「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」
第43回目。悔やんでも、悔やみきれない過去の人間関係を思い出すことがあります。あの時、ひどいことを言ってしまったな。あの時、どうしてもっとやさしくできなかったんだろう。そんなこと、今さら思い出しても過去は変わらない。それでも、時には思い出す勇気も必要なのかもしれない。これから先、二度と後悔したくはないから。……そんな気持ちにさせてくれた作品をご紹介します。
『夜の来訪者 (岩波文庫)』
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#43 プリーストリー 『夜の来訪者』 ~後悔と決意~
イギリスの劇作家プリーストリー(J. B. Priestley, 1894-1984)の代表作。戯曲ならではのテンポの良さと、スリラー仕立ての展開で結末までグイグイ引き込まれながらも、その読後感はずしりと重く、心に圧し掛かってきます。金持ちと貧乏人、資本主義と社会主義、そういった構図から読むよりも、僕はひたすら自身の経験と重ね合わせて内省する――道徳の教科書みたいな読み方になってしまいます。
出典:プリーストリー作/安藤貞雄訳 『夜の来訪者』 岩波文庫, 2007年第4刷
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舞台はイギリスのとある工業都市。経営者として成功を収めたアーサー・バーリングは、社会的地位と名声を手にし、ライバル業者の息子ジェラルドと自身の愛娘シーラの婚約も決まり、公私ともに順風満帆でした。
時は1912年、第一次世界大戦勃発の2年前。周辺諸国の緊張が高まる中、バーリングは戦争の予兆も、それに付随する労働問題にもいっさい目を向けようとせず、自分たち資本家がひたすら繁栄する世の中が続くだろうと楽観していました。
そのわたしに言わせれば、そういうばかげた、悲観的な話は無視すればいいんだ。
(p.17)
ネガティブなことを考えていても仕方が無い。バーリングのような実際的な人間に限らずとも、僕たち人間は、とりわけ何もかもが上手くいっている時ほど、自分や世の中の抱えている不安要素から目を逸らしがちです。
バーリング一家はシーラとジェラルドの婚約を祝って、自宅の食堂で内輪のパーティを開いていました。ご馳走を食べ、お酒もだいぶ回ってきた夜分、彼らのところに警部の男がとつぜん訪ねて来ました。
グールと名乗ったその警部は、つい先ほど街で起こった事件――ある貧しい若い女性の自殺について、聞き込み調査の協力を求めました。女性の名はエヴァ・スミス。最初は心当たりなどないと言っていたバーリングですが、やがて彼女が彼の経営する工場で働いていたことを思い出しました。
バーリングは、かつての従業員エヴァのわずかばかりの賃上げ要求を無下に突っぱねて、彼女を解雇していたのです。しかしそれは二年も前の話で、今夜の彼女の自殺とは「直接には」何の関係もないじゃないか、と抗議します。
(警部) いいえ、その点は同意しかねます。
(バーリング) なぜだね?
(警部) なぜなら、そのときその娘に起こったことが、その後に起こったことを決定したかもしれませんし、その後起こったことが彼女を自殺に追いやったかもしれないからです。事件の連鎖ってやつです。
(p.33-4)
この時点で僕がバーリングの立場ならば、やはり彼と同様、単なるこじつけだと言い張るかもしれません。過去の自分の(失敗を含む)さまざまな行動を、他人への影響といちいち関連付けて、それらすべてに責任を負い続けることなど不可能だと、そう思うわけです。
けれども僕たち読者は、バーリングのくだした解雇通告を発端として、エヴァ・スミスが最終的に自殺に至るまでの「確かな」事件の連鎖を目の当たりにします。そしてその連鎖には、バーリングだけでなく、バーリングの妻、娘のシーラ、婿ジェラルド、息子のエリックと、家族全員がもれなく関与していることを、グール警部は次々と暴露してゆくのです。
われわれは、責任を分かち合わなければならないのです。(・・・)われわれは罪を分かち合わなければならないでしょう。
(p.65)
エヴァの自殺の直接の引き金になった人物だけを事件の犯人だとすることもできる中で、その「犯人」が一家の誰であっても、罪の重さを分割するという点では、加害者側に対するある種の慈悲も含まれているのかもしれません。
しかし、このことだけは心に刻んでおいてください。一人のエヴァ・スミスは、この世を去りました――しかし、何千万、何百万という無数のエヴァ・スミスや、ジョン・スミスのような男女が、わたしたちのもとに残されています。かれらの生活、かれらの希望や不安、かれらの苦しみや幸福になるチャンスは、すべて、わたしたちの生活や、わたしたちが考えたり、言ったり、おこなったりすることと絡みあっているのです。(・・・)わたしたちは、おたがいに対して責任があるのです。
(p.125-6)
お互いに対する責任。とても重い言葉です。このような教訓を、具体的にどうやって実行すればよいのか。
――身内にも、そうでない人たちにも、誰に対してもやさしさを忘れずにいよう。たとえどんなに小さなやさしさでもいい、それが人から人へ伝わることで、一人でも多くの未来が、ほんのわずかにでも変わるかもしれないのなら。
ひとまずは、そう思いました。
今日はここまでにします。それでは。
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