#40 デュマ・フィス 『椿姫』 ~忘レジノ春~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い」

第40回目。新潟は桜の開花まであと一週間だそうですが、外を歩けば甘い花のかおりがほのかに漂っています。水仙や山茶花(さざんか)もまだ咲いています。そして僕がいつも山茶花とまちがえてしまう椿(つばき)も…

 


椿姫 (岩波文庫)

 

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#40 デュマ・フィス 『椿姫』 ~忘レジノ春~

作者アレクサンドル・デュマ・フィスAlexandre Dumas fils, 1824-95)は、「モンテ・クリスト伯」や「三銃士」で知られるアレクサンドル・デュマの息子(fils)です。名前はともかく、その作品において山茶花と椿のごとく混同するようなことはありません。19世紀のパリの都に咲いた唯一無二の花――椿姫と呼ばれた娼婦マルグリットの美しく悲しい物語をどうぞ。

出典:吉村正一郎 訳 『椿姫』 岩波文庫, 1998年第81刷

 

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昼間のシャン・ゼリゼ通りに箱馬車に乗って現れるその姿は、侯爵夫人のような気品すら感じさせる。パリの夜の社交界でその名を知らぬ者はない、彼女は高級娼婦マルグリット・ゴーチエ

マルグリットといえばきっと椿の花で、それ以外の花をついぞ見かけたものはなかった。それで、彼女の行きつけの花屋(・・・)でとうとう《椿姫》というあだ名を付けられるようになり、これがそのまま世間の通り名となった。

(p.15)

その椿の花を、彼女は行きつけの劇場の桟敷に届けさせるのですが、「月の二十五日間はその椿の花は白く、あと五日間は紅であった(p.14)」のです。彼女の生業にまつわる意味深なメッセージがそこに込められているのでしょうね。

夜の女マルグリットに恋をするのは、若き弁護士アルマン・デュヴァ―ル。「男振りがいいわけでもなく、金があるわけでもなく、粋な男でもない(p.120)」と自分を卑下する、愛すべき未熟な青年といったところです。

アルマンはマルグリットと相愛になるまで二年を費やしました。その間、肺を病んで床に臥せっていた彼女の容態を確かめに、毎日のように匿名で彼女の家を訪ねていたこともありました。彼女におべっかを使う男は大勢いても、本気で心配してくれる男はアルマンだけだったのです。

二年経って、ようやくアルマンの片思いと献身の事実を知ることとなったマルグリット。嬉しかったにちがいありません。それでも娼婦として生きる彼女には、アルマンの純朴な愛を受け入れることは簡単ではありません。彼女はアルマンに向かって自虐的にこう言います。

「あたしたちのようなものは、一度男の虚栄心や慰みの役に立たなくなればもうその日から捨てられてしまって、それから先は長い夜と昼とがいつまでも続くばかりですわ。」

(p.104)

華やかな夜の世界の裏側で、彼女は満たされず孤独でした。彼女もまた、アルマンと同じように、自分が本当に必要とする(惹かれる)人間からは決して愛してもらえないと思っていたのでしょう。

価値観や生き方がちがう者同士、それぞれ異なるコンプレックスを抱いていると、お互いがお互いを高嶺の花と感じてしまうこともあるのかもしれませんね。

二人の心はかくして結ばれますが、その未来に困難が次々と襲いかかります。アルマンを愛していても、依然としてセレブの情人たちに頼らなければ生活を維持できないマルグリット。田舎の家族の手前、娼婦と付き合うことを認めてもらえないアルマン。ここから先の悲劇は、是非とも作品を読んでいただけたらと思います。

マルグリットとアルマンの悲恋。その原因は、二人の愛情の変化によるものではありません。それらは個人の生き方の問題だったり、世間体の問題だったり、今の時代の多様化した価値観をもってすればどうにでも回避できるものばかりです。

今では「古臭い」と一笑に付されてしまうような問題に、昔の人たちは本気で苦しみ、自分たちの理想とする人生を歩み出せずに周囲の常識に翻弄されていたのだなと、古典を読んでいるとたびたび気づかされます。

桜を今か今かと待ち望む人々の行き交う街並を歩いて、垣根にひっそりと咲いている椿をふと見つけたとき、僕は「椿姫」の古い物語に思いを馳せました。

あたしはこうして世間から、いくらか忘れられました。

(p.297)

椿の花がそう呟いたような気がしたのは、もちろん僕がいい歳こいてあまりにも感傷に浸り過ぎているせいなのですが……よし今年の春は、桜なんぞには目もくれないで、この一輪の椿が散ってしまうまで、毎日ここを歩いて見守っていよう。

なんとなく、ちょっと意地になってそう思いました(笑)。

それでは、今日はこれで。

 

 

電気毛布やめます。

先月までの大雪の日々が遠い昔のことに思えてしまうくらい、最近はずいぶんと暖かくなりましたね。

この冬は特に寒かったので、人にすすめられて電気毛布を使って寝ていました。これまで三十数年間、ほとんど使ったことがなかったのですが、すっかり気に入りました。

冷え込む夜ふけ。

布団にもぐりこんだ時の、肩から足先まで一瞬にして温もりに包まれる、あの神々しいまでの(笑)快楽が病みつきに。思わず「ほほぅ」と声が漏れます。

3月中旬になっても、高温モードでがんがんに温めてからでないと布団に入れない。そうして大抵は高温のまま寝落ちして、明け方に寝汗びっしょりで目が覚める、その繰り返しでした。

電気毛布といえば、この文学作品です。


眠れる美女 (新潮文庫)

男の盛りをとうに過ぎた老人が、秘密の宿屋で若い娘と一つの布団で静かに過ごす話で、川端文学の十八番といえる頽廃的なエロティシズムがふんだんに描かれている作品です。

娘は強力な眠り薬を飲まされ、一糸まとわぬ姿で客の老人の隣で眠っています。朝になって老人が帰るまで、決して目を覚ますことはありません。

そうなると、冬場は風邪を引かないかが心配ですね。そこで、自分で布団をかけ直したり服を着たりできない女の子のために用意されているのが、電気毛布なのです。

この電気毛布、アメリカ製のダブルサイズで、スイッチが二つ付いているというスグレモノ。

これなら女の子の側はつけっぱなしにしておいて、老人の側を自分で入れたり切ったりできる。女の子が暑そうにしていたら「弱」にしてあげることもできるかもしれません(そこまでの機能があるかは作中では不明)。

しかしこんな眠りを長く続けていたら、やはり身体を壊すのではと不安になります。人間に本来備わっている保温機能みたいなものが失われていきそうで。

それでも、一度使うとやめられない。

ブンガクの影響か分かりませんが、電気毛布はなかなかに人を惑わす魔性のアイテムだなと思ってしまいます(笑)。

要するに、「弱」に落とすかスイッチ切って寝ればいいんです。それだけの話なのですが――今朝、僕は電気毛布をきれいに畳んで、押し入れにそっと仕舞いました(次の冬も使う気だな)。

春は、すぐそこに。

それでは。