#50 マンガレリ 『おわりの雪』 ~雪ト散ル季節~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第50回目。思い起こせば、平成最後は雪の少ない冬でした。今はもう花散る頃。そんな中で、あえて冷たい季節を思い出してみるのも悪くありません。たとえば花吹雪なんて言葉にも、終わったはずの冬が今一度、自分のことを思い出してほしいと願う気持ちが潜んでいるような気がします。

 


おわりの雪 (白水Uブックス)

 

★     ★     ★

#50 マンガレリ 『おわりの雪』 ~雪ト散ル季節~

今回ご紹介するのは、フランスの作家ユベール・マンガレリ『おわりの雪』。おすすめ文学で現代作家の作品を扱うのは初めてかもしれません。素朴な冬の風景にのせて子どもの繊細な心を描いた本作品は、いい意味で現代の匂いを感じさせません。悲しみに満ちたモノクロームの過去をパステルのような淡い愛情で包み、切なさの中に永遠を閉じこめた――そんな物語です。

出典:田久保麻理 訳/ユベール・マンガレリ 『おわりの雪』 白水社, 2005年, 第4刷

 

★     ★     ★

冬になれば一面雪に白く覆われる、山沿いのとある小さな町。主人公の「ぼく」は両親と三人で貧しい生活を送っていました。

ぼくたち家族は、父さんの年金と、ぼくのかせぎの半分で生活していた。ぼくはそのころ、養老院の中庭を老人たちと散歩することでお金をもらっていた。

(p.10)

「ぼく」が何歳なのかは不明ですが、彼の仕事からみても、一家の稼ぎ頭になるにはまだ早い、むしろ年端もいかない男の子なのかもしれません。父親も本来は働き盛りのはず。しかし彼は、重い病の床に臥せっていたのです。

母親は、夜になると時々どこかへ出かけていきます。行き先は語られず、読者の分かることといえば、彼女が家を出て行く時の気配や音に異常なまでに敏感になる父親と、彼を健気になぐさめようとする男の子の姿だけ。

薄暗いランプを灯した夜の病室で父親を看ながら、昼は養老院でチップをもらう程度の仕事をするだけの日々。そんな男の子の唯一の希望は、町の路上のガラクタ市で売られているトビ(鳥)を買うことでした。

(・・・)ぼくはその日のかせぎを数え、トビを買うのにあといくら足りないだろうと計算する。夏のあいだは天気がよくて、毎日かせぎがあるけれど、トビが買える金額にはほど遠い。

(p.15-16)

路上で売られているトビは、誰にも買われないまま、冬が来たら凍え死んでしまうかもしれない。籠の中でなすすべもなく死に近づいてゆくトビに、父親の姿を重ね合わせたのかもしれません。はかない命を冬から守ろうとする努力こそが、男の子の最後の希望だったのです。

夏も終わる頃、男の子は養老院の管理人ボルグマンから子猫の殺処分を頼まれます。もちろん、やりたくなんかない。それでも男の子は、トビを買うためのお金を一日でも早く貯めるためにその「仕事」を引き受けるのです。

その後、養老院では「その手のこと」を引き受けてくれる人間がいるという噂が流れました。男の子は秋にも猫を処分しました。そして冬のある日には、老犬の始末を依頼してくる者が現れます。内心ずっと心を痛めていたボルグマンは、そんなことはもうやらないと断るのです。

けれども男の子は迷いました。老犬の処分の依頼者がボルグマンに提示した金額が自分のものになれば、念願のトビを手に入れることができるのです。冬はもう始まり、トビを救ってやるためには一刻の猶予もない状況です。

からだの奥からトビがほしいという思いが激しくつきあげ、きりきりと胸をしめつけた。

(・・・)あんな犬がなんだよ、もう老いぼれだし、くたびれてる……でも、ぼくのトビは元気いっぱいなんだ……

(p.62)

翌日、男の子は意を決してボルグマンの家を訪れると、お金を受け取り、犬を連れて出発します。駅から線路伝いにどこまでも歩き、やがて疲れ切った犬を引き離します。そして、地平線まで続く銀世界の中にひとりきりになったとき、男の子は叫ぶのです。

「ねえちょっと見て! すごい雪なんだよ!」

(・・・)ぼくは走った。そして雪を見て、とさけびつづけた。まるで遠くに、それを知らせなくちゃいけないだれかがいるみたいに。

(p.93)

悲しみに覆われた冬の世界の真っ只中で、男の子は何度も「雪を見て」と叫びます。知らせなくてはいけない相手とは誰か。それは未来の男の子自身なのだと、僕は思います。

新しい希望にすがるために、絶望のふちを通り抜ける。その痛みを、これから先も忘れずにいよう。来るべき春のために死んでいった冬に対する、せめてものはなむけに。そんな悔恨にも似た祈りが、男の子の叫びには込められているように感じます。

その後に男の子が迎える運命――彼が得たものと失ったものそれぞれに、皆さんどうか物語を最後まで読んでいただき、ゆっくりと思いを馳せてみてください。

春というはなやかな時が、どうして冬のあとに位置するのか。期待や希望を胸に抱きながらも、あえて悲しみを振り返ることで、むしろ今という時をもっともっと大切に生きることができるかもしれない。そんな風に思う、今日この頃です。

それでは、今回はこれにて失礼いたします。

 

 

#49 ロスタン 『シラノ・ド・ベルジュラック』 ~鼻ハ花ヨリ尊シ~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第49回目。思いを寄せる相手のために、人はどれだけ己を犠牲にできるか。相思相愛の仲であれば、相手のために尽くすことなど、いとも容易い。いつの世だって、片思いに苦しむ人たちこそが本当の愛を知る。おじさんが語っても伝わらなければ、この作品を読んでいただくしかありますまい。

