昔の自分の文章にツッコミを入れる

ヘルマン・ヘッセ「幸福」という詩が好きでした。

好きというか、最初の2行を読むだけで、「幸せってなんだろう」という永遠のテーマに、あっさり答えてくれているのです。

 


(Amazon: 高橋健二訳 『ヘッセ詩集』 新潮文庫)

 

幸福を追いかけている間は、

お前は幸福であり得るだけに成熟していない

(当方蔵書: 昭和63年77刷, p.64)

 

これだけ読めば、もはやあらゆる自己啓発書は御役御免かもしれません。

たしか、これを学生時代に読んだ影響だと思うのですが、当時の僕がしたためていた謎メモの残骸から、こんな文章を見つけました↓(原文ママ)。

どうしたら今よりもっと幸せになるかを考えるのではなく、

今がどれだけ幸せだと実感できるかに集中して、それを毎日繰り返す。

するともっと幸せになりたい雑念が日常から消える。

 

メモとはいえ、詩的情緒に欠けていて、ぎこちない文章です。

「集中」って、「繰り返す」って、言葉選びが柄にもない体育会系です。脳の筋肉の部分で哲学していた模様。こんな時代が、お前にもあったのだね。

ヘッセの詩を自分なりに解釈して、それを実践しようとしていた。その目の付けどころだけは、過去の自分を少しだけ褒めてやりたくなりました。

その成果としての今の自分はどうなのかと言うと、日常の些細なことで感動したり、異様に涙もろくなりました。人間としての成熟ではなく、心身疲弊や涙腺老化といった、おじさんの生物学的不可逆変化と言えましょう。

今思えば、ヘッセの詩から刺激を受けたのではなく、安堵していたのです。

どだい自分にとっての幸福とは、既存のそれを愛でるものでこそあれ、「追いかける」ということをほとんどしてこなかった半生でした。何事にも阿呆なくらい執着がないのを、ささやかな誇りにさえしている始末。

幸せを追いかけていないからといって、投げやりになっているわけでもなく、あるいはすべてが満たされているという強烈な実感があるわけでもなく、要するに、本当に何も考えていないのです。

その何も考えていない状態を幸福と呼んでもいいのかしら、という疑問に、別にいいんじゃね? とヘッセの詩が答えてくれたのかもしれません。

細々と物を書き続けるということ以外、そもそも生きる目標がない人間ですから、あれをやりたい、これもやりたいと何かを追いかけ続ける多動の人生を、ついぞ経験しないまま終わりそうです。

そんな僕ですが、少しずつ「準備」を進めております。万事問題なく運び、ご報告できるとよいなと思っています。

恥ずかしいメモは、恥ずかしいので処分しました。

それでは。

 

 

奇書カクテル

積読(つんどく)になりがちな自分を律するために、2、3冊ずつまとめて同時に一気読みすることがあります。本当は1冊ずつじっくり読みたいのですが、積読状態から抜け出すための荒療治として、時折やむなく行っています。

そんな感じでここ一週間、3冊の本を読み終えました。読み終えて、こういう本たちこそ個別に丁寧に読み込むべきだったと後悔しています。

まず1冊目。


(↑画像からAmazonの商品ページに移動します)

これは以前読んでいたはずの作品でしたが、内容はほとんど忘れていました。難しくて読み切れなかったのでしょうね。今回も苦労しましたが、ヘッセの作品の中で僕の好きな『シッダールタ』(おすすめ文学#54)に通じる部分もあったので、多少は分かった気にはなれました。

読み解く手がかり自体はたくさん出てきます。「善と悪」、「天国と地獄」、「歓喜と戦慄」など、通常は対立して相容れないと考えられるこれらの要素が、作中人物たちの追求する精神世界においては渾然一体となって存在するようです。

「そうだし、またそうでもない。」というデミアンの台詞にあるように、物事を白黒つけずにあらゆる角度から分析します。対極のさなかで揺れ動くものに真実を見定めようとする姿勢こそが本当の知識人のそれなのかしら、とぼんやり考え読了。

頭痛に悩まされながら、2冊目。


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児童文学の名著『モモ』で知られるミヒャエル・エンデの作品です。これも児童文学という勝手な先入観があり、『デミアン』で疲れ切った頭を休めるために読んだのが失敗でした。表面上は支離滅裂な展開がバトンタッチされていくような短編の連作で、どうにも一筋縄ではゆかぬ怪作でした。

ただ、奇しくも『デミアン』と似たテーマを扱っているような気もしました。つまり、例の対極です。展覧会のお話が多少分かり易かったです。「卵と枯葉」を並べただけのオブジェ作品などは、「生と死」の象徴ということなのでしょう。

思考の迷宮から抜け出せないまま、3冊目。


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タイトルだけ見ても、先の2冊との組み合わせという点では嫌な予感がしました。その予感は、半分当たりました。「六号病棟」などは、はっきりとした起承転結があるので、読みにくくはなかったです。繊細だがきわめて正常な思考を持った医者が周囲から狂人扱いされるという話で、これまた対極のテーマ。デミアンと迷宮のデジャブです。

もう勘弁してくれ。

強烈な3冊をイッキ飲みしたものです。奇書のカクテルに脳がやられかけました。積読の報いか。そもそも僕の読書力は、まだまだこんなものなのでした。

それでは、今日はこれにて失礼いたします。