電球と小説

同じ部屋、同じ家具に囲まれながらにして、在宅ワーク、オフでのリラックス、食事、物を書く、等々……その時々の状況に応じた空間で過ごせる工夫をしようと思うと、照明器具をいじるのが手軽のようです。

天井から床までまんべんなく照らすシーリングライト1つに頼るのではなく、部屋のあちこちに小さなランプやら間接照明やらを設置し、光色・明暗などあれこれ調整、あっちを点けこっちを消し、そうして色んな雰囲気のパターンを作り出すのは楽しいです。

電球1つ変えるだけで気分が変わるというのは、確かにそうだと思います。電球で思い浮かぶ小説と言えば、太宰治の短編「燈籠」です(新潮文庫の『きりぎりす』1話目収録)。


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恋人のために盗みをはたらき、社会からも、相手の男からも見放されてしまう若い女性の物語。唯一味方でいてくれる両親と囲む六畳間での夕餉の食卓を、「五十燭」の明るい電球がさびしく、美しく照らす描写が印象的です。

恋人は5つ年下の男子学生。彼が直接的に女性に盗みをさせたわけではないにせよ、彼女の気持ちを慮るなら、彼とてまったく無関係とはいえない中、「どうか、あなたの罪を僕にも背負わせてほしい」と、せめてそう言ってあげてほしかった。

アメリカ文学の名著、ナサニエル・ホーソーンの『緋文字』もそうですが、世間の明るみの下、女性のみがたった一人で罰を受けていて、「共犯者」である男性は、世間からの糾弾を免れているという状況です。

では、その男が陰で苦しんでいないのかというと、少なくとも『緋文字』ではそうではありません。道義的な問題は別にして、光のあたらない場所で罪の意識をひそかに持ち続けることの方が、その人間にとってより厳しい罰なのかもしれません。

物語のスポットライトがあたることのない「燈籠」の男子学生の行く末はどうなるのでしょうね。部分的にしか照らさない間接照明にこだわっていると、暗くて見えない部分への想像がかきたてられます。

それでは、今日はこれにて失礼いたします。

 

ウクライナの短編小説を読んでみませんか

今ウクライナで起こっていることについて、戦争反対の一言に尽き、あとは黙してしまう自分がいます。そんな中ではありますが、十年ほど前に初めて読んだ現代ウクライナの短編小説集をご紹介します。

今に至るまで、僕が読んだことのある唯一のウクライナ文学の本なのですが、個人的に、こんな短編小説を書けたらいいなという創作のお手本として、折にふれ読み返している大切な1冊です。


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ウクライナの現代作家によって1980年代から90年代に書かれた、16の短編小説が収録されています。特に好きなのは、1番目収録の「新しいストッキング」、3番目の「暗い部屋の花たち」、12番目の「桜の樹の下で」です。

少し謎めいた、感覚にじかに訴えかけてくるような淡い質感の、それでいて凛とした語り口が想像をかき立てる、どちらかといえば西洋というよりも日本文学の雰囲気に近いものを感じます。身近な出来事を題材に、人間の孤独、はかなさ、無常観などを描いた作品が多いという印象です。

また、家族関係において何らかの問題を抱えている登場人物が其処此処に出てくるのも特徴的です。老母に頭の上がらないダメ夫と孤立する嫁、機能不全夫婦、実家の親と顔を合わせるのを億劫がる女学生、等々。

家族の絆というものに対してどこか懐疑的なスタンスが感じられるのは、僕の偏った読み方もあるのかもしれませんが、例えば4番目収録の「しぼりたての牛乳」は、家族からネグレクトされている少女のお話です。どれだけ虐げられても、家族に対してひたむきな愛情を示す子どもの純心が痛切に伝わってくる作品です。

また、8番目収録の「天空の神秘の彼方に」は、農業集団化の政策により引き起こされた1930年代前半の大飢饉のことを扱っていますが、この小説で描かれる悲劇、人々の苦しみや深い悲しみに、現在の状況を重ね合わせて読んでしまうのは、僕だけではないと思います。

色々と書き散らしてしまいましたが、この時期にこそ、ウクライナにはこんなに素晴らしい文学作品があるということを、是非とも知っていただけたら幸いです。

それでは。