ホールケーキの夢 ~Merry Christmas~

一日遅れの、ささやかなクリスマス。

ぬいぐるみ(親子)

まだホールケーキを知らぬ小さな息子は、苺が一つきり乗ったショートケーキを喜んで食べてくれた。

――うまいなあ。父ちゃんは食べないの?

――ありがとう、私はいいんだ。若い頃、嫌というほど食べたからね。

ぬいぐるみ(執筆)

息子を寝かせてから、私は再び仕事に取りかかる。

物語を創るのが、私の貧しき生業である。

息子にたくさんケーキを食べさせてやるためなら、他の仕事をした方がいいに決まっている。

しかし私は、今日も果てしない空想を描き続ける。

我が子から、ホールケーキの現実を遠ざけてしまってでも。

ぬいぐるみ(苦悩)

知らぬことは、幸なのか。

求めることは、罪なのか。

分からない。

だが、私にはこれしかない。

今はまだ、心からお前に自慢できる仕事ができていなくても。

今はまだ、お前の無邪気な寝顔を静かに見守ってやることだけが、私の誇りであり、救いだとしても。

ぬいぐるみ(安眠)

どうか、いい夢を見ていてほしい。

夢を見ているやつは、いい顔をしている。

お前はいつも、私にそう気づかせてくれる。

私は、与えられてばかりの父親だ。

ぬいぐるみ(親子安眠)

少しだけ、私も眠ろう。

私にも、お前と同じ夢を見させてほしい。

私だけの夢ではないから、ずっと見ていたいと思える。

私だけの人生ではないから、これからも頑張ろうと思える。

その思いが絵空事でないことを、私は証明したい。

お前のたった一人のサンタさんは、今年も手ぶらでここにいる。

でも来年こそは、でっかいホールケーキを、二人で心ゆくまで食べ散らかそう。

 

※フィクションです(念のため)

 

今年も一年、ありがとうございました。

それでは。

 

 

#53 ブッツァーティ 『道路開通式』 ~道なき道~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第53回目。度々更新が滞っております。こんなことならもう書かなくても一緒だろうと弱気になりつつも(笑)、やはり書ける限りは続けたい。一度決めた自分の道を進むことの難しさ、その意味について、今回は敢えてシビアな世界観で伝えてくれる作品をご紹介します。

 


七人の使者・神を見た犬 他十三篇 (岩波文庫)

 

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#53 ブッツァーティ 『道路開通式』 ~道なき道~

イタリアの作家ブッツァーティDino Buzzati, 1906-72)の短編小説。以前「神を見た犬」という作品を少しだけご紹介しましたが、同じ岩波文庫の短編集に収録されています。世の中や人生の在り様を象徴的に描くシュールで謎めいた作風が特徴です。今回ご紹介する作品の「道」というテーマに、皆さんは何を見出すでしょうか。

出典:ブッツァーティ作/脇功訳 『七人の使者 神を見た犬 他十三篇』 岩波文庫, 2014年第2刷

 

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時代は19世紀半ば。首都から80キロ離れた国境近くの荒野のど真ん中に、サン・ピエロという町がありました。その町と首都とを結ぶ道路がつくられ開通式が行われることとなり、内務大臣のモルティメール伯爵は祝典に出席するためサン・ピエロへの道のりを旅することになりました。

開通祝賀の旅は、道路がまだすっかり完成されてはいず、サン・ピエロ側の最後の二十キロが大ざっぱな石ころ道のままだということだったが、工事の責任者が馬車で終点まで行けるだろうと保証したので、挙行された。

(p.237)

そもそも道が完成されていないのに、開通式を執り行うというのも妙な話です。しかし統治者の決定事項を遅らせることはできず、サン・ピエロの人々の期待も裏切ってはならないという国としての矜持を優先し、伯爵一行は4台の馬車と護衛隊を伴い、予定通り辺境の地へと向かいます。

旅は最初こそ順調でしたが、道路が未完の地域まで来ると状況は一変します。見渡すかぎり赤茶けた不毛の大地が続き、馬車は悪路に何度もひっくり返りそうになります。そしてあろうことか、でこぼこだらけの道路ですらも途切れてしまい、そこから先は全く道がないという事態に直面するのです。

工事が勝手に中断されていた事情を問おうにも、同行していたはずの工事責任者はいつの間にか脱走していました。どこへ行けばいいのか分からない状況で、モルティメール伯爵の同行者たちは口々に首都に引き返すことを主張しますが、伯爵は頑として聞き容れません。

モルティメール伯爵は大声で先へ進むんだとその固い決意を披瀝した(・・・)たとえ歩いてでも、と。サン・ピエロでは住民たちが待ちかねている、貧しい人びとが立派な祝典を準備するために莫大な費用を負担したのだ、ほかの者たちは引き返すがよい、だが自分にとっては、これは果たすべき貴い義務なのだ、と言うのだった。

(p.242)

伯爵は二人のお供だけを従え、後は馬車も人も返してしまい、岩だらけの荒野を歩き続けます。ようやく一行は土地の老人に出会います。伯爵は老人にサン・ピエロはまだ遠いのかと尋ねます。しかし老人は、「サン・ピエロなんて町は聞いたことがない」と答えるのです。……

自分を待っているはずの町の人たちのため、モルティメール伯爵は己の信念を曲げませんでした。しかし進めば進むほどに町は遠ざかり、果てはサン・ピエロという町の存在すらもほとんど非現実のものとなってしまう。物語の最後で伯爵は、お供の二人にこう告げます。

「さて、あんたがたは私のためにずいぶんと犠牲を払った。明るくなり次第、二人はもう引き返したまえ。私はまだ先へ進むつもりだ。たどりついても今さら遅すぎることはわかっている。でも、むこうの、サン・ピエロの連中が私を待っていてくれたのを無駄にはしたくないんだ。(・・・)」

(p.246)

この先、おそらく彼は目的地に到達できず、荒野の真ん中で孤独に力尽きるのではないかと想像できます。不可能だと分かっている状況でも、進み続けることの意義とは何でしょうか。

この物語は、めまぐるしく変化する世の中の、国の政策や経済活動などにおける見切り発車的な改革や進歩のプロセスなんかを風刺しているとも読めます。けれども、世情に疎い理想主義者の僕などは、やはり個人の生き方という視点でこの作品を読んでしまいます。

努力すれば必ず報われる、などという考えは、この作品の世界観のみならず、僕自身の人生においても、じっさい放棄されつつあります(苦笑)。明らかに無茶・無謀・無理・無意味・無駄、そういう未来を自ら描かざるを得ない現状で、それでも進み続けることを己に課して生きている。大げさかもしれませんが、これが現実だったりします。

だからこそ、僕は文学に救われています。モルティメール伯爵のごとき作中人物がいて、それを生み出した作者がいて、それを受け容れる読者がいる。それだけで何故か今日も、そして明日も頑張ろうと思える。他人に強いたり勧めたりする生き方とはとても言えませんが、それがどうしても必要な頑固者にとっては、やはり有難いものです。

……道なき道にも、道しるべは、ある。

それでは、今日はこれで失礼いたします。