最後まで読みました。あとはもう、僕の理解不足で語り尽くせなかった宮原作品の本来の魅力を、皆さん各々で見つけてくださることを祈るばかりです。
前回に続き、宮原昭夫小説選、読書レポート第6弾(最終回)です。
2000年代に発表された2作品が選集のフィナーレを飾ります。どちらもごく短い物語ですが、長い執筆の歴史とともに円熟を重ねた一文一文の実直な味わいたるや、技巧に走りがちな若いもんにはちょっと真似できません。
2004年の作「なぁんだ」は、戦後間もない昭和22年が舞台。1960年代以降、いくつもの作品で描かれてきた時代風景が、作者分身の最原点ともいうべき伊庭葉二(初期作品から登場)を主人公にして、今一度語られます。
のちに大病を患い世間から孤立、そこから自分らしい生き方を本格的に模索していくことになる葉二は、本作ではまだまだ主体性の薄いナイーヴな中学生です(彼のその後は、前回ご紹介した「癒える」で詳しく知ることができます)。激動の時代に翻弄された彼は、抜け殻のような青春期を迎えていました。
春休みに入り、母親から突然「温泉に行こう」と誘われても、葉二の心はちっとも躍りません。ただでさえ外に出るのが苦手な上に、「物心付いた頃にはもう戦雲が垂れこめていた」こともあり、戦争が終わっても、彼は「こんな『不急不要』な旅には慣れ」ていなかったのです(p.631-2)。
たとえばコロナ禍の真っ最中に学生時代を過ごした方であれば、この葉二の心境をよく理解できるのではないでしょうか。抑圧された日常に最初から順応しているが故に、情熱を注ぎこむ対象に餓え渇くこと自体を忘れがちな若者の立場に、この作品は時代を超えて共感する力を持っています。
「なぁんだ、笑えばいいんだ。」という物語最後の葉二の独白(p.637)は、彼のような社会情勢の不遇に慣れきってしまった人々に投げかけた、作者のあたたかい激励の言葉でもあるのです。いくつもの時代の変遷を生きてきた作者ならではの、包み込むようなやさしさが感じられます。
☽
最後に収録された「天国」(2005年発表)では、時は21世紀の現代に移ります。幼過ぎる故に自分の身に起こった不幸を理解できず、普段通りの笑顔と好奇心を絶やさない子どもと、それを見守る大人たちの、とある場所でのワンシーンを切り取った作品です(是非読んでいただきたく、詳細を控えます)。
こちらも「なぁんだ」と同じく、子ども(若者)たちへの慈愛に満ちたまなざしが終始一貫して向けられています。……きみがどんなに辛い境遇から人生を出発しても、やがて他人と比較してそれを自覚する日が訪れても、きみは決して一人じゃない。そのことを忘れないで――そんな作者の声が聞こえてくるようです。
若者たちへの、どんな時も「笑えばいいんだ」というメッセージと、それを気休めの詭弁に終わらせず、実際に彼らが笑って生きていける世界を残さなくてはいけない、という大人たちの決意表明が込められたこれら2作品によって、この分厚い作品集は締めくくられるのです。
☽
「宮原昭夫小説選」は2007年に刊行されましたが、その4年後、あるご縁で宮原先生に直接お目にかかる機会に恵まれようとは、この作品集の存在すら知らなかった当時の僕にはまったく想像の及ばないことでした。
その大切な思い出についても少し触れてみたかったのですが、やはり今回は作品紹介に徹したく、また機を改めさせていただくこととします。
宮原昭夫という作家の作品が、これからも多くの(特に若い)方に読まれることを願っています。ご自身で創作等をされている方であれば、長く読み継がれるに値する確かな文章力を磨くためのお手本としても、大いに活用していただきたいです。
この作品集は「未来に対しての捧げもの」であると、制作委員会の方の後記にて記されています。再三の拙い感想文でお茶を濁してきた僕ではありますが、一読者として、やはり同じことを思わずにはいられません。
読書レポートは、これでおしまいです。ずっと読みたかった本がようやく読めて、よかった。結局のところ、この気持ちに尽きます。
ご興味を持たれた方は、是非とも作品を読んでみてください。入手困難な本もあるようですが、ひとまず選集のリンクを載せておきます。
『宮原昭夫小説選』
(↑書名をタップ/クリックするとAmazonの商品ページにリンクできます。)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
それでは。
※作中の引用ページは「宮原昭夫小説選」(河出書房新社, 2007年初版)を参照しました。
↓前回までの記事はこちら