#2 アンダスン 『手』 ~僕は見ている~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第2回目。今回はアメリカの小説です。

ワインズバーグ・オハイオ (新潮文庫)
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#2 アンダスン 『手』 ~僕は見ている~

シャーウッド・アンダスンSherwood Anderson, 1876-1941)は、20世紀アメリカ文学の礎を築いた作家でありながら、彼の影響を受けたとされるフォークナーやヘミングウェイらと比べると、知名度としては(少なくとも日本では)低いように思います。そんな「いぶし銀」の作家アンダスンの魅力を少しでも伝えたく、今回は彼の代表作である『ワインズバーグ・オハイオ』から、「手」という短編をご紹介します。

出典:アンダスン著/橋本福夫訳『ワインズバーグ・オハイオ』新潮文庫(平成4年41刷)

 

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 『ワインズバーグ・オハイオ』は、25編の短編から成る作品です。オハイオ州の「ワインズバーグ」という架空の町を共通の舞台に、そこに住む様々な人たち(おおむね、1編につき1人にスポットライトを当てて)の人間模様が、緻密かつディープな感じで描かれています。

全編中、十数編のエピソードにくりかえし登場するのが、ジョージ・ウイラードという、地元の新聞記者の若者です。彼はいわば、『ワインズバーグ・オハイオ』全体の主人公であり、それぞれの物語に登場する町の住人たちとの関わりを通じて、僕たち読者のナビゲーターを務めてくれる存在なのです。

ただし、彼は「語り手」ではありません。我らがウイラード君もまた、僕たち読者にとってはワインズバーグのいち住人であり、その人間模様が観察されるべき対象なのです。

さて、今回ご紹介する「手(原題:HANDS)にて、ウイラードが関わるワインズバーグの住人は、ウイング・ビドルボームという老人です。老人、と書かれていますが、実際は40歳。ビドルボームという名前も偽名です。

ほかの住人に知られてはいけない過去を抱えたまま、町はずれの小屋に20年間ひとりぼっちで暮らす彼は、苦悩のゆえに実年齢よりもずっと老けて見えるのでしょう。太宰治『人間失格』の結末にも、同じような感じの描写がありましたよね。

そんなビドルボームにも、ワインズバーグでたったひとりだけ友達と呼べる人間がいました。ほかでもない、ウイラードです。ふだんは無口でおどおどしているビドルボームも、ウイラードの前では安心しておしゃべりになり、しきりに「手」を動かします。

これが、ビドルボームの大きな特徴です。彼の(体型は太っているのに)ほっそりとした繊細な手は、とてもよく動きます。内に秘めたさまざまな感情が手指に乗り移ったかのように、実によく動くのです。

「ウイング・ビドルボームの物語は手の物語なのである。今の彼の名前も(・・・)鳥の翼の羽ばたきのように、落ち着きなく動く彼の手の活動ぶりからついたあだ名だった。」

 (p. 15)

けれどもビドルボームは、自分の「手」を恐れています。情感たっぷりに動くこの「手」のおかげで、彼は過去に人々から誤解され、以前住んでいた町を追い出されてしまったのです。

ビドルボームの悲しい過去の詳細については、是非とも作品を読んで知って頂ければと思います。彼の被った「誤解」は、僕たちの生きる現代社会においても、もしかしたら身近に見聞きあるいは経験することかもしれません。

偽名で暮らすワインズバーグで唯一心を許し合えるかに思えたウイラードに対しても、結局ビドルボームは自分の過去への強いトラウマから本当の自分をさらけ出すことができず、逃げ帰ってしまいます。

そうして今夜もひとり、粗末な夕食のテーブルにつきます。食べ終わってから、テーブル下の床にひざまづき、落ちていたパンくずを丁寧に拾っては口に運ぶ……その「手」の動きがランプの明かりに照らされ、そして物語は静かに終わるのです。

ひとりぼっちに戻ってしまったビドルボーム。そんな彼の姿を最後まで見つめ続けるのは、作者のアンダスン、そして僕たち読者だけとなりました。誰にも心を開くことができず、孤独に生きる人間。アンダスンは作家として、そういった人たちに寄り添っていたかったのだと、僕は思うのです。

「同情をもって物語られたとしたら、名も知れない人たちのなかにひそんでいる多くの不思議な美しい素質がひき出せるにちがいないのだから。」

(p. 15)

語り手のこの短い言葉に、少なくとも『ワインズバーグ・オハイオ』における、アンダスン文学の本質が示されています。僕自身、拙い作品を書くとき――自分が何のために書いているのか、見失いそうになった時――いつもこの言葉を胸に呼び起こしています。

 


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セレナイトと昼顔 ~ガラスとグラス~

「セレナイト」というパワーストーンをご紹介します。

セレナイト

 

真ん中の大きな白い石が、セレナイト(透石膏)です。周りにフローライト(蛍石)の小さな原石を3つ、アレンジしてみました。

セレナイトという名前は、ギリシア神話の月の女神セレネに由来します。「聖母マリアのガラス」とも呼ばれているそうです。とても傷つきやすい石で、先ほどの原石のものは、手に持っただけで指先にきらきらと石のかけらが付着することさえあります。

乱暴に扱っては勿論ダメ。水に濡らしても、手の脂が付いてもいけません。僕が持っている石たちの中でも一番取扱いに気を遣うのが、このセレナイト。だからこそ、愛おしい。淡雪のようにはかなく、それでいて凛とした光沢をたたえています。

話は少し逸れますが、「聖母のガラス」とは別に、「聖母のグラス」というものがあります。英語では「ガラス」も「グラス」も、同じglassですが、日本語(片仮名)で「聖母のグラス」と言うとき、それがセレナイトとは違うものを指すということを、グリム童話の「聖母の小さなグラス」という短いお話を読んで知りました。

こんな物語です(下記出典をもとにストーリー要約)。

…ぶどう酒を運ぶ荷車がぬかるみにはまり困っていた御者の男のもとに、聖母マリアがあらわれる。「ぶどう酒を一杯飲ませてくれたら、荷車が動くようにしてあげる」と言うのだが、盃(グラス)がない。そこで聖母マリアは、近くに咲いていた昼顔を手折って男に渡し、グラスのような形をしたその昼顔の花にぶどう酒を注いでもらう。聖母マリアがぶどう酒を飲んだ瞬間、荷車は動きだした…

(参考:橋本孝/天沼春樹訳『グリム童話全集』西村書店、2013)

花にワインを注いで女性に手渡すなんて、素敵ですねえ。それをいただくマリア様も、なんだかとっても可憐な感じがします。このお話が元となって、昼顔(セイヨウヒルガオ)が「聖母のグラス」と呼ばれるようになったのだそうです。

パワーストーンの話から、文学の話に脱線してしまいました。物書きのはしくれとしては、それで良かったのです。読んで頂きありがとうございました。

ではでは。

 

グリム童話全集
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