#39 ヘミングウェイ 『キリマンジャロの雪』 ~俺は、書いていたい~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

39回目。更新が2か月以上も滞っていました。この冬の大雪と重なって、個人的にもあれこれ雑務に忙殺される日々が続き、ブログも創作も冬眠状態でした。書きたくても、書けない――救いを求めるような心に浮かんだのが、ヘミングウェイのこの作品です。

勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪: ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)
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#39 ヘミングウェイ 『キリマンジャロの雪』 ~俺は、書いていたい~

以前ご紹介した『ギャンブラーと尼僧とラジオ』同様、ヘミングウェイの作品の中では、この『キリマンジャロの雪 (The Snows of Kilimanjaro)』も学生当時はいまいちよさが分かりませんでした。それが今、自分なりの感動をもって読めるのは、それだけ僕自身の人生が良くも悪くも幅が広がったということでしょうか(笑)。悩みや迷いが増すほどに心に寄りそってくれるブンガクは、やっぱり有難いですね。

出典:高見浩 訳 『勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪 ―ヘミングウェイ全短編2―』 新潮文庫, 平成15年第9刷

 

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裕福な妻と出会い、セレブの社交生活に溺れ、小説を書かなくなった中年男ハリー。己の半生を自虐的に見つめながらも、心機一転、作家として再起するべく妻ヘレンを伴い訪れたアフリカの地。そこで彼は足に大怪我を負い、生死の縁をさまよっていました。

彼は再スタートを切るべく、(・・・)安楽さを最小限に切りつめて、このサファリにやってきた。(・・・)ちょうどボクサーが山中にトレーニング・キャンプを張って肉体にこびりついた脂肪を焼き尽くすように、自分もそうして、己の精神にこびりついた脂肪をそぎ落せるのではないか、と思った。

(p.335)

にもかかわらずハリーは今、野営地の簡易ベッドに瀕死の身を横たえ、妻と現地人の世話係に囲まれ、ブワナ(スワヒリ語で旦那様)と呼ばれ手厚い介抱を受けている。新しい人生への希望も失い、古い人生との決別もかなわず、彼はなすすべもなく終わりの時を待っているのです。

彼のこの苦しみは、妻に理解されることはありません。彼女はただ、自分の愛する人間に生きていてほしいと願うばかりで、夫が時折むなしく口にする「おれは書きたいんだ」という執筆への命がけの意欲の言葉をほとんど聞き流しています。

金持ちのパートナーが、自分をだめにした。彼女との安楽な生活が、作家に必要不可欠なハングリー精神を奪ってしまった。そんな妻に対してハリーは怒りをぶつけ罵倒します。しかし心の底では、やはり悪いのは自分自身だと考えているのです。

あいつがおれに贅沢な暮らしをさせてくれるからといって、どうしてすべてをあいつのせいにする? おれは自分で自分の才能をぶち壊したのだ。そう、それを使わないことによって、自分と自分の信念を裏切ることによって。

(p.335)

人は時に自分の人生がうまくいかないことを周囲の人たちのせいにして、己の不遇を正当化しようとあがきます(僕だけじゃないはずです)。自分の才能や可能性なのだから、自己責任でマネジメントするのは当然かもしれません。けれどもその当たり前のことが、いつだって、ものすごく難しい。

ハリーの心境は、一言でいえば自己嫌悪です。そしてその苦悩の核になっているのは、彼が思いのまま作家として生きることにより他の人間を巻き込み、時として深く傷つけてしまう、そのことへの恐れなのだと思います(作家は身内を食うものだという井伏鱒二の言葉が思い出されます)。

「退屈だ」声に出して、彼は言った。

「何が退屈なの、あなた?」

「おれは何をするんでも、時間をかけすぎるんだ」

(p.357)

そう、ハリーの旦那。あんたは、やさしすぎる。何をするんでも、じっくり時間をかけて配慮してからでなければ、どこにも一歩も踏み出せやしない。皮肉なことに、それこそが作家としての歴然たる資質なのだけれども――そのやさしさ故に、やはりあんたは作家には向いていない。

そんな戯言を、ひよっこの僕に言われたところで、きっとハリーの旦那は相手にもしないでしょうね。それでもさらに言わせてもらえるなら、そうやって苦悩すること自体が立派な創作行為なのだと……僕は最近、何となくそう思うようになりました。

