『宮原昭夫小説選』を少しずつ読んでいく③

連休中は50ページくらいしか読み進めることができませんでしたが、あまり期間が空くのも(僕が)落ち着かないもので…

宮原昭夫小説選

 

前回に続き、宮原昭夫小説選、読書レポート第3弾です。

収録作品33編中、およそ半数を1970年代の作品が占めているので、400ページ以上を読み終えた今もこの時期の作品群を堪能しています。

まだ僕が生まれていない70年代。この時代に書かれた物語を通じて当時の社会や人々の生活に思いを馳せるのは、やはり貴重な体験だと感じています。

 


1972年の作「誰かが触った」については、芥川賞受賞作ということもあり、ご存知の方も多いと思います。ハンセン病(らい病)を扱った本作品は社会的な関心も高かったのではないでしょうか。

思えば、熊本地裁における「らい予防法」違憲訴訟の判決が報じられた2001年、当時大学生だった僕は、結核と同様に昔は不治の病だったということ以外、恥ずかしながらハンセン病についてほとんど何の知識も関心もありませんでした。

その後、北條民雄「いのちの初夜」など、いわゆるハンセン病文学の有名な作品をいくつか読み始めて、患者の置かれていた過酷な社会的立場、彼らの凄惨たる心身の苦悶の一端を、その生々しい描写によって垣間見たのです。

いのちの初夜 (角川文庫)
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そしてようやく、「誰かが触った」を読む機会に恵まれることに。本作品も「いのちの初夜」などと同じく、舞台はハンセン病の療養所です。そこで隔離生活を送る少年少女と、療養所内の学校に勤務する教職員たちの日々の交流が描かれています。

身体的な病状の悲惨さという点で言えば、1936年発表の「いのちの初夜」と比べると、1972年の「誰かが触った」では控えめに描かれています。当時はハンセン病の特効薬もあり、少なくとも医学界では患者の完全隔離の必要がないことはもはや定説、と作中でも書かれています(p.368)。

文献でも調べてみると、ハンセン病の治療薬であるプロミンは戦時中の1943年に開発されていて(今この本で勉強しています→『ハンセン病 排除・差別・隔離の歴史』 岩波書店)、戦後以降、ハンセン病は「いのちの初夜」で描かれたような絶望的な不治の病では既になくなっていたようです。

にもかかわらず、「誰かが触った」の1970年代になっても、人々のハンセン病に対する誤った認識や差別はそのままに、患者たちは療養所での隔離生活を余儀なくされ、将来の目標や希望も限定されています。作中、ある入所患者がこんなことを言っているシーンがあります。

「わしゃ、北条民雄をうらんどりますよ。御存知でしょう? あの小説は。なまじっかあんなもんを読んどったおかげで、わしも、なかなかここへ入るふんぎりがつかんのでした。(・・・)ぐずぐずためらっとるうちに、みすみす病状を悪化させまして……現在、いくら特効薬が出来たと言っても、一度落ちた指は、癒ってもまた生えてはこんですから。(・・・)」

(p.371)

これが現実だとしたら、ハンセン病に対する世間一般の認識が、不治の病でなくなってから30年ほどが経っている当時もあまり変わっていなかったことが窺えます。「社会通念が医学よりも百年も遅れてる」という別の登場人物の言葉どおり(p.339)、患者たちは、世の中が相も変わらず保持していた偏見や無理解という名の「不治の病」の犠牲になっていたわけです。

実際、1931年成立の「癩予防法」から始まる、政策として患者の隔離を規定した「らい予防法」がようやく廃止されたのが1996年という、その長すぎる期間だけを見ても、ろくに何も知らない僕でさえ、物事の進展のあまりの遅さに驚きと疑問を抱きます。

ここまでハンセン病についてにわか仕込みの内容を披瀝してしまい申し訳ありませんでしたが、「誰かが触った」という作品に出会えたことで、この問題について関心を抱くきっかけを与えてもらった、その喜びだけはご理解いただけると幸いです。

療養所という限定された舞台ではありますが、その狭い世界で繰り広げられるヒューマンドラマには、患者も、そうでない人間も、誰もが共通して抱く日々の悲しみや喜びが同じ生活の土俵上に描かれています。それはすべての登場人物を分け隔てなく包み込む温かな視点、宮原ワールドならではの人間愛によるものに他なりません。

病との共存における社会的制限の中で、その生活様式に個々がどのように希望を持ち、他人と接し、あるいは社会に働きかけていくべきか。そんなことを、ハンセン病の長い歴史を振り返りながらしみじみと噛み締めることのできる本作品は、コロナ禍を経た昨今において一層読まれるべき名著です。

1作のみの感想になってしまいましたが、今回はこれで終わりにします。

それでは(次回に続く)。

 

※作中の引用ページは「宮原昭夫小説選」(河出書房新社, 2007年初版)を参照しました。

↓前回までの記事はこちら。

『宮原昭夫小説選』を少しずつ読んでいく①

『宮原昭夫小説選』を少しずつ読んでいく②

 

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