川村清雄展 at 新潟市美術館

川村清雄展を見てきました。本日(12月20日)が最終日。どうしていつもぎりぎりにしか来れないのだろう。

 

川村清雄展(新潟市美術館)1

川村清雄(1852-1934)は江戸の生まれで、祖父は初代新潟奉行の川村修就です。清雄は明治の最初期にアメリカに渡り、その後フランス、イタリアで絵を学んだ近代日本洋画の草分けの一人です。

清雄の描く絵は、洋画とも日本画ともつかないミステリアスな作風のものが多いです。

水の都ヴェネチアの風景、滝や波など、水の描写が特に印象的で、水墨画みたいな雰囲気もあるんですけど、何というか、やっぱり「油絵」なんですよね。どんよりとした曇り空なんか、妙に新潟の天候を思い起こさせるのもおもしろかったです。

川村清雄展(新潟市美術館)2

じっくり見てると、すぐに日が暮れます。表の看板だけ見て帰ったわけではないですよ(笑)。いいとこだな、って帰り際にしみじみ思いながら。

今年のうちにあと一回、おすすめ文学書きます。クリスマスにちょうどよさそうな子供向けの古典をご紹介しますので、近いうちにまたお目にかかります。

それでは。

 

随筆部門にどうにか入賞しました。

もう一週間前の話です。

新潟市で毎年行われている「にいがた市民文学」という文芸公募があります。第18回を迎えた今年2015年の各部門の受賞作が決定し、去る11月22日に授賞式が開催されました。

僕もこの夏、随筆部門に作品を送っていたのですが、それがどうにか佳作(の中でもいちばん下でしょうね)に選ばれ、作品集「にいがた市民文学 第18号」に掲載されたというご報告です。

まずはこの場をお借りして、運営委員会・選者の皆様、支えてくださった方々にお礼を申し上げます。また、わけあって連日徹夜つづきの挙句に出席した授賞式の末席にて居眠りしていたこと、ここにおわび申し上げます。

よって、そんな不届きな人間の作品のPRなど致しません。 万が一ご興味のある方のみ、作品集の中の随筆部門、佐藤紫寿の頁をご自身でのぞいていただければ幸いです。

さて、思い起こせば今回の「にいがた市民文学」への応募は、過去に小説部門で入賞した5、6年前以来のことです。あの時のわたくし、作品集を手にして、おそるおそる自分の作品だけ読んで、あとは他のどなたの作品も読まずに放置しておりました。

当時は、同じ土俵に立つ方々の書いたものが読めなかったんですよ。特に、自分より上位の賞を受けた方々の作品に対して、いっちょまえに嫉妬心を燃やしていたようです。そんな自分を振り返るだけで寒気がします、本当に。

誰よりも自分は頑張っていると信じ込もうとして、その努力まがいの行為に見合う結果を高望みして、ひとり一喜一憂していたのでしょうね。あれから現在にいたり自分が劇的に成長した、などと申す気はこれっぽっちもありません。

ただ、少し変わったかな、と思えるのは――今は、作品集に掲載されている受賞者の皆さんの作品一つ一つが、とても楽しく読める、ということです。

また、同じ新潟市に暮らし、文芸創作に打ち込む仲間が(今回惜しくも入賞を逃してしまった方々を含め)こんなにもたくさんいるということが、何だかとてもありがたく貴重なことに思えるのです。

じっさい、僕はありがたい人生を歩ませてもらっています。自分の書きたいことしか書かないような独りよがりの人間が見捨てられもせず何人もの方々に支えられ、こうして時々は、発表の場まで与えられているのですから。

ああ、これ以上長くなるといけない。 もう一度、いろいろ考え直してみようと思う今日この頃でした。

最後になりますが、第18回「にいがた市民文学」にて受賞された皆さま、改めておめでとうございます。皆さまの文芸魂のこもった力作、毎晩一編ずつ、ゆっくりと時間をかけて読ませていただくことが、今の僕の楽しみです。

それでは。