ロバのいるお宿

前回のおすすめ文学#64でご紹介した「メゾンテリエ」の余談です。※宿泊施設のご紹介記事ではありません。

さて、カフェーにしろ酒場にしろ、お店が繁盛する秘訣として、やはり店主の人柄や魅力によるところが大きいという、そんな話のついでに――中国の昔話で、ちょっと怖い話を一つ。

唐の時代の河南省に、板橋店という宿屋がありました。宿の主人は三娘子(さんにゃんつう)という名の、三十歳くらいの謎多き女性。お金持ちで、ロバをたくさん飼っていて、店の評判も上々でした。

彼女は客をもてなすのが得意で、皆にお酒をすすめながら自分も一緒になって宴に興じたり、時にはお金のない旅人をただで泊めてあげたりすることもある、とても魅力的で面倒見のよい女性でした。

と、ここまでは「メゾンテリエ」のマダムを思わせるような、やり手の経営者かつ人格者といった感じなのですが…

実はこの三娘子という女主人、妖術をつかって宿泊客を次々とロバに変え、彼らの財布や荷物を奪い取っては私腹を肥やす、とんでもない悪女だったのです(;゚Д゚)

ある日、女主人の隣室に泊まった客が、眠れぬ夜に奇妙な物音を聞きつけ、壁の隙間からこっそり覗くと……

深夜の謎めいた儀式!

行方不明の宿泊客たちはいずこへ?

魔性の秘密に勇猛果敢に立ち向かう一人の男!

 

とまあ、こんなに仰々しいトーンの話ではないのですが、ご興味のある方は是非とも続きを読んでみてください。

なお、僕が参照した本は、『新編世界むかし話集8 ~中国・東アジア編~』(山室静 編著/社会思想社)です。子どもから大人まで読める昔話集ですが、おそらく絶版だと思います。お近くの古本屋さんや図書館などで見つかると良いですね。

しかしこの女主人、片っ端から客をロバに変えていたのでは、リピーターが発生せずクチコミも広まらないと思うのですが、そこはやり手ですから、上手いこと微調整でも根回しでも何でもしていたのでしょうね。

この宿屋が娼家を兼ねていたかどうかまでは想像の域を出ませんが、あやしい美貌を武器に煩悩を刺激する(≒人間を動物の姿に変えてしまう)という設定は、泉鏡花『高野聖』に通ずるものがあります。

高野聖
歌行燈・高野聖 (新潮文庫)
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…と思って調べたところ、やはり鏡花はこの三娘子の物語から着想を得たのだそうです。

高野聖は学生時代に読んだきり、蔵書の文庫本も手放してしまいました。文章が難しかった記憶があるのですが、今度図書館で借りてじっくり読んでみることにします。

それでは皆さま、よいお盆休みをお過ごしください。

 

ヴァシーリー・エロシェンコ ~憂い多きエスペラント~

3か月ほど前の記事で、「現代ウクライナ短編集」という本について、僕が読んだことのある唯一のウクライナ文学ということで皆さんにご紹介していたのですが、このことについて個人的に嬉しい発見とでも言いたくなるような訂正事項があり、今回書かせていただきます。

↓↓以前の記事はこちらからどうぞ↓↓

ウクライナの短編小説を読んでみませんか

さて、僕自身まったく自覚していなかったのですが、この短編集に収録されている作品群の他にも、ウクライナ人、それも日本と非常に深いつながりのある人物によって書かれた作品を、以前に読んでいたのです。

そのことに気付かせてくれたのは、最近読んだこちらの本物語 ウクライナの歴史でした(今年2022年、改めて読んでみたという方も多いのではないでしょうか)。

物語ウクライナの歴史
物語ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 (中公新書 1655)
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本書の第八章最終節にて、ウクライナと日本の様々な接点が紹介されているのですが、文学の分野では、ヴァシーリー・エロシェンコ(Vasilii Y. Eroshenko, 1890-1952)という「盲目の詩人」の名前が挙げられています。

エロシェンコの著作は以前から読んでいたのですが、僕の中では彼は詩人というより童話作家の印象が強く、またロシアの詩人とどこかに書いてあったのを記憶していたので、少し驚きました。彼がウクライナ人であることは、本書を読むまで知らなかったのです。

これを「嬉しい発見」と言うことについて、昨今の状況もあるので誤解がないように説明しておきます――今から十年ほど昔(2012年頃)、初めて「現代ウクライナ短編集」を読み、ウクライナ文学の雰囲気に何となく日本文学のそれと近いものを感じ(たった一冊読んだきりの印象ですが)、以来ずっと、懐かしさにも似た親しみを抱いてきました。

そんな中、かねてから好きだった作家エロシェンコがウクライナ文学のカテゴリーに属するという認識を新たにしたことにより、ウクライナ文学への漠然としたこの愛着が、また一歩だけ、確信へと近づいたような気がする――これが僕にとっての「嬉しい発見」なのです。

【「盲目の詩人」エロシェンコについて】

ヴァシーリー・エロシェンコは4歳のときに病が原因で失明し、その後モスクワなどの盲学校で学びました。大正時代初期の1914年に来日し日本語を学び、数年間にわたる滞在中に日本語やエスペラント語(19世紀末頃に創られた人工国際語)で童話や詩などの作品を残しています。

詳しい来歴は割愛しますが、こういった日本との深い結びつきから、ウクライナ人である彼の作品の一部は日本文学に分類されます。宮沢賢治と与謝野晶子の作品と一緒に収録されている、こちらのアンソロジー(選集)が入手しやすいかと思います。

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本書では、エロシェンコの作品が4編収録されています。その一つ、「ある孤独な魂」は、子ども時代のモスクワの盲学校での思い出を描いた自伝的な作品で、エロシェンコを初めて読むという方にもおすすめです。

4編のうちどれか一つ、折を見ておすすめ文学で取り上げようと思いますが、彼の作品はかなり強烈なメッセージ性を持っています。人の心の闇にひそむ醜さ、傲慢、矛盾、偏見など、とりわけ権威主義にまみれた世界では正当化されがちな人間の根源的罪悪を丸裸にして、我々読者にキッパリと突きつけてきます。

人間ってこんなに愚かなんですよ、どうするんですか、と世の理不尽への憤りを淡々とぶつけてくるような、童話とはいえ大人向けの破壊力ある作風なので、ご興味のある方は心してお読みください。

もう一つ、覚書として記しておきますが、エロシェンコの作品は日本文学だけでなく、中国文学の作品集の中にも登場します。

彼は日本を離れた後、上海や北京に滞在し、同じく日本と繋がりの深い作家・魯迅との交流も経ながら創作を続けました。盲目というハンディキャップをものともしない強靭な意志と情熱をもって、彼は自身の文学を、国境を越えて根付かせたのです。

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上記には、エロシェンコの「時のおじいさん」という短編が収録されています。こちらもなかなか強烈です。人間は馬鹿だから、いつも同じ過ちを繰り返す、ということを切実に伝えています。

彼の扱うテーマは、時として人間のあり方を根本から疑うような暗い悲しみを読み手に委ねてしまうかもしれません。しかしそれは、その先にある希望と平和を見出すための通過点として、決して目をそらすべきではないとも思います。

今この時代こそ、彼の作品が広く読まれるべきではないでしょうか。

これからもおすすめ文学では、様々な国の作品を一つでも多くご紹介していければと思います。ウクライナ文学もそうですが、ロシア文学や韓国文学など、未だ一作も取り上げていないジャンルもありますので、改めて蔵書をあれこれ引っぱり出して読み返してみようと思います。

それでは、今日はこれにて失礼いたします。