奇書カクテル

積読(つんどく)になりがちな自分を律するために、2、3冊ずつまとめて同時に一気読みすることがあります。本当は1冊ずつじっくり読みたいのですが、積読状態から抜け出すための荒療治として、時折やむなく行っています。

そんな感じでここ一週間、3冊の本を読み終えました。読み終えて、こういう本たちこそ個別に丁寧に読み込むべきだったと後悔しています。

まず1冊目。

デミアン (新潮文庫)
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これは以前読んでいたはずの作品でしたが、内容はほとんど忘れていました。難しくて読み切れなかったのでしょうね。今回も苦労しましたが、ヘッセの作品の中で僕の好きな『シッダールタ』(おすすめ文学#54)に通じる部分もあったので、多少は分かった気にはなれました。

読み解く手がかり自体はたくさん出てきます。「善と悪」、「天国と地獄」、「歓喜と戦慄」など、通常は対立して相容れないと考えられるこれらの要素が、作中人物たちの追求する精神世界においては渾然一体となって存在するようです。

「そうだし、またそうでもない。」というデミアンの台詞にあるように、物事を白黒つけずにあらゆる角度から分析します。対極のさなかで揺れ動くものに真実を見定めようとする姿勢こそが本当の知識人のそれなのかしら、とぼんやり考え読了。

頭痛に悩まされながら、2冊目。

鏡のなかの鏡―迷宮 (岩波現代文庫)
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児童文学の名著『モモ』で知られるミヒャエル・エンデの作品です。これも児童文学という勝手な先入観があり、『デミアン』で疲れ切った頭を休めるために読んだのが失敗でした。表面上は支離滅裂な展開がバトンタッチされていくような短編の連作で、どうにも一筋縄ではゆかぬ怪作でした。

ただ、奇しくも『デミアン』と似たテーマを扱っているような気もしました。つまり、例の対極です。展覧会のお話が多少分かり易かったです。「卵と枯葉」を並べただけのオブジェ作品などは、「生と死」の象徴ということなのでしょう。

思考の迷宮から抜け出せないまま、3冊目。

六号病棟・退屈な話(チェーホフ)
六号病棟/退屈な話 (岩波文庫)
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タイトルだけ見ても、先の2冊との組み合わせという点では嫌な予感がしました。その予感は、半分当たりました。「六号病棟」などは、はっきりとした起承転結があるので、読みにくくはなかったです。繊細だがきわめて正常な思考を持った医者が周囲から狂人扱いされるという話で、これまた対極のテーマ。デミアンと迷宮のデジャブです。

もう勘弁してくれ。

強烈な3冊をイッキ飲みしたものです。奇書のカクテルに脳がやられかけました。積読の報いか。そもそも僕の読書力は、まだまだこんなものなのでした。

それでは、今日はこれにて失礼いたします。

 

#54 ヘッセ 『シッダールタ』 ~我が道を行く~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第54回目。何が正しくて、何がまちがっているのか。誰かに確実な方法を教えてもらいたい――正解か不正解の2択にこだわっている時の自分は、得てして視野が狭くなっています。僕自身、そんな時に読み返したくなる本をご紹介したいと思います。

シッダールタ (新潮文庫)
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#54 ヘッセ 『シッダールタ』 ~我が道を行く~

ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセHermann Hesse, 1877-1962)の代表作の一つ。シッダールタというタイトルから、仏教の祖である釈迦の出家前の名前を思い浮かべると思います。けれどもこの物語の主人公シッダールタは、釈迦とは別人です。釈迦(仏陀)と同じ時代を生きたシッダールタという名の架空の人物が、自身のバラモンという最高位の身分を捨て、悟りの境地を模索する姿を、僕たちと同じ等身大の人間の視点から描いた作品です。

出典:ヘルマン・ヘッセ作/高橋健二訳 『シッダールタ』 新潮文庫, 平成25年・第72刷

 

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バラモン(司祭の階級)の子シッダールタは誰からも愛される聡明な若者で、聖典をよく学び、神々の創造した世界について日々思索をめぐらせていました。しかし彼は自身の生活や世の中について、それまでの環境で学んできたことだけで答えを見出すことに疑問を感じていました。

バラモンとその聖典は、なんでも知っていた。(・・・)しかし、そういういっさいを知ることに価値があったろうか。もしも一つのもの、唯一のもの、最も重要なもの、ただ一つ重要なものを知らないとしたら。

(p.12)

周囲には師と仰ぐ立派な人たちが多くいましたが、そんな彼らもまた、何かを求めて悩み考える道半ばの個人でしかないと考えたシッダールタは、「唯一のもの」を求め、生家を出て沙門(修行者)となる決意を固めます。

親友のゴーヴィンダと共に沙門の道を歩み始めたシッダールタは、やがてゴータマ(仏陀)という賢者が人々に教えを説いていることを知ります。感銘を受けたゴーヴィンダは仏陀の教えに帰依します。しかしシッダールタは、仏陀の教えを最上のものとして賛美しながらも、彼のもとに留まろうとはしませんでした。彼は仏陀にこう言いました。

あなたが仏陀であることを、あなたが目標に到達したことを、(・・・)私は一瞬たりとも疑いませんでした。(・・・)それはあなた自身の追究から、あなた自身の道において、(・・・)認識によって、悟りによって得られました。教えによって得られたのではありません! それで、私もそう考えるのです。(・・・)何ぴとにも解脱(げだつ)は教えによっては得られないと!