 


シラノ・ド・ベルジュラック (岩波文庫)

 

★     ★     ★

#49 ロスタン 『シラノ・ド・ベルジュラック』 ~鼻ハ花ヨリ尊シ~

最近だと2018年にも日本で上演された舞台作品『シラノ・ド・ベルジュラック』は、19世紀末のフランスで生まれた悲喜劇です。文武両道だがその容姿において鼻が大きいことがコンプレックスの男が、ひそかに思いを寄せる女性のために、彼女の恋する美男との仲を取り持つキューピッド役に “命をかけて” 徹する物語。報われない恋に生きるすべての人たちの永遠のバイブルといっても過言ではありません。

出典:エドモン・ロスタン作/辰野隆・鈴木信太郎訳 『シラノ・ド・ベルジュラック』 岩波文庫, 2012年, 第74刷

 

★     ★     ★

学問の造詣深く、詩や音楽の才能に恵まれ、剣の腕もめっぽう立つ主人公シラノは、人一倍大きい鼻の持ち主。そのコンプレックスを隠すような彼の豪胆で無鉄砲な性格は、人々を楽しませ魅了する一方で、絶えず多くの敵を作ってしまいます。

コンプレックスが人生の大きな原動力になるというのはありますよね。シラノもまた、大きな鼻ゆえに画竜点睛を欠く生来の才人というよりは、むしろその生まれつきの悩みをバネにして多方面のスキルを開花させた努力の人のような気がします。

「万事万端、人にやんやと言わせることにきめた (p.66)と言って強がる彼ですが、やはり唯一のコンプレックスである鼻に関しては、どうしても吹っ切れない様子。こと恋愛となると、誰よりも奥手になってしまうのです。

俺が誰に恋するって?(・・・)何処へ行ったって、御本尊より十五分も前に届いているこの鼻じゃあなあ。

(p.67)

そんな彼が恋するのは、周囲の男たちをして「優美」「粋中の粋」と言わしめる美女ロクサアヌ。彼女はシラノの従妹なのですが、彼にとっては高嶺の花に変わりはなく、思いを打ち明けることもできないまま、あろうことか彼の所属する青年隊の新米部下クリスチャンから、ロクサアヌとの仲立ちを頼まれてしまうのです。

このクリスチャンという若者、容姿こそロクサアヌとお似合いの美男ですが、女性を口説くための詩的な話術などにはまったく疎い野暮天(よく言えば純朴な好青年)。決して悪い男ではないのですが、「中身」の奥深さではシラノに格段に劣るわけです。

ロクサアヌはロクサアヌで、クリスチャンと一目視線を交わしただけで彼に恋する始末。若者の恋愛のなんと浅墓なことかと失笑を禁じ得ませんが(笑)、それでもシラノはロクサアヌの恋の成就のために、自分の気持ちは押し殺して恋のキューピッド役を引き受けるのです。「華々しい弁舌が欲しい (p.133)と悩むクリスチャンに、シラノはこう請け合います。

俺が貸してやろう! 君は、心を惑わす美しい肉体を貸してくれ。そして二人一緒に、小説の主人公になろうじゃないか!

(p.133-4)

何だか、今どきの「なりすまし」恋愛みたいに思われるかもしれませんが、我らがシラノに他意などありません。クリスチャンのためにラブレターを代筆し、口説きの話術を惜しみなく伝授する――嘘で塗り固めた茶番劇のお膳立てにシラノは徹し、やがてクリスチャンはロクサアヌと結ばれるのです。

その後まもなくして、シラノとクリスチャンの所属する隊は戦場に赴くのですが、そこでもシラノの献身は続きます。隊が兵糧攻めに遭い疲弊している中、ひとり夜明け前に敵陣の包囲をかいくぐって、クリスチャンの名でロクサアヌに宛てた手紙を毎日投函しに出かけるのです。

この手紙の事実を知ったクリスチャンは、ロクサアヌに本当に愛されるべき人間は誰かということをようやく理解します。いっそ思いを打ち明けてしまえと説得するクリスチャンに対して、シラノはこう言い放ちます。

俺の面(つら)を見ろ!

(p.248)

明日死ぬかもしれないという状況で、容姿のコンプレックスなど既に問題ではないはず。ロクサアヌへの想いを打ち明けようと思えばできたはずなのに、若い美男美女の幸せを壊すまいと、かたくなに拒むシラノ。その覚悟は、クリスチャンが被弾し命を落としたその後までも、ずっと続くのです。……

シラノの秘めたる思いを、ロクサアヌはいつか知るときが来るのでしょうか。報われない恋は、本当に最後まで報われないものなのでしょうか。その答えは戦争から15年後の、物語のクライマックスにて語られますので、みなさん是非とも読んでみてください。

恋愛に限らずとも、「片思い」のような状況に身を置き人知れず苦しむことが、僕たちの人生には多々あります。あのシラノだって、親友の前で本心を打ち明けながら涙をこらえる場面がありました。

泣くものか!(・・・)俺が身の程を忘れぬ限りは、涙の神々しい美しさを、こんな卑しい醜い鼻で汚させるものか! ……ねえおい、涙より気高いものは無いのだ、無いのだぜ。この俺のために一滴の涙でも他人の笑草になって、嘲けられるなんて、そんな事をさせて堪るものか!……

(p.69-70)

安い同情をさそうような自虐的なものの言い方ではなく、己の苦悩に対する凛としたプライド、そして避けられぬ運命に対する詩的な礼節を、一見「芝居じみた」この台詞から、僕はひしひしと感じます。

……どうせ弱音を吐くなら、これくらいの心意気を見せてやろうぜ。

どんなに辛く、苦しいときも。

それでは、今回はこれにて。