豪雨、そして猛暑。大変な状況が続いています。遅ればせながら、西日本豪雨にて被害に遭われた方々へ、心より御見舞い申し上げます。
標題の「鹽」という漢字、ご存知ですか(見づらかったらすみません、拡大してみてください)。
これは、炎天下の被災地で復旧作業に携わる方々、そしてこの暑い時期を乗り越えるすべての人たちにとって必要不可欠なもの――水分と同様に、適切に補給することを忘れてはいけないものです。
そう、「鹽」はソルト。「塩」の旧字体です。
フランスの作家シャルル=ルイ・フィリップの短編集『小さき町にて』に収録されている「箱車」という短編があるのですが、この岩波文庫の訳文、見慣れない漢字や旧字体のオンパレードで少し読みづらい反面、なかなか味があって良いのです。
たとえば、チーズは「乾酪」、お弁当は「お辨當」……ぱっと見て読めなくても、単漢字ごとの構成や意味、前後の流れから推測すると、意外と読めてくるものです。そんな中で、けっきょく辞書で調べるまで正しい読み方に辿り着けなかった漢字の一つが、先の「鹽(しお)」でした。
※僕の蔵書は2000年第28刷です。字体等について、下記のリクエスト復刊の中身は未確認です。
『小さき町にて―フィリップ短篇集 (岩波文庫)』
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収録短編の「箱車」は、木箱で作った車に乗った子どもたちが、自分たちの住む村から少しだけ遠くまで冒険するという話です。芥川龍之介の「トロッコ」に近い雰囲気があります。
作中、子どもたちが「お辨當」のパンと一緒に食べるものとして、「バタ」と「鹽」が出て来ました。「バタ」はもちろんバターです。しかし「鹽」は?
この漢字、よくよく見れば、「皿」の上に何やらごちゃごちゃ山盛りになっているから、ハムかサラミか、ひょっとしてフライドポテトか(笑)。なんて、こういう他愛もない(もとい有り得ない)想像も古典の醍醐味だったりします。
一方で、日々の忙しく大変な状況の中で、そもそも古典なんぞじっくり読んでいる気分じゃないという現実が、紹介する本人からして、むしろ余計に強く感じたりもします。
それでも僕は、自身