ウィリアム・トレヴァーの「孤独」を読みました

アイルランド出身の作家ウィリアム・トレヴァーWilliam Trevor)の『密会(原題:A Bit on the Side)』という短編集を、ある敬愛するマダムから原書と翻訳の両方をお借りして読んでいます。

その中から特に勧めてくださった『孤独(Solitude)』という作品について、ひとまず読み終わった今の気持ちを書いておきたいと思います。

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それは、ある孤独な家族の思い出。

罪の意識と自責の念を互いに抱きながら、その傷だらけの過去の重荷を等しく分かち合う彼ら。

人知れずそっと寄り添い、笑顔で生きていくことの尊さと、虚しさ。そんな人生模様。

母親の浮気相手の男を殺めてしまった幼い娘を連れ、両親は住居も仕事も捨てて外国を転々とする生活を生涯続けました。

They sacrifice their lives for me.

(p.114)

語り手の女性(娘)はそう言います。

一方で、両親の夫婦生活に生じた亀裂が浮気の発端となり、それは7歳だった娘の心を深く傷つけていました。

それこそが最初の悲劇を生み、しかし同時に、両親の関係の終わりを阻止することにもなったのだとしたら。

幼い彼女こそが、道半ばの愚かな親のために自ら犠牲となった。

自分たち親の至らなさを、その小さな身を以て切実に示してくれた。彼らは彼らで、そう思っていたのかもしれません。

それぞれの罪と罰をお互いが背負い合うことで、暗く悲しくも愛に溢れた家族の運命の記憶が紡がれていく。

人は誰しも孤独なのだというのは、まあ、分かり切ったことではあると思います。

また同時に、その孤独の要因――多くは醜い失敗や後悔にまみれていても――それを真に分かち合って共に歩んでくれる人間の存在を愛おしく、誇らしく思わない者がどこにいるだろうか。

but who should want to know?

(p.120)

それでも、声高らかに語ることはない。

暗い過去のさなかにひときわ輝く純粋な美しさを伝えようとすればするほどに、人は自身の秘密を心の奥底で大切にあたため始める。

そんなとき、彼らは彼らだけの「孤独」を感じるのかもしれません。

 

(出典:”A BIT ON THE SIDE” Penguin Books, 2004)

 

とても素敵な作品に出会えました。

それでは、また。

 

『宮原昭夫小説選』を少しずつ読んでいく⑥

最後まで読みました。あとはもう、僕の理解不足で語り尽くせなかった宮原作品の本来の魅力を、皆さん各々で見つけてくださることを祈るばかりです。

宮原昭夫小説選

 

前回に続き、宮原昭夫小説選、読書レポート第6弾(最終回)です。

2000年代に発表された2作品が選集のフィナーレを飾ります。どちらもごく短い物語ですが、長い執筆の歴史とともに円熟を重ねた一文一文の実直な味わいたるや、技巧に走りがちな若いもんにはちょっと真似できません。

 


2004年の作「なぁんだ」は、戦後間もない昭和22年が舞台。1960年代以降、いくつもの作品で描かれてきた時代風景が、作者分身の最原点ともいうべき伊庭葉二(初期作品から登場)を主人公にして、今一度語られます。

のちに大病を患い世間から孤立、そこから自分らしい生き方を本格的に模索していくことになる葉二は、本作ではまだまだ主体性の薄いナイーヴな中学生です(彼のその後は、前回ご紹介した「癒える」で詳しく知ることができます)。激動の時代に翻弄された彼は、抜け殻のような青春期を迎えていました。

春休みに入り、母親から突然「温泉に行こう」と誘われても、葉二の心はちっとも躍りません。ただでさえ外に出るのが苦手な上に、「物心付いた頃にはもう戦雲が垂れこめていた」こともあり、戦争が終わっても、彼は「こんな『不急不要』な旅には慣れ」ていなかったのです(p.631-2)。

たとえばコロナ禍の真っ最中に学生時代を過ごした方であれば、この葉二の心境をよく理解できるのではないでしょうか。抑圧された日常に最初から順応しているが故に、情熱を注ぎこむ対象に餓え渇くこと自体を忘れがちな若者の立場に、この作品は時代を超えて共感する力を持っています。

「なぁんだ、笑えばいいんだ。」という物語最後の葉二の独白(p.637)は、彼のような社会情勢の不遇に慣れきってしまった人々に投げかけた、作者のあたたかい激励の言葉でもあるのです。いくつもの時代の変遷を生きてきた作者ならではの、包み込むようなやさしさが感じられます。

最後に収録された「天国」(2005年発表)では、時は21世紀の現代に移ります。幼過ぎる故に自分の身に起こった不幸を理解できず、普段通りの笑顔と好奇心を絶やさない子どもと、それを見守る大人たちの、とある場所でのワンシーンを切り取った作品です(是非読んでいただきたく、詳細を控えます)。

こちらも「なぁんだ」と同じく、子ども(若者)たちへの慈愛に満ちたまなざしが終始一貫して向けられています。……きみがどんなに辛い境遇から人生を出発しても、やがて他人と比較してそれを自覚する日が訪れても、きみは決して一人じゃない。そのことを忘れないで――そんな作者の声が聞こえてくるようです。

若者たちへの、どんな時も「笑えばいいんだ」というメッセージと、それを気休めの詭弁に終わらせず、実際に彼らが笑って生きていける世界を残さなくてはいけない、という大人たちの決意表明が込められたこれら2作品によって、この分厚い作品集は締めくくられるのです。

「宮原昭夫小説選」は2007年に刊行されましたが、その4年後、あるご縁で宮原先生に直接お目にかかる機会に恵まれようとは、この作品集の存在すら知らなかった当時の僕にはまったく想像の及ばないことでした。

その大切な思い出についても少し触れてみたかったのですが、やはり今回は作品紹介に徹したく、また機を改めさせていただくこととします。

宮原昭夫という作家の作品が、これからも多くの(特に若い)方に読まれることを願っています。ご自身で創作等をされている方であれば、長く読み継がれるに値する確かな文章力を磨くためのお手本としても、大いに活用していただきたいです。

この作品集は「未来に対しての捧げもの」であると、制作委員会の方の後記にて記されています。再三の拙い感想文でお茶を濁してきた僕ではありますが、一読者として、やはり同じことを思わずにはいられません。

 


読書レポートは、これでおしまいです。ずっと読みたかった本がようやく読めて、よかった。結局のところ、この気持ちに尽きます。

ご興味を持たれた方は、是非とも作品を読んでみてください。入手困難な本もあるようですが、ひとまず選集のリンクを載せておきます。

宮原昭夫小説選
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

それでは。

 

※作中の引用ページは「宮原昭夫小説選」(河出書房新社, 2007年初版)を参照しました。

↓前回までの記事はこちら

『宮原昭夫小説選』を少しずつ読んでいく①

『宮原昭夫小説選』を少しずつ読んでいく②

『宮原昭夫小説選』を少しずつ読んでいく③

『宮原昭夫小説選』を少しずつ読んでいく④

『宮原昭夫小説選』を少しずつ読んでいく⑤