涼を納る

早いもので、8月も半ばにさしかかりました。しばらく更新から遠ざかっておりました(汗)が、皆さんいかがお過ごしですか。

まだまだ暑く、夏真っ盛りという感じですが、旧暦ではすでに秋が始まっているこの時期――ふと手に取る本も、涼しい風とともに過ぎゆく季節の物寂しさを感じさせるものだったりします。

「秋は夏の焼け残り」と表現したのは太宰治です。秋は夏の締めくくりを静かに味わうための、いわば夏の一部なのかもしれません。

実は秋という季節そのものが存在しなくて、夏が完全に燃え尽きた瞬間から冬が始まるのだとさえ思うことがあります。

 

夕されば門田の稲葉をとづれてあしのまろやに秋風ぞ吹

(大納言経信)

こちらは百人一首のひとつで、家の前の田んぼの稲葉が秋の風にさらさらと揺れている、そんな情景が詠まれています。

ちょうど今ごろ墓参りで田舎に帰省すると、青々と茂った田んぼが其処ここに広がっているのですが、汗を拭きながらその懐かしい景色を眺めるたびに、僕はいつもこの秋の古歌を思い浮かべます。

遠い昔に思いを馳せ、まだ来ぬ季節と目の前の今この時を、心にそっと重ね合わせてみる。

過去・現在・未来を同時に味わう、そんなことができるような気がするのも、僕にとっては本のおかげかもしれません。

 


【出典】

①太宰治 著『津軽通信』より「ア、秋」(新潮文庫)平成13年第19刷, p.8
②島津忠夫 訳注『百人一首』(角川文庫ソフィア)平成2年改版30版, p.154

↓書籍のリンクを載せておきます。よろしければ読んでみてください。

①『太宰治『津軽通信』(新潮文庫)
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②『新版 百人一首 (角川ソフィア文庫 37)
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古の作品に触れ、残暑の疲れが少しでも癒されることを願いつつ…

またお目にかかります。

それでは。

 

ウィリアム・トレヴァーの「孤独」を読みました

アイルランド出身の作家ウィリアム・トレヴァーWilliam Trevor)の『密会(原題:A Bit on the Side)』という短編集を、ある敬愛するマダムから原書と翻訳の両方をお借りして読んでいます。

その中から特に勧めてくださった『孤独(Solitude)』という作品について、ひとまず読み終わった今の気持ちを書いておきたいと思います。

密会 (Shinchosha CREST BOOKS)
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それは、ある孤独な家族の思い出。

罪の意識と自責の念を互いに抱きながら、その傷だらけの過去の重荷を等しく分かち合う彼ら。

人知れずそっと寄り添い、笑顔で生きていくことの尊さと、虚しさ。そんな人生模様。

母親の浮気相手の男を殺めてしまった幼い娘を連れ、両親は住居も仕事も捨てて外国を転々とする生活を生涯続けました。

They sacrifice their lives for me.

(p.114)

語り手の女性(娘)はそう言います。

一方で、両親の夫婦生活に生じた亀裂が浮気の発端となり、それは7歳だった娘の心を深く傷つけていました。

それこそが最初の悲劇を生み、しかし同時に、両親の関係の終わりを阻止することにもなったのだとしたら。

幼い彼女こそが、道半ばの愚かな親のために自ら犠牲となった。

自分たち親の至らなさを、その小さな身を以て切実に示してくれた。彼らは彼らで、そう思っていたのかもしれません。

それぞれの罪と罰をお互いが背負い合うことで、暗く悲しくも愛に溢れた家族の運命の記憶が紡がれていく。

人は誰しも孤独なのだというのは、まあ、分かり切ったことではあると思います。

また同時に、その孤独の要因――多くは醜い失敗や後悔にまみれていても――それを真に分かち合って共に歩んでくれる人間の存在を愛おしく、誇らしく思わない者がどこにいるだろうか。

but who should want to know?

(p.120)

それでも、声高らかに語ることはない。

暗い過去のさなかにひときわ輝く純粋な美しさを伝えようとすればするほどに、人は自身の秘密を心の奥底で大切にあたため始める。

そんなとき、彼らは彼らだけの「孤独」を感じるのかもしれません。

 

(出典:”A BIT ON THE SIDE” Penguin Books, 2004)

 

とても素敵な作品に出会えました。

それでは、また。