのケビン君よりはずっと年上ですが、彼女は荒野の真ん中にぽつんと建った粗末な小屋に、父親と二人で暮らしています。隣家といっても1マイル以上も離れている、まさに陸の孤島のような舞台です。

ある日、父親が仕事の用事で一晩家を空けなくてはらず、ベッシーはひとりお留守番をすることに。彼女はその日、たまたま知り合いからお金を預かっていたのですが、そのお金をしまおうとしているところに、土地で評判のワルの二人組の男が訪ねて来たのです。

屈強な男どもを前に、気丈にふるまうベッシー。しかし彼女は、今夜父親が帰らないことをうっかり喋ってしまうのです。男二人は意味ありげな目配せを交わし、それなら日を改めて、と妙に大人しく帰っていきました。一抹の不安が胸をよぎる中、暖炉のそばで編み物をしていたベッシーはうとうと居眠りをはじめたのですが……

私を目覚ました音は、ドアをドンドンと激しく叩く音でした。

(p.152)

怪談みたいですが、実際、ここからスリルに満ちた展開が待っています。

強盗どもが家の中に侵入しようと戸口を破壊する音、口汚く罵る言葉、それらをたった一人で耳にしながらも、ラム酒を瓶から一口、自らを奮い立たせようとする勇敢なベッシー、海賊みたいな女の子(笑)。

文字だけで表現された古典的な臨場感が、僕たち読者の想像を幾重にもかき立てます。映画では体験できない、活字ならではの醍醐味ですね。ここから先は、是非とも作品を読んでいただければと思います。

ちなみに、僕も遅くまで仕事場にこもっていて、警備の方に存在を忘れられ、廊下や階段の電気をすべて消されてしまったことがあって、その時は無性に怖かったです。心細さの延長にある恐怖は、ゆっくりと精神を蝕んできますね(笑)。

夜、建物の中にひとりきりで取り残されるというのは、たとえ何も起こらなくたって薄気味悪いものです。ケビン君もベッシーも、こんな環境でよく自分を奮い立たせて戦えたものだと感心します。

ということで、今回はこれくらいにして――クリスマスまであと少しです。みなさん、楽しい連休をお過ごしください。

それでは。

 

秋の桜

今は秋ですが、桜が咲いていました。これ、桜ですよね?

秋の桜

秋桜と書いてコスモスと読む、その秋の桜ではなくて、どうやら本物の桜です。

季節はずれの桜。

人通りのほとんどない場所で見つけたのですが、それにしても、秋に咲く桜は、春とはまた趣の異なる、なんとも言えない切なさを感じさせます。

そもそもこの桜に、僕以外の何人のひとが気づいただろうか。

春というあたり前の季節にみんなの前で咲いていれば、誰にだって喜ばれ、無条件に愛してもらえるのに。

秋という場違いな時期に花開いたというだけで、同じ桜なのに、これほどまでに目立たない存在でいることを強いられるなんて、ちょっぴり理不尽な気もします。

でもこの桜は、僕にいくつかのことを語りかけてくれているような気がします。

桜はいつ咲いても、桜。

どんな季節に生きようとも、自分に誇りを持って咲けばいい。

やがて冷たい季節が近づくにつれ、己の存在にますます不安を抱くことになろうとも――こんな時代に生まれて来たことを、悔やんだりはしない。

桜は、桜。

忙しくて更新が滞っていたかと思えば、ふと思い立ってこんな感傷的な文章をしたためる。

今はこれが、精一杯(笑)。

それでは。