拙著『felicidad フェリシダ』絶版のお知らせ

いつも当ブログを見てくださってありがとうございます。

今回は、残念なお知らせをしなくてはなりません。この度、文芸社より刊行中の拙著『felicidad フェリシダ』が、来る2015年4月15日をもちまして契約満了(絶版)となります。(追記:2017年3月にペーパーバック版で復刊されました!アマゾンからご購入いただけます→ felicidad フェリシダ

 

 

『フェリシダ』は、たくさんの方々に支えられ世に出すことのできた、僕の初めての純文学短編集です。契約の更新に至らなかったのは、ひとえに僕の力不足に尽きます。

文芸社の皆様、応援してくださった多くの方々、そして友人と家族に、この場をお借りしてお詫び申し上げますと共に、これまで支えてくださったことに改めて感謝の気持ちをお伝えいたします。

 

そんな中ではありますが、僕自身、今回の絶版の件をひとつのチャンスと捉えております。一日も早い2作目の発表に向けて、いよいよ前進あるのみです。

今こそ物書きとしての真価が試されているのだと思うと、日々文章を書くことがこれまで以上に楽しく、また責任も強く感じております。

絶版まで残り一か月となりますが、もしご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非とも4月15日までにご購読いただけると幸いです(以後は中古本のみの流通になると思われます)。

皆様、ありがとうございました。そして今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。近い将来、必ずや新作を引っ提げて文壇に戻ってくることをお約束いたします。

 

#6 アンデルセン 『父さんのすることは、まちがいがない』 ~逆ワラシベ長者~

 「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

回目。アンデルセンの童話から、成功哲学のヒントが見つかるかもしれません。(今回はストーリーの筋を最後まで追ってのご紹介です。あらかじめご了承ください。)

 


人魚姫―アンデルセンの童話〈2〉 (福音館文庫 物語)

 

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#6 アンデルセン 『父さんのすることは、まちがいがない』 ~逆ワラシベ長者~

「人魚姫」「マッチ売りの少女」「雪の女王」などでおなじみの、ハンス・クリスチャン・アンデルセンH. C. Andersen, 1805~1875)。皆さんそれぞれ、アンデルセンの童話で大好きな1、2作があるのではないでしょうか。僕は子供の時は「みにくいアヒルの子」、大人になってからは「絵のない絵本」にハマりました。

今回ご紹介する「父さんのすることは、まちがいがない」という作品、僕はつい最近まで全然知りませんでしたが、これが日本昔話のある有名なお話にかなり似ていたのです。

出典:大塚勇三 編・訳『人魚姫 アンデルセンの童話2』福音館文庫(2003年初版)

※前掲書でなくても多くのアンデルセン童話集に収録されていると思います。参考までに、岩波少年文庫(大畑末吉訳)のタイトルは「とうさんのすることはいつもよし」です。

 

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「ワラシベ長者」って上で書いちゃってましたが、この「父さんのすること…(以下略)というアンデルセンの童話、僕たち日本人がよく知っている「わらしべ長者」の西洋版と言ってもいい程、よく似たお話なのです。

ただし、日本のわらしべ長者は、わらしべ一本から始まって最後は立派なお屋敷と田んぼを手に入れるという右肩上がりの成功物語なのに対して、「父さんのすること…」は、終盤まではずっと右肩下がり、どんどん落ちぶれていきます。

そんな父さんのすることの、どこがまちがいでないのか。お話の筋をざっと辿ってみたいと思います。

ある田舎に、わらぶき屋根の古い家に暮らす百姓夫婦がいました。貧しく持ち物の少ない夫婦でしたが、彼らは「馬」を持っていました。自分たちで使うこともあれば、近所の人に貸してお礼を貰うこともありました。しかしある日、夫婦は何を思ったか、その馬を「自分たちにもっと役に立つなにかと取りかえるほうが、きっとぐあいがいいだろう」 (p. 58) と考えたのです。

妻(おかみさん)の提案で、夫(父さん)は、馬をお金か別の物と交換するため市場に出かけます。ここから「わらしべ長者」と同じ、物々交換のシナリオが始まります。

わらしべ一本が元手の日本の若者に比べれば、馬一頭からスタートするデンマークのお父さんは相当有利なはず。本人もやる気満々らしく、市場までの道すがら出会った人々とも積極的に物々交換を繰り広げます。

けれどもこのお父さん、愛想は良くても投資のセンスは絶無と見え、「馬」→「牝牛」→「羊」→「ガチョウ」→「メンドリ」…何だかどんどん資本が小さくなってきて、挙句の果ては袋いっぱいの「腐ったリンゴ」だけを手にし、居酒屋に入ってしまいます。

腐ったリンゴという負債を抱えたお父さんは、居酒屋にいたお金持ちのイギリス人の紳士たちに「あんた、帰ったらかあちゃんに怒られるぞ~」と散々からかわれます。ところがお父さんは平然と、うちのかみさんは「父さんのすることに、まちがいはない」って褒めてくれますよ、と言います。

そこで賭けが始まります。もしも本当にお父さんがおかみさんに怒られなければ、イギリス人は大升いっぱいの金貨を支払うと約束してくれたのです。

家で夫を迎えたおかみさんは、馬、牝牛、羊…と右肩下がりの情けない報告を聞くたびに、「すてきな考え!」「うまい取りかえっこ!」などとベタ褒めし、とにかく前向きな意見でひたすら夫を立てるのです。これを見たイギリス人、いたく感動します。

「ものごとは、いつも下り坂でさがっていくのに、いつも、うれしがっているとは! これは、たしかに、お金をはらう値うちがあるよ!」

(p. 69)

悲しいことや辛いこと――「下り坂」のご時世、常に苦難や逆境に立ち向かって生きる人間にとっては、日本のわらしべ長者のような夢物語よりも、デンマークの百姓夫婦のポジティブ思考を見習うほうが現実的ではありますよね。

もちろん、夢みたいな「夢」すらウットリ見ることの叶わない現実そのものは、やはり悲しむべきことだとは思うのですが。

何はともあれ、自分たちの下り坂の人生をとことん肯定した結果として、百姓夫婦はイギリス人から金貨をどっさり受け取ります。わらしべ長者と同じくハッピー・エンドとなったわけですが、貰った金貨を夫婦がどう使ったのかということについては一切触れずに物語は終わります。

立派なお屋敷を買ったのか、大きな畑を買ったのか、そういう後日談にアンデルセンは興味がなかったわけではないと思うのです。むしろこのお話の続きを、僕たち読者に自由に考えてみてほしい、そんなメッセージが込められているのではないかとも思うのです。

僕ならこの百姓夫婦に、手に入れた金貨でもう一度「馬」を買い戻させます。この馬は、貧乏だった時の彼らにとっても生活必需品ではなかった唯一の物であり、なおかつ近所の人たち(他人)の役に立っていた物です。

わずかな余裕でも、自分たちのためだけでなく、人のために使う。その気持ちを忘れなければ、いつか巡り巡ってさらに大きな形で見返りとして戻ってくるのかもしれません。

皆さんなら、この夫婦にどんな結末を思い描きますか?