クロズリー・デ・リラ ~パパのいた場所~ (1/2)

こんばんは。

前回の「おすすめ文学」ではフランスの作家モーパッサンを取り上げましたが、今回は僕自身が数年前に訪れたフランスについて、ちょっとした思い出話にお付き合いいただけたらと思います。

20代後半からずっと追い続けていた、作家になるという僕の夢。

そのスタート地点にようやく辿り着いた年――初めての自分の本を出版することができた、今から3年前の2012年のことです。かねてから、自分の処女作が世に出た暁には、どうしても行きたいと思っていた場所がありました。

クロズリー・デ・リラ

それがこちら。パリ南部、芸術の中心地モンパルナスの大通り沿いにあるカフェ、「クロズリー・デ・リラ(La Closerie des Lilas)」です。

モンパルナスは、僕の大好きな作家アーネスト・ヘミングウェイゆかりの地です。作家として身を立てる決意を固めた若き日のヘミングウェイはこの街にアパートを借り、「クロズリー・デ・リラ」で執筆に励んだのです。

店は手入れの行き届いた植え込みに囲まれていて、通りからはその外観を見ることがほとんどできません。パリのあちこちで目にする典型的なオープン・カフェとは趣が異なり、昼間の喧騒のなかでも清閑な雰囲気が漂っていました。

リュクサンブール公園

開店時間の1時間前にモンパルナスに着いてしまったので、カフェからほど近くのリュクサンブール公園まで歩き、噴水を眺めていました。内心そわそわしながら、腕時計を何度も覗いていた記憶があります。

カフェに入ったらお店の人に言おうと準備していた、「ヘミングウェイの座っていた席に案内してください。」という意味(のつもり)のフランス語を心の中で繰り返し練習しながら――

いざ、「クロズリー」へ……(次回に続く)

 

#4 モーパッサン 『初雪』 ~これが私の女心~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第4回目。今宵はフランスの、ある意味怖い話です。

 


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#4 モーパッサン 『初雪』 ~これが私の女心~

短編小説が好きな人間としては、モーパッサンを素通りするわけにはいきません。 フランス文学はあまり詳しくないので概説的な話はできませんが、その代わり純粋に僕の視点で本作品を語らせてもらえればと思います。

フランスのモーパッサンGuy de Maupassant, 1850-1893)という短命な作家の残した、簡潔でキレのある短編小説群。その中から今回ご紹介する「初雪(原題:Première Neigeは、作者の故郷ノルマンディが一部舞台です。タイトルに相応しい、はかなさと、ある種の潔さを読後に与えてくれます。こういう作品を紹介していると、「本」と「人」との出会いも一期一会なのだなと感じたりします。

出典:高山鉄男編訳『モーパッサン短篇選』岩波文庫(2002年第1刷)

 

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「紺碧の海」「白亜の別荘」「穏やかな陽気」――物語の冒頭に描かれる情景は、地中海に臨む南仏カンヌのクロワゼット通りです。季節は冬ですが、冷たい風も吹かず、家々の庭にはオレンジやレモンが実り、人々はのんびりと遊歩道をあるく。

そんな美しい町並みを、なんだかひとり、異様な雰囲気をかもし出している若い女が、海に向かってフラフラと歩いていきます。ちょっと近づいてみましょう。

「青ざめた顔つきは、まるで死人のようだ。咳きこむと、精も根も尽きさせるようなこの咳をとめようとするかのように、透けるほど白い指を口もとにもっていった。」 

(p. 130)

まるで南国に迷い込み病気になってしまった雪女のような、みじめな、この名前も語られない女性こそが、短編「初雪」のヒロインです。

彼女は肺を患い、冬の間、療養のためにカンヌに来ていたのですが、もはや治る見込みはありません。春が来る頃には、自分はもうこの世にはいない。そんなことを思いながら、彼女は穏やかな微笑を浮かべてこう呟きます――「ああ、わたしはなんて幸せなのかしら」(p. 131)

もともとパリ娘だった彼女が、小洒落たシニシズムか何かをきめこんで、このような台詞を口にしているわけではありません。彼女は本気で言っているのです。それというのも、彼女は夫のもとに――嫁ぎ先の北国ノルマンディに、文字通り死んでも帰りたくないからなのです。

パリで育った彼女にとっては、広大な農場と自然に囲まれた田舎貴族の古めかしい館に嫁ぎ、夫の他に話し相手もおらず、冬はじとじと雨ばかり降るノルマンディ地方で暮らすのは性に合わなかったのでしょう。

が、そこは問題ではありません。彼女の気持ちを理解し、寄り添ってくれる人間がひとりでもいたならば、ノルマンディとて住めば都となったはず。

その点、不幸にも彼女の夫アンリは全然ダメでした。狩猟だの農事だの、彼女には馴染みのない話題を一方的に押しつけ、ひとりよがりの幸福観に妻が同調してくれていると信じてやまぬオメデタイ人間なのです。

北国の厳しい冬の寒さに耐えかねた彼女が、部屋に暖房装置(スチーム)を入れてほしいと頼んでも、夫は「俺は平気だから」とか「ここはパリじゃないんで」と一蹴。自分の気持ちも理解されず、欲しい物ひとつ与えてくれない……

心の孤独は募るばかり。ノルマンディの冬がますます嫌いになってゆく。そうして、彼女の夫への恐ろしい愛の復讐劇が始まるのです。

「私は中央暖房(スチーム)の装置が欲しい。だからそれを手に入れてやる。暖房装置をつけざるを得なくなるほど、咳をしてやるのだ」

「咳をしなけりゃいけないんだ。そうすれば夫だって自分のことをきっと可哀相に思うにちがいない。それなら、咳をしてやろう」

(p. 142、下線部分は原典ルビ)

復讐ですから、仮病をつかうとか、そんな中途半端なものではありません。彼女は冬の屋外を裸足で歩いたり、素肌に雪をこすりつけたりして自らを痛めつけていくうちに、やがて本当に手の施しようがないほどの重篤な肺炎にかかります。

医者の命令で直ちに暖房が設置されましたが、もはや治療の役には立たず、彼女は暖かい南仏に送られ、あとは静かに死を待つばかりの身となったのでした。

「今ではもう女は死にかけていて、自分でもそれを知っている。それでも女は幸福である。」

(p. 146)

こう淡々と描かれると、読む側も「ああそうか、彼女は幸せなんだな。」と納得してしまいます。C’est la vie.(コレモマタ、人生)――そんな達観と共に、彼女に対する親近感すら湧いてきます。

彼女は、夫を心から愛していました。だからこそ、己の命をなげうってでも、夫を困らせ、苦しめ、振り向かせようとしたのです。そんな彼女に届いた、夫からの見舞いの手紙がこちらです。

「元気で過ごしていることと思う。さぞかし、ぼくらの美しい土地に早く帰りたいと、思っていることだろうね。(・・・)数日前から霜がおりだした。(・・・)ぼくはこの季節が大好きだ。だから、きみのあのいまいましい暖房装置は作動させないでいる……」

(p. 147)

この男、未だに何も分かっちゃいないのか、あるいは、妻の愛情表現に対する苦し紛れの皮肉をまじえた返礼のつもりなのか。それはもはや、夫婦同士にしか分かりませぬ。これ以上、立ち入るのも野暮かと。

確かなことと言えば、こういった類の駆け引きにおいては、男は女の足元にも及ばない、ということです。

ぜひ、ご一読ください。