ああ、もうこんな時間(1:30 am)です。そろそろウイスキー・ソーダが飲みたくなってきたので、本日はこれにて失礼いたします。

もしよければ、グレゴリー・ペック主演の映画版も見てみてください。たしか、原作と結末が微妙に違っていたような(?)記憶があります。

それでは、久々の更新にもかかわらず読んでいただいた皆さん、心より感謝いたします。

次回はもっと早くに更新しますね(笑)。

 


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#28 ヘミングウェイ 『ギャンブラーと尼僧とラジオ』 ~聞こえるか、聞こえないかの慰め~

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28回目。ヘミングウェイの作品は二十代の頃に一通り読んでいて、自分の中で好きな作品がほぼ固まっていたつもりだったのですが、やっぱり年を重ねると変わるものですね。当時は1、2回読んで「?」だった作品の面白さが少しだけ分かった気がしたので、今回はその一つをご紹介したいと思います。

勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪: ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)
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#28 ヘミングウェイ 『ギャンブラーと尼僧とラジオ』 ~聞こえるか、聞こえないかの慰め~

「ギャンブラーと尼僧とラジオ (The Gambler, the Nun, and the Radio, 1933)は、ヘミングウェイが三十代の時に書いた短編の一つです。はじめて読んだときは、世界恐慌下の1930年代当時の世相を反映させたような重苦しい雰囲気が作品の端々ににじみ出ていて、正直取っつきにくいなと思ったものです。

その印象は、今読んでみてもあまり変わることはありません。でも、その世界に生きる登場人物たちの抱く思想に僕自身いくらかは理解が及ぶようになったことと、登場人物たちの繰り広げる人間模様にある種の救い(温かみ)を感じられたことは、再読して得たうれしい発見でした。

出典:高見浩 訳 『勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪 ―ヘミングウェイ全短編2―』 新潮文庫,平成15年第9刷

 

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物語の舞台は病院。落馬して足を折ったフレイザー氏、拳銃で撃たれ重傷を負ったメキシコ人ギャンブラーのカイェターノ、病院に出入りする尼僧のシスター・セシリアが、主な登場人物です。

3人とも、言わばそれぞれ孤独な人たちです。

神経衰弱のフレイザー氏は、一晩中一人きりの病室でラジオを聞いています。カイェターノには同郷の友人が一人もおらず、死ぬかもしれない大怪我なのに誰にも見舞いに来てもらえない。陽気なシスター・セシリアは、彼女をよく知らない人からは「すこし左巻き」と思われています(p. 196)。

そんな彼らの個性的なキャラに注目して読むのも良いのですが、僕が面白いと思ったのは、登場人物たちを取り巻く状況において「彼らに不足しているものが何らかの形で補われている」という構図です。

たとえば、友達のいないカイェターノには、彼に同情したシスター・セシリアの計らいでメキシコ人の見舞客が(サクラみたいなものですが)寄こされ、礼拝堂でのお祈りが忙しくてフットボールのラジオ中継が聞けない彼女のためには、フレイザー氏が看護婦を介して試合経過を逐一伝えてやるのです。

足を怪我して移動することのできないフレイザー氏は、ベッドの中で各局のラジオ放送を聞いて、遠く離れた現地の情景を頭に思い描きます。

午前六時ともなると、ミネアポリスの、朝の陽気なミュージシャンたちの放送が聞こえる。(・・・)フレイザー氏は朝の陽気なミュージシャンたちがスタジオに到着する様子を思い浮かべるのが好きだった。(・・・)フレイザー氏はこれまでミネアポリスにいったことはないし、今後もきっといくことはないだろう、と信じていた。が、あれほど早い朝の様子がどんなものか、想像はついたのである。

(p. 186-87)

自分に足りないものや近くにないものがそっくりそのままの形で補われるわけではないにしても、何かしらの代替的な救済がなされる。それはフレイザー氏が真夜中に聞く音量をしぼったラジオのように、耳を澄ませば、生きることの希望のような音がかすかに聞こえてくる。そんな感じでしょうか。

たとえ彼ら登場人物たちが心底満たされることはないにしても、それをしみじみと噛みしめる程度には、人生に望みを託すことはできるのかもしれませんね。それが人生なのだと、ヘミングウェイが考えていたかどうかは分かりませんが。

「ギャンブラーと尼僧とラジオ」 、ぜひとも読んでみてください。

それでは、今日はこの辺で<(_ _)>

 


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