(p.48)

シッダールタは仏陀の教えを否定したのではありません。仏陀が自身の思索や苦行の末に悟りを開いたように、シッダールタ自身も、誰かの示した道ではなく、自分の道をひたすら進み続けることによって彼なりの結論に達したいと考えていました。彼にとっては、「いっさいの教えと師を去って、ひとりで自分の目標に到達する」ことが、悟りへのただ一つの道だったのです(p.49)。

友と別れ、師から離れたシッダールタは俗世間に出て、そこで遊女カマーラと出会います。高級娼婦である彼女の愛を勝ち得るために、彼はそれまでの貧しく禁欲的な沙門の生活から一変、町でいちばん裕福な商人のもとで働き始め、実業家としての才覚を発揮し成功を収めます。

商売に勤しみ、ぜいたくな暮らしをし、女性の愛に満たされていたシッダールタですが、やがてその生活にも虚しさを感じ始めます。多忙と享楽の人生は、いわば「遊戯」であり、延々と繰り返される「輪廻」であった。そのサイクルに自ら終止符を打ち、彼は家を捨て、町を捨て、あてもなく森の中をさまよい歩きます。

自分はもはやもどることはできない、長年いとなんできた生活は過ぎ去り、嘔吐をもよおすほどに味わいつくし、吸いつくした、(・・・)彼はもう飽き飽きしていた。みじめさと死とでいっぱいだった。彼を誘い、喜ばせ、慰めうるものは、この世にもう何ひとつなかった。

(p.110-111)

一時は死を望んでいた彼でしたが、再び悟りを模索すべく森に留まります。そして以前知り合った渡し守ヴァズデーヴァの世話になり、川のほとりでの穏やかな生活を送った末、流れゆく川のようにあるがままを受け容れる境地に辿り着いたのです。彼は再会した親友ゴーヴィンダに、自身の世界観を語ります。

世界は不完全ではない。完全さへゆるやかな道をたどっているのでもない。いや、世界は瞬間瞬間に完全なのだ。あらゆる罪はすでに慈悲をその中に持っている。(・・・)それゆえ、存在するものは、私にはよいと見える。(・・・)いっさいはただ私の賛意、私の好意、愛のこもった同意を必要とするだけだ。

(p.183)

世の中はどこに向かって、どう動いていくべきなのか。何が正しくて、何がまちがっているのか。そういった事象や選択に一喜一憂するのではなくて、今この瞬間に存在し、起こっている物事のいっさいには意味があり、慈悲があり、そして愛が介在していることに思いを馳せてみる。

おだやかな流れ、激しい流れ、水が見せるあらゆる様相が世の中の断片であり、それらが川という一つの道に集約されている。僕たちが目にしているその流れの一瞬一瞬こそが、既に完成された世界であり、受容に価する人生である。おそらくはそういうことなのでしょう。

シッダールタがこのような結論に辿り着き、彼の目指すところの「唯一のもの」を知り得たのは、かつて俗世間において様々な人生経験を積んだことが大きかったのではないでしょうか。若き沙門の頃、もしも彼が何の疑問も抱かず仏陀の弟子になり、彼の教えに忠実に従い続けるだけの人生を送っていたなら、彼は仏陀の提唱する救いの中では幸福になれたかもしれません。

しかしシッダールタ自身が純粋に疑問を抱き、目指すべきと感じていた道筋はそこで閉ざされてしまい、ありのままの自分を生きることは叶わなかったはずです。彼は他人から学ぶよりも、あらゆることを体当たりで経験する生き方を選びました。彼はこう考えます。

「知る必要のあることをすべて自分で味わうのは、よいことだ」

(p.126)

紆余曲折の道のりに、無駄なことなど何ひとつない。むしろ、それらの血の通った経験の一つ一つから、その人にしか語り得ない真実、というか人生の醍醐味を見出すことができるのだと思います。

濁流のごとく時の過ぎゆく不透明な時代において、僕たちは常に正しい答えやよりよい方法を最速で得ることを意識するあまり、他人の提唱する情報や意見に惑わされがちです。そんな中でも、まずは自分の軸をしっかりと持って、自分自身の経験として成功も失敗も等しく積み重ね、そこから己の目指す道を確立していけたなら……この作品を読み、そんなふうに思わされます。

ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』、是非とも読んでみてください。

それでは。

 


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