ペット霊園にて

こんばんは。

今日13日の新潟は、予報よりはいくらかマシだったものの、寒さの一段と厳しい日でした。それを見越して、おとといの11日、少しでも天気のいい頃を見計らってある場所へ行ってきました。

ペット霊園の空

↑その場所に立ち、見上げた空です。

 僕が行ってきたのは、新潟のとあるペット霊園です。お墓ですから、撮影は控えました。

目の前には、手入れの行き届いた小さなお墓が並んでいます。それぞれの墓石に刻まれた可愛らしい名前やメッセージを見ていると、ご遺族の方たちの愛情が静かに伝わってきます。

 

去年の春、僕は19年を共にした家族(猫)を亡くしました。13日が月命日です。毎月ここにお墓参りに来るのですが、今月は悪天候を見越して11日にお墓参りを済ませてしまったので、せめて本日13日付で、ブログに記しておこうと思ったわけです。

猫

この子です。すっごい可愛くないですか。 たしかまだ2~3歳の頃に撮った写真です。

当時、僕は15、6でした。学校にも行かずにフラフラしていた時期です。いろいろありました。家庭崩壊の危機に直面しました。でも、↑この子がいてくれたおかげで、僕たち家族みんな、どうにか精神的に救われていました。本当に、感謝しています。

喪主である僕の稼ぎが悪いので、お墓は建ててやれませんでした。合同葬というかたちで、よその亡くなった子達と一緒に葬って頂きました。天国で、たくさんのお友達と仲よく暮らしてくれればと願うばかりです。

「こっちのことは、心配しなくていいよ。きみのおかげで、僕たち家族は今も仲よく暮らしてるから…」

また来月、今度はきちんと13日に行ければと思っています。

しめっぽい話でしたが、お付き合い頂きありがとうございました。

 

#2 アンダスン 『手』 ~僕ハ、見テイル~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第2回目。今回は、アメリカの小説です。

 


ワインズバーグ・オハイオ (新潮文庫)

 

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#2 アンダスン 『手』 ~僕ハ、見テイル~

シャーウッド・アンダスンSherwood Anderson, 1876-1941)は、20世紀アメリカ文学の礎を築いた作家でありながら、彼の影響を受けたとされるフォークナーやヘミングウェイらと比べると、知名度としては(少なくとも日本では)低いように思います。そんな「いぶし銀」の作家アンダスンの魅力を少しでも伝えたく、今回は彼の代表作である『ワインズバーグ・オハイオ』から、「手」という短編をご紹介します。

出典:アンダスン著/橋本福夫訳『ワインズバーグ・オハイオ』新潮文庫(平成4年41刷)

 

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 『ワインズバーグ・オハイオ』は、25編の短編から成る作品です。オハイオ州の「ワインズバーグ」という架空の町を共通の舞台に、そこに住む様々な人たち(おおむね、1編につき1人にスポットライトを当てて)の人間模様が、緻密かつディープな感じで描かれています。

全25編中、十数編のエピソードにくりかえし登場するのが、ジョージ・ウイラードという、地元の新聞記者の若者です。彼はいわば、『ワインズバーグ・オハイオ』全体の主人公であり、それぞれの物語に登場する町の住人たちとの関わりを通じて、僕たち読者のナビゲーターを務めてくれる存在なのです。

ただし、彼は「語り手」ではありません。我らがウイラード君もまた、僕たち読者にとってはワインズバーグのいち住人であり、その人間模様が観察されるべき対象なのです。

さて、今回ご紹介する「手(原題:HANDS)にて、ウイラードが関わるワインズバーグの住人は、ウイング・ビドルボームという老人です。老人、と書かれていますが、実際は40歳。ビドルボームという名前も偽名です。

ほかの住人に知られてはいけない過去を抱えたまま、町はずれの小屋に20年間ひとりぼっちで暮らす彼は、苦悩のゆえに実年齢よりもずっと老けて見えるのでしょう。太宰治『人間失格』の結末にも、同じような感じの描写がありましたよね。

そんなビドルボームにも、ワインズバーグでたったひとりだけ友達と呼べる人間がいました。ほかでもない、ウイラードです。ふだんは無口でおどおどしているビドルボームも、ウイラードの前では安心しておしゃべりになり、しきりに「手」を動かします。

これが、ビドルボームの大きな特徴です。彼の(体型は太っているのに)ほっそりとした繊細な手は、とてもよく動きます。内に秘めたさまざまな感情が手指に乗り移ったかのように、実によく動くのです。

「ウイング・ビドルボームの物語は手の物語なのである。今の彼の名前も(・・・)鳥の翼の羽ばたきのように、落ち着きなく動く彼の手の活動ぶりからついたあだ名だった。」

 (p. 15)

けれどもビドルボームは、自分の「手」を恐れています。情感たっぷりに動くこの「手」のおかげで、彼は過去に人々から誤解され、以前住んでいた町を追い出されてしまったのです。

ビドルボームの悲しい過去の詳細については、是非とも作品を読んで知って頂ければと思います。彼の被った「誤解」は、僕たちの生きる現代社会においても、もしかしたら身近に見聞きあるいは経験することかもしれません。

偽名で暮らすワインズバーグで唯一心を許し合えるかに思えたウイラードに対しても、結局ビドルボームは自分の過去への強いトラウマから本当の自分をさらけ出すことができず、逃げ帰ってしまいます。

そうして今夜もひとり、粗末な夕食のテーブルにつきます。食べ終わってから、テーブル下の床にひざまづき、落ちていたパンくずを丁寧に拾っては口に運ぶ……その「手」の動きがランプの明かりに照らされ…そして、物語は静かに終わるのです。

ひとりぼっちに戻ってしまったビドルボーム。そんな彼の姿を最後まで見つめ続けるのは、作者のアンダスン、そして僕たち読者だけとなりました。誰にも心を開くことができず、孤独に生きる人間。アンダスンは作家として、そういった人たちに寄り添っていたかったのだと、僕は思うのです。

「同情をもって物語られたとしたら、名も知れない人たちのなかにひそんでいる多くの不思議な美しい素質がひき出せるにちがいないのだから。」

(p. 15)

語り手のこの短い言葉に、少なくとも『ワインズバーグ・オハイオ』における、アンダスン文学の本質が示されています。僕自身、拙い作品を書くとき――自分が何のために書いているのか、見失いそうになった時――いつもこの言葉を胸に呼び起こしています。