付和雷同

先日、雷が鳴り響いていた夜中過ぎのこと。バリバリとものすごい音に何度も起こされ、それでも眠いのでじっと目を閉じていると、急に瞼の裏がパッと赤く光るのを感じました。目を開けると、寝る前に消したはずのシーリングライトが点灯しているではありませんか。

落雷と同時に誤作動で勝手に点くことがあるというのは知っていましたが、いざ寝ぼけまなこで体験してみると、それなりにパニックです。誰かが部屋に侵入して来たのか、はたまた怪奇現象か、寝起きの頭で状況整理をするのにしばらく時間がかかりました。

外で雷が光ったからといって、何もお前まで一緒になって光ることはないのだ、主体性のないミーちゃんハーちゃんめ、などと天井に向かって悪態をつき、これがホントの付和雷同よ、などとくっだらないことを考えながら、再び消灯。いつしか雷も止み、その後はぐっすり眠れました。

付和雷同――自分の考えを持たず、安易に他人に同調すること。なぜに「雷」同なのかは分かりませんが、この四字熟語のルーツは中国古典の『礼記(らいき)にさかのぼります。礼記は儒教における「礼」についてまとめた書物で、ものすごくざっくり言えば、いにしえのマナー本です。

該当の原文は「毋勦説、雷同」で、「勦説(そうせつ)することなかれ、雷同することなかれ」と読みます。※勦説=他人の意見を盗む、雷同=むやみに他人の意見に同調する(参考:竹内照夫『新釈漢文大系27 礼記 上』明治書院, p.26-27)。

礼記には、今の時代にも通じる基本的な礼儀作法がたくさん載っています。上記のような分厚い本で徹底的に研究するわけでなく、ダイジェストでいいから、子どもと一緒に親しめるシンプルな入門書を読んでみたいという方には、こちらをおすすめします。

『礼記』にまなぶ人間の礼 (10代からよむ中国古典)
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まず礼記とはどんな書物なのかを冒頭で端的に説明し(子どもにも読みやすいように、本文の漢字にはすべてルビが振ってあります)、様々な礼の教えの中から分かりやすいものを取り上げ、原文付の書き下し文・訳・解説まで、大きな字で読みやすく記載しています(ちなみに本書には「雷同することなかれ」は載っていません)。

外出時に行き先を告げ、帰ったらただいまと言おうとか、ドアを開けて入る際、後に続く人がいたらドアに手を添えてあげようとか、身近なマナーが多いのですが、大昔からそういう考えが変わらずあったということが、ある種の嬉しい発見でもあります。

きらいな人にも良いところを見つけてあげよう、などといった難題(笑)もありますが、礼記に書かれているマナーを日常に取り入れることで、僕たち現代人が当たり前と思いながら出来ていなかった基本に立ち返ることができるのではないかと思います。

手前味噌ですが、「ドアに手を添える」という教えに関しては、どうにか僕自身、近所のコンビニで日々実践するチャンスに恵まれています。

それでは、今日はこれにて失礼いたします。

 

#23 魯迅 『故郷』 ~希望を探して~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

23回目。これからお盆休みに帰省される方も多いと思います。新幹線や高速バスなどの車窓から見えてくる懐かしいふるさとの風景に思いをよせて……その旅のお供に、魯迅「故郷」はいかがでしょうか。

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇: 吶喊 (岩波文庫)
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#23 魯迅 『故郷』 ~希望を探して~

生まれ故郷への思いというのは、歳を重ねる度にいろんな意味で重みを増してくるものですよね。そんな気持ちを簡潔な文章で、切実に呼び起こしてくれるのが、魯迅ろじん 1881-1936)の「故郷」です。

僕自身、実家に帰る前にどうしても読み返しておきたい一作です。下記の岩波文庫には「村芝居」という短編も収録されています。「故郷」と似たような雰囲気の作品なので、こちらもおすすめします。

出典:魯迅 作/竹内好 訳 『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)』 岩波文庫、2011年第84刷

 

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皆さんにとって、故郷とはどんな場所ですか? 子供の頃、僕は夏と冬に田舎の実家に帰るのが嬉しくて仕方がありませんでした。当時はまだ元気だった祖父母、親戚のみんな、そして幼なじみの親友に会えるのが人生最高の楽しみでした。

嬉しいこと、楽しいことだけを与えられていた子供にとって、故郷はたしかに夢の国でした。けれどもあれから十年、二十年と経つうちに、状況は変わります。家の経済事情、介護――そういった責任を担う立場にある現在、僕にとっての故郷は少なくとも夢の国ではなくなりました。

私のおぼえている故郷は、まるでこんなふうではなかった。私の故郷は、もっとずっとよかった。(・・・)そこで私は、こう自分に言いきかせた。もともと故郷はこんなふうなのだ――進歩もないかわりに、私が感じるような寂寥もありはしない。そう感じるのは、自分の心境が変わっただけだ。

(p. 85)

これは主人公の「私」が二十年ぶりの故郷の地に立った際に思ったことです。彼の帰省の目的は実家を手放すための財産整理などの雑務であって、つまりは「故郷に別れを告げに来た」のです(p. 86)。

「私」には、子供の時に仲良くなった「閏土(ルントー)」という親友がいて、今回の帰郷で「私」は彼との再会を果たすのですが、二十年という歳月は二人の関係を大きく変えてしまいました。ただ嬉しい楽しいだけの故郷ではないという大人の現実が、切実に伝わってくる場面です。

ここで僕自身、幼なじみの親友と故郷で十数年ぶりに再会した時のことを思い出します。どうしても、子供時代とはちがうんですよね。二人とも、今という動かしがたい生活があって、苦労や信念があって……「○○ちゃん(アダ名は昔と同じ)も大変だね」って互いに交わす言葉が、やっぱり重くて。

そういう「重さ」は、物語でも終盤まで続きます。そんな中、最後の二段落あたりに「希望」という言葉が何度も出てくるのがとても印象的です。いったいどんな「希望」を抱いて、主人公は故郷に別れを告げるのか……是非とも作品を読んで、皆さんそれぞれの答えを見つけていただけたらと思います。

今は寒いけどな、夏になったら、おいらとこへ来るといいや。おいら、昼間は海へ貝がら拾いに行くんだ。赤いのも、青いのも、何でもあるよ。

(p. 89)

これは僕が文庫本に線を引いて折にふれ読んでは癒されている、子供時代の閏土のセリフです。ちなみに僕の故郷も、海辺のさびれた村にあります。色とりどりの貝がらみたいな、小さくてきれいな「希望」を胸に抱いて、この夏も故郷に帰るとします。

皆さんも、帰省する道中は(車を運転される方は特に)お気をつけて。それでは。

 


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