英検1級、二次試験にて堂々の不合格

2020年10月、英検1級の一次試験に初めて合格しました。そして11月8日の日程で、準備も慌ただしく二次試験を受け、本日、不合格の結果を知りました。

まさに今の僕の実力&予想通りの結果で、残念ではあるけれど妙に納得しています。ご参考までに、スコアは40点満点中24点、その内訳も至極もっともな感じでした(スピーチ5・インタラクション7・文法と語彙6・発音6)。

明らかに、このスピーチの5点が足を引っ張ったわけですが、身に覚えがありすぎたので、ありのままにご報告します。同じ苦難を経たみなさんにご笑読いただき、こんな奴もいるのだからと勇気を与えることにでもなれば、これ幸い。

結論から言うと、スピーチの持ち時間である2分を自らぶった切って中断した、というものです。こんなトピックで話せたらいいな、と準備していたヤマがことごとく外れ、苦し紛れに選んだ題材だったとはいえ、それ以前の問題でした。

緊張や動揺は、思ったより無かったのです。四十近くにもなると、妙に図々しくなるようです。諦念というやつでしょうか。口から出任せの、内容の薄い意見をぽつらぽつらと語り、早くもネタが尽きかけてきたと観念するや否や、集中力やら忍耐やらの糸が、ふっと切れたような気がいたしました。

時間は、まだ1分を過ぎたくらいだったと思うのですが、Well, I guess this is the end of my speech.(さて、私のスピーチはこれにて終わりのようです。)と静かに言い放って、そこで終了。自分でも、おや?と思いましたが、何故だか怖いくらい落ち着いていて、この奇行を以て堂々と締めくくったのを覚えています。

その後の質疑応答については、特に語ることはありません。スコアを見る限り、極端に悪くもないようですが、いかんせんこちらの話している内容が薄いのと、おかまいなしに適当にしゃべり続ける軽薄な自分を心の底で面白がっていたのを、かすかに記憶しています。

緊張しすぎたのが一周して、変な方向に肝が据わってしまったのかな、とも思いますが、とにかく不思議な感じでした。試験には落ちましたが、新しい自分を発見することができました。実人生において、せいぜい有効活用しようと思います。

今はひとまず、ほっとしています。また小説を書ける、という喜びだけです。次回も諦めずにチャレンジ! と力強く断言する気はさらさらありません。人生そのものを圧迫する準備の大変さを思うと、もう二度と御免こうむりたいのが本音です。嫌なものは嫌と言い張るおじさんを、どうか笑ってやってください。

それでもきっと、いつかまたチャレンジするのだと思います。気負わずに、マイペースで。同じ試験を受けたみなさん、本当にお疲れ様でした。結果はそれぞれだと思いますが、どうか今回の僕の奇行に免じて(笑)、ご自身のこれまでの努力をご自身で労ってあげてくださいね。

それでは。

 

戦時中に生まれたお伽話

6月に受けた英検は不合格でした。英検バンドという得点の目安みたいなものによると、「G1-2」とのこと。一次試験合格まであと2歩という意味のようです。昔の英検にはこんなの無かったですよね。今度から僕には不合格とひと言伝えてもらえれば十分です(笑)。

さて、戦争を振り返る時期として、テレビでも連日様々なドキュメンタリー番組を目にします。戦後75年。戦争体験者が年々少なくなっていく中、その思いを受け継ぐ世代の共感力と想像力がいよいよ問われているのだと痛感します。文学は、その一助に必ずやなると思っています。

この時期に読みたい太宰治の『お伽草紙』をご紹介します。

お伽草紙 (新潮文庫)
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浦島太郎やカチカチ山など、誰もが知っている4つの昔話のリメイク的作品集です。これらの作品は、意外にも戦争末期の昭和20年3月から7月にかけて書かれたものです。空襲に見舞われるさなか、作者が防空壕の中で子どもに昔話を読み聞かせていた時に着想を得たと言われています。

苦しい状況下でも作家としての本分を貫いた、まさに命がけの作品です。むしろ死を身近に感じることで生まれる、すべてを悟ったような落ち着き(作中の言葉を借りれば「聖諦」)がそうさせるのでしょうか、太宰の作品の中でもとりわけ明快なユーモアに富んだ作風になっていて、読む者の心をほんわかと和ませてくれます。

あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、そうして、いじめている相手は子供だったからでしょう。亀と子供じゃあ、その間にはいって仲裁しても、あとくされがありませんからね。

(平成30年85版、p.292)

僕が一番好きな「浦島さん」はこんな感じです。この亀が、上記のごとくべらべらとよく喋る大変な理屈屋で、頭の回転がおそろしく速い。助けられた身の遠慮などどこ吹く風で、恩人の浦島をコテンパンに論破しまくるのです。

亀の言葉で名言集が作れそうなほど、読んでいて何度もはっとさせられます。そこには、作者の体験者としての戦争への思いも見え隠れしているように思います。是非とも読んでみてください。

話を私事の英検に戻して恐縮ですが、次回の受験も申し込みました。今は今で大変な時代ではあるけれど、自分のやりたいことに挑戦できる環境にあることを当たり前と思わず、覚悟を決めて勉強を続けます。亀の言葉も後押ししてくれます。

疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちゃんときめられてしまうのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やってみるのは、やったのと同じだ。

(p.295)

自分が今やっていることに、あと少しばかりの強い信念が欲しい。僅差であれば、合格か不合格かの違いはそんなところにあるのかもしれません。

それでは。