something to write with

ここ数か月の間に、筆記用具をいただく機会が2度もありました。

 

ボールペン(waterman)

こちらのボールペンは、昨年11月の『絵描きのサトウさん』の受賞のお祝いにと、大学時代の先生がプレゼントしてくださったものです(受賞についてのお知らせはこちら)。

古典などまったく興味のなかった19歳の僕に、先生は文学の面白さと奥深さを教えてくれました。英米文学入門の講義で紹介されたシェイクスピアやヘミングウェイなどをはじめ、手あたりしだい次から次へと読むようになりました。

勉強とはいえ節度をわきまえない馬鹿な教え子は、一時期は寝食を忘れるほど熱中して心身不調に陥り、先生から「しばらく本を読むのはやめなさい」と言われてしまったのも(まさかのドクターストップ)、今となっては良い思い出です。

先生と出会っていなければ、小説を読むだけでなく、ライフワークとして書き続けていこうと思えるほどにまで文学にのめり込むことはなかったと思います。佐藤紫寿の原点、生みの親ともいうべき恩師です。

今のところ、ボールペンは普段使いするには恐れ多くて(笑)机の上に置いて眺めたりしていますが、これからきちんと使っていきたいと思います。

 

万年筆

さて、こちらはつい先日ある方からいただきました。

かなり年季の入った万年筆で、細かい傷や補修の跡があります。その方が何十年も大切にされてきたものです。

僕は万年筆初心者ですが、カートリッジを交換してインクも馴染んできたところで試し書きをしてみると、ペン先からカリカリと伝わってくるほどよい固さの書き心地がどこか懐かしくて、字を書くのが楽しくなります。

ある方、などと他人行儀な表現をしてしまいましたが、僕の執筆活動をいつも応援してくれるだけでなく、一人の人間として多くを語らずとも互いに理解し合える(年齢は親子くらい離れていますが)、そんな方です。

大学時代の恩師が物書きとしての生みの親なら、万年筆をくれたその方は、佐藤紫寿の育ての親といえます。

物を書く人間がペンを贈られるというのは、何かの象徴というにはあまりにストレート過ぎる出来事ではあります。とにかく書け、書いて書いて書きまくれ、というメッセージにしか解釈できそうにありません。

けれども、人と人とのつながりは身にしみて感じました。書くという行為は結局のところ自分のため、独りよがりの自己表現だとしても、それを見守ってくれる方たちの存在があればこそ成り立つものということなのでしょう。

書くのは、言われなくたって書きますよ(笑)。なんて言いつつ……お二方とも、本当にありがとうございます。どうかいつまでも、お元気で。

それでは。

 

『文芸しばた』第49号に短編小説「夜の青空美術館」が掲載されました。

昨年に引き続き、『文芸しばた』に短編小説を掲載していただきました。運営委員会の皆さま、いつもありがとうございます。

文芸しばた第49号(表紙)

秋の夕焼けのように熟れたかぼちゃが素敵です。

本誌の発売は毎年10月下旬頃なのですが、ご紹介するのがいつも遅れて申し訳ありません。歴史ある『文芸しばた』も、来年はいよいよ記念すべき第50号を迎えるのですね。今から楽しみです。

※『文芸しばた』とは? 初めてご紹介した時の記事もどうぞ。

「文芸しばた」 ~まちのみんなの文芸誌~

『文芸しばた』の詳細は、新潟県新発田市公式ホームぺージ
https://www.city.shibata.lg.jp/ をご覧ください。

※上記トップページの「総合メニュー」より、お手数ですがサイト内検索(「文芸しばた」)をお願いいたします。

掲載の短編「夜の青空美術館」について、少しだけ。

題名から、ものすごくロマンチックで壮大な物語をご想像されるかもしれませんが……しかし、どうかお察しください。僕の書くものに限って、そのような類のご期待に添えることのできたためしが一度でもありましたでしょうか。

簡単にご説明すると、「老後の楽しみで車中泊に出かけた両親の留守宅をあずかる息子の一日」というお話です。旅立ちや別れといったテーマをあえて間接的に、「残される側」の視点から書きました。ご一読いただけると嬉しいです。

秋もいよいよ深まり、冬の足音が近づいてきました。

暖かくしてお過ごしください。

それでは。