アマビエと人魚

皆さんお変わりありませんか。

辛い日々を過ごされている方々もいらっしゃると思います。僕もどうにか日々を過ごしている状況です。

さて、いつも食糧を買いに行くスーパーでは最近、アマビエをモチーフにしたお菓子をよく見かけます。

アマビエお菓子

地元新潟のお菓子屋さんの練り切りです。

アマビエの髪がなびいているところに意匠を感じます。換気が大事というメッセージが込められている?

アマビエではない

おいおい、私はアマビエじゃない(撮影 by 息子)。ふわふわの白い手がぼわっと映り込んどるぞ……あ、このお饅頭もアマビエですね。こちらは青森のお菓子屋さんので、りんごの餡が入っていて美味しかったです。

今や皆の知るところとなった古の妖怪アマビエ。見た目は人魚みたいですが、起源は何なのでしょうね。疫病などの予言をするらしいのですが、新潟の童話作家小川未明の作品にも、少しだけ似たような人魚の物語があります。

小川未明集―幽霊船 (ちくま文庫 文豪怪談傑作選)
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ご存じの方もいらっしゃると思いますが、「赤い蝋燭と人魚」というお話です。上記の作品集などに収録されていますので、興味のある方はどうぞ。以下、あらすじを少々。

暗く寂しい北の海に住む身重の人魚が、せめて自分の子どもには明るい世界で生きて欲しいと願い、陸に密かに上がって子を産み落としました。赤ん坊は海辺の町に住む蝋燭売りの老夫婦に拾われ、美しい人魚の娘に成長します。

老夫婦の蝋燭作りを手伝って、娘は白い蝋燭に赤い絵の具できれいな貝や魚の絵を描いてみせました。その蝋燭はたちまち評判になり、町の海神を祭ったお宮に蝋燭をお供えすれば、海難事故に遭わないと信じられるようになりました。

お宮と蝋燭の霊験は広く知れ渡りました。しかし、その蝋燭をひとり懸命に作っている人魚の娘の血のにじむような努力をねぎらう者は、誰もありません。娘を大切に育ててきた老夫婦でさえ、最後は彼女を金で売り渡してしまうのです。

目先の欲に溺れ、思いやりと感謝の気持ちを失った人々の辿った物語の結末から、今の時代にも通じる大切なメッセージを読み取れるような気がします。

この苦しい状況がすっかりおさまった暁には、人は何を思うのでしょうね。今日も誰かの安全のために戦っているすべての人たちに、心から、ありがとうございます。

それでは。

 

ホールケーキの夢 ~Merry Christmas~

一日遅れの、ささやかなクリスマス。

ぬいぐるみ(親子)

まだホールケーキを知らぬ小さな息子は、苺が一つきり乗ったショートケーキを喜んで食べてくれた。

――うまいなあ。父ちゃんは食べないの?

――ありがとう、私はいいんだ。若い頃、嫌というほど食べたからね。

ぬいぐるみ(執筆)

息子を寝かせてから、私は再び仕事に取りかかる。

物語を創るのが、私の貧しき生業である。

息子にたくさんケーキを食べさせてやるためなら、他の仕事をした方がいいに決まっている。

しかし私は、今日も果てしない空想を描き続ける。

我が子から、ホールケーキの現実を遠ざけてしまってでも。

ぬいぐるみ(苦悩)

知らぬことは、幸なのか。

求めることは、罪なのか。

分からない。

だが、私にはこれしかない。

今はまだ、心からお前に自慢できる仕事ができていなくても。

今はまだ、お前の無邪気な寝顔を静かに見守ってやることだけが、私の誇りであり、救いだとしても。

ぬいぐるみ(安眠)

どうか、いい夢を見ていてほしい。

夢を見ているやつは、いい顔をしている。

お前はいつも、私にそう気づかせてくれる。

私は、与えられてばかりの父親だ。

ぬいぐるみ(親子安眠)

少しだけ、私も眠ろう。

私にも、お前と同じ夢を見させてほしい。

私だけの夢ではないから、ずっと見ていたいと思える。

私だけの人生ではないから、これからも頑張ろうと思える。

その思いが絵空事でないことを、私は証明したい。

お前のたった一人のサンタさんは、今年も手ぶらでここにいる。

でも来年こそは、でっかいホールケーキを、二人で心ゆくまで食べ散らかそう。

 

今年も一年、ありがとうございました。

それでは。