#41 ワイルド 『ドリアン・グレイの肖像』 ~花ト血ノ合ワセ鏡~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

41回目。今年は諸事情により桜ではなく椿を愛でると決めた春ですが、咲いたと思ったらもう散ってしまう――有限の美をこれほど身近に魅せてくれる花は、やはり桜以外にはないようです。失われるからこそ大切にしたい。そんな気持ちに気づかせてくれる何かに出会っていたなら、今回ご紹介する小説の主人公もいくらかは救われたのではないかと思います。

 


ドリアン・グレイの肖像(新潮文庫)

 

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#41 ワイルド 『ドリアン・グレイの肖像』 ~花ト血ノ合ワセ鏡~

僕が初めて読んだオスカー・ワイルドOscar Wilde, 1854-1900)の作品は岩波文庫の「サロメ」でした。ビアズリーのモノトーンの挿絵が印象的でしたが、新潮文庫(出典)の「ドリアン・グレイの肖像」のカバーデザインも素敵です。血の滴るようなバラと、それを見つめる絵の中の人物の青く冷たい表情。装丁の美しさから物語の混沌を語ることができるのも、「外観と内面」や「逆説」といった本作品のテーマならではです。

出典:福田恆存 訳 『ドリアン・グレイの肖像』 新潮文庫, 平成16年第61刷

 

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若さゆえに無知で天真爛漫な青年ドリアン・グレイ。若者としてごくありふれたその内面とは対照的に、彼は「見事な曲線を描く真紅の脣、無邪気な碧い眼、そして、ちぢれた金髪 (p.38)」――まるでラファエロの描く天使を思わせる、絶世の美貌の持ち主でした。

彼の友人で画家のバジル・ホールウォードは、ドリアンの容姿に自身の追い求める芸術の極致を見出し、自他ともに最高傑作と認めるドリアン・グレイの肖像画を描き上げました。完成した絵を見たドリアンは、

生れてはじめて自分の姿を知ったというような歓喜の表情が眼に現れた。驚異の念を抱いてかれはじっと立ちすくむ。(・・・)自分はこんなにも美しいのだという気持が啓示のようにかれを襲った。これまで一度も感じたことのない気持だった。

(p.55-6)

自分の美しさに執着するあまり、ドリアンは肉体の衰えを忌み嫌い、自身は永遠に若さを失わず、その代わりに絵の中の自分が年をとればいいのにと願います。その歪んだ望みは、彼自身のその後の破滅的な生活とリンクして、恐ろしいかたちで現実のものとなっていくのです。

行き過ぎた自己愛に加えて、若いドリアンが新たに知った世界。それは社交界での派手で享楽的な生活です。入知恵をしたのは、バジルの友人ヘンリー・ウォットン卿。うぶな後輩に煙草をすすめるワルの先輩(笑)と例えるには、彼はいささか性質が悪すぎる人物です。

ある影響をひとに及ぼすことにはなんともいえぬ快感がある。(・・・)自分の魂をだれかの優雅な形姿のなかに投入し、(・・・)自分の気質を秘かな液体か不思議な香気のごとく他人に移し伝えることには、真の歓喜がある(・・・)。かれのすばらしい精神をわがものにしてしまおう。

(p.77-8)

ヘンリー卿は自分の生きる享楽の世界にドリアンを引きずり込むだけに留まらず、その過程で変わってゆくドリアンの内面を観察することに強い快感を得ていました。ドリアンはヘンリー卿にとって単なる実験台、あるいは「芸術作品」でしかなかったのです。

やがてドリアンは、シビル・ヴェインという駆け出しの女優と恋におちます。しかし、現実の恋に夢中になるあまりシビルが役者として恋愛を「演じる」ことができなくなると、幻滅したドリアンはあっさりと彼女を捨ててしまうのです。

芸術を愛して、人を愛さなかったドリアン。ヘンリー卿の悪影響を自覚しながらも、その時の彼の心にはまだ良心が残っていました。シビルを捨てた夜、ふと自分の肖像画に目をやると、その表情は影を帯び、口元は残酷な笑みを浮かべているように見えたのでした。

既にこの絵は変貌を遂げ、今後もさらに変化してゆくのだ。(・・・)自分がひとつ罪を犯すたびごとに、あらたな汚点が現れて、その美しさを穢し、台なしにするのだ。だが、罪など犯すものか。変化しようとしまいと、この絵は俺にとって良心の象徴となるのだ。誘惑に負けてなるものか。

(p.183)

絵の変化の意味を悟ったドリアンは、シビルともう一度やり直すことを心に誓います。けれども、一度足を踏み入れてしまった過ちの道を引き返すことを、はたして運命は許してくれるのか……

終わりがあるからこそ愛おしく、美しい。野の花にたとえるならば、その言葉は純粋に「美しく」響きもするでしょう――でも、人の心はどうでしょう。一度踏みにじったものが、仮にそのことが原因で、永遠に失われてしまったとしたら――僕たちはその時になって、現実の過去に対して何らかの美的意義など見出せるものでしょうか。

芸術と現実のあやうい境界線。その行く末は、物言わぬ絵の中のドリアン・グレイが語ってくれるはずです。僕はもう何も言いませんから、ぜひとも作品を読んでみてください。

それでは、今日はこれにて失礼いたします。

 

 

#40 デュマ・フィス 『椿姫』 ~忘レジノ春~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い」

第40回目。新潟は桜の開花まであと一週間だそうですが、外を歩けば甘い花のかおりがほのかに漂っています。水仙や山茶花(さざんか)もまだ咲いています。そして僕がいつも山茶花とまちがえてしまう椿(つばき)も…

 


椿姫 (岩波文庫)

 

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#40 デュマ・フィス 『椿姫』 ~忘レジノ春~

作者アレクサンドル・デュマ・フィスAlexandre Dumas fils, 1824-95)は、「モンテ・クリスト伯」や「三銃士」で知られるアレクサンドル・デュマの息子(fils)です。名前はともかく、その作品において山茶花と椿のごとく混同するようなことはありません。19世紀のパリの都に咲いた唯一無二の花――椿姫と呼ばれた娼婦マルグリットの美しく悲しい物語をどうぞ。

出典:吉村正一郎 訳 『椿姫』 岩波文庫, 1998年第81刷

 

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昼間のシャン・ゼリゼ通りに箱馬車に乗って現れるその姿は、侯爵夫人のような気品すら感じさせる。パリの夜の社交界でその名を知らぬ者はない、彼女は高級娼婦マルグリット・ゴーチエ

マルグリットといえばきっと椿の花で、それ以外の花をついぞ見かけたものはなかった。それで、彼女の行きつけの花屋(・・・)でとうとう《椿姫》というあだ名を付けられるようになり、これがそのまま世間の通り名となった。

(p.15)

その椿の花を、彼女は行きつけの劇場の桟敷に届けさせるのですが、「月の二十五日間はその椿の花は白く、あと五日間は紅であった(p.14)」のです。彼女の生業にまつわる意味深なメッセージがそこに込められているのでしょうね。

夜の女マルグリットに恋をするのは、若き弁護士アルマン・デュヴァ―ル。「男振りがいいわけでもなく、金があるわけでもなく、粋な男でもない(p.120)」と自分を卑下する、愛すべき未熟な青年といったところです。

アルマンはマルグリットと相愛になるまで二年を費やしました。その間、肺を病んで床に臥せっていた彼女の容態を確かめに、毎日のように匿名で彼女の家を訪ねていたこともありました。彼女におべっかを使う男は大勢いても、本気で心配してくれる男はアルマンだけだったのです。

二年経って、ようやくアルマンの片思いと献身の事実を知ることとなったマルグリット。嬉しかったにちがいありません。それでも娼婦として生きる彼女には、アルマンの純朴な愛を受け入れることは簡単ではありません。彼女はアルマンに向かって自虐的にこう言います。

「あたしたちのようなものは、一度男の虚栄心や慰みの役に立たなくなればもうその日から捨てられてしまって、それから先は長い夜と昼とがいつまでも続くばかりですわ。」

(p.104)

華やかな夜の世界の裏側で、彼女は満たされず孤独でした。彼女もまた、アルマンと同じように、自分が本当に必要とする(惹かれる)人間からは決して愛してもらえないと思っていたのでしょう。

価値観や生き方がちがう者同士、それぞれ異なるコンプレックスを抱いていると、お互いがお互いを高嶺の花と感じてしまうこともあるのかもしれませんね。

二人の心はかくして結ばれますが、その未来に困難が次々と襲いかかります。アルマンを愛していても、依然としてセレブの情人たちに頼らなければ生活を維持できないマルグリット。田舎の家族の手前、娼婦と付き合うことを認めてもらえないアルマン。ここから先の悲劇は、是非とも作品を読んでいただけたらと思います。

マルグリットとアルマンの悲恋。その原因は、二人の愛情の変化によるものではありません。それらは個人の生き方の問題だったり、世間体の問題だったり、今の時代の多様化した価値観をもってすればどうにでも回避できるものばかりです。

今では「古臭い」と一笑に付されてしまうような問題に、昔の人たちは本気で苦しみ、自分たちの理想とする人生を歩み出せずに周囲の常識に翻弄されていたのだなと、古典を読んでいるとたびたび気づかされます。

桜を今か今かと待ち望む人々の行き交う街並を歩いて、垣根にひっそりと咲いている椿をふと見つけたとき、僕は「椿姫」の古い物語に思いを馳せました。

あたしはこうして世間から、いくらか忘れられました。

(p.297)

椿の花がそう呟いたような気がしたのは、もちろん僕がいい歳こいてあまりにも感傷に浸り過ぎているせいなのですが……よし今年の春は、桜なんぞには目もくれないで、この一輪の椿が散ってしまうまで、毎日ここを歩いて見守っていよう。

なんとなく、ちょっと意地になってそう思いました(笑)。

それでは、今日はこれで。