#53 ブッツァーティ 『道路開通式』 ~道なき道~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第53回目。度々更新が滞っております。こんなことならもう書かなくても一緒だろうと弱気になりつつも(笑)、やはり書ける限りは続けたい。一度決めた自分の道を進むことの難しさ、その意味について、今回は敢えてシビアな世界観で伝えてくれる作品をご紹介します。

道路開通式
七人の使者・神を見た犬 他十三篇 (岩波文庫)
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#53 ブッツァーティ 『道路開通式』 ~道なき道~

イタリアの作家ブッツァーティDino Buzzati, 1906-72)の短編小説。以前「神を見た犬」という作品を少しだけご紹介しましたが、同じ岩波文庫の短編集に収録されています。世の中や人生の在り様を象徴的に描くシュールで謎めいた作風が特徴です。今回ご紹介する作品の「道」というテーマに、皆さんは何を見出すでしょうか。

出典:ブッツァーティ作/脇功訳 『七人の使者 神を見た犬 他十三篇』 岩波文庫, 2014年第2刷

 

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時代は19世紀半ば。首都から80キロ離れた国境近くの荒野のど真ん中に、サン・ピエロという町がありました。その町と首都とを結ぶ道路がつくられ開通式が行われることとなり、内務大臣のモルティメール伯爵は祝典に出席するためサン・ピエロへの道のりを旅することになりました。

開通祝賀の旅は、道路がまだすっかり完成されてはいず、サン・ピエロ側の最後の二十キロが大ざっぱな石ころ道のままだということだったが、工事の責任者が馬車で終点まで行けるだろうと保証したので、挙行された。

(p.237)

そもそも道が完成されていないのに、開通式を執り行うというのも妙な話です。しかし統治者の決定事項を遅らせることはできず、サン・ピエロの人々の期待も裏切ってはならないという国としての矜持を優先し、伯爵一行は4台の馬車と護衛隊を伴い、予定通り辺境の地へと向かいます。

旅は最初こそ順調でしたが、道路が未完の地域まで来ると状況は一変します。見渡すかぎり赤茶けた不毛の大地が続き、馬車は悪路に何度もひっくり返りそうになります。そしてあろうことか、でこぼこだらけの道路ですらも途切れてしまい、そこから先は全く道がないという事態に直面するのです。

工事が勝手に中断されていた事情を問おうにも、同行していたはずの工事責任者はいつの間にか脱走していました。どこへ行けばいいのか分からない状況で、モルティメール伯爵の同行者たちは口々に首都に引き返すことを主張しますが、伯爵は頑として聞き容れません。

モルティメール伯爵は大声で先へ進むんだとその固い決意を披瀝した(・・・)たとえ歩いてでも、と。サン・ピエロでは住民たちが待ちかねている、貧しい人びとが立派な祝典を準備するために莫大な費用を負担したのだ、ほかの者たちは引き返すがよい、だが自分にとっては、これは果たすべき貴い義務なのだ、と言うのだった。

(p.242)

伯爵は二人のお供だけを従え、後は馬車も人も返してしまい、岩だらけの荒野を歩き続けます。ようやく一行は土地の老人に出会います。伯爵は老人にサン・ピエロはまだ遠いのかと尋ねます。しかし老人は、「サン・ピエロなんて町は聞いたことがない」と答えるのです。……

自分を待っているはずの町の人たちのため、モルティメール伯爵は己の信念を曲げませんでした。しかし進めば進むほどに町は遠ざかり、果てはサン・ピエロという町の存在すらもほとんど非現実のものとなってしまう。物語の最後で伯爵は、お供の二人にこう告げます。

「さて、あんたがたは私のためにずいぶんと犠牲を払った。明るくなり次第、二人はもう引き返したまえ。私はまだ先へ進むつもりだ。たどりついても今さら遅すぎることはわかっている。でも、むこうの、サン・ピエロの連中が私を待っていてくれたのを無駄にはしたくないんだ。(・・・)」

(p.246)

この先、おそらく彼は目的地に到達できず、荒野の真ん中で孤独に力尽きるのではないかと想像できます。不可能だと分かっている状況でも、進み続けることの意義とは何でしょうか。

この物語は、めまぐるしく変化する世の中の、国の政策や経済活動などにおける見切り発車的な改革や進歩のプロセスなんかを風刺しているとも読めます。けれども、世情に疎い理想主義者の僕などは、やはり個人の生き方という視点でこの作品を読んでしまいます。

努力すれば必ず報われる、などという考えは、この作品の世界観のみならず、僕自身の人生においても、じっさい放棄されつつあります(苦笑)。明らかに無茶・無謀・無理・無意味・無駄、そういう未来を自ら描かざるを得ない現状で、それでも進み続けることを己に課して生きている。大げさかもしれませんが、これが現実だったりします。

だからこそ、僕は文学に救われています。モルティメール伯爵のごとき作中人物がいて、それを生み出した作者がいて、それを受け容れる読者がいる。それだけで何故か今日も、そして明日も頑張ろうと思える。他人に強いたり勧めたりする生き方とはとても言えませんが、それがどうしても必要な頑固者にとっては、やはり有難いものです。

……道なき道にも、道しるべは、ある。

それでは、今日はこれで失礼いたします。

 


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一酔千日 ~今年もありがとうございました~

今年も残すところあとわずか。ようやく一息つけました。

とりあえず、飲みましょうか。

フォアローゼス1

今年は、どんな一年でしたか。

いえ、どんな一年なんて、無理やりこの時期で区切ることもないですよね。

どこで区切りをつけるかは、人それぞれ。年の瀬だろうと何だろうと、誰かが何かの目標に向かって走り続けているのなら、その人は他のみんなと一緒に立ち止まることもないわけです。

フォアローゼス2

その反面、ことあるごとに立ち止まりたくて仕方がなくなる時もある。僕だけじゃないはずです。

信じる生き方は、ある。でも、その周りに確固たる現実があって、そのまた周りに時代があって――視野を広げれば広げるだけ、ただでさえちっぽけな自分自身を見失う。

そうして本当の自分を見つめ直すために、あえて背伸びをして壁に挑み、よじのぼり、その先に見えてくる未知なる自分の姿――信じた可能性の分だけ幾重にも屈折した自身の姿を、万華鏡のようにのぞき込む。

故に、美しきかな、この世界(笑)。

複雑さを楽しもうとすれば、いくらかは救われるようです。みんな、この複雑さを楽しんでいるのかな。それならそれで、人のたくましさだと言い切った方が、むしろ希望が持てますからね。

イタリアの作家ブッツァーティの短編「神を見た犬」を、ふと思い出しました。

道路開通式
七人の使者・神を見た犬 他十三篇 (岩波文庫)
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神を信じない町の住民たちが、神の存在におびえるという奇妙な話。

本当は自堕落な生き方をしたいのに、信じる気もない神の罰におびえ続け、しかもそのことは互いにひた隠しに隠し、何食わぬ顔で生きている人間たちが描かれています。

こういうのって、すごく現代的だと思います。

でも、こんなふうにして幾重にも心に膜を張らなければ、人は生きていけないのかもしれませんね。

結局のところ、誰にも理解されない「かもしれない」、自分の中の核、本当の自分を守るために。

フォアローゼス3

お酒をいただいている時は、それでもいくらかは素直になれるような気がしませんか?

特に一人で飲んでいる時にふとこぼれ落ちる一言が、何よりも真実味のある今の自分の有り様を言い得ている。

でもそれは、誰も聞いていないからこそ言えることだし、夜が明けて眠りから覚めれば、口にした本人もけろりと忘れている。

フォアローゼス4

少し飲み過ぎて、グラスの周りに妖精が見えてきました。今日は、ぐだぐだ書かせていただきました。

それでも、節目で立ち止まり、世の中の喧騒のさなかで自分自身を静かに見つめ直していたい。そう思っている誰かのためにこんな文章を書いてみました、などと言ったなら、少しは喜んでいただけるものでしょうか。

酒の肴にもならんですか(笑)。

それは失礼いたしました。でもこれこそが、僕の書いているもの。これからも書き続けていきたいものですから、どうぞ悪しからず。

あとはもう、何も考えないで、ゆっくり休みましょう。あたたかくしてお過ごしください。

今年も一年、誠にありがとうございました。

それでは、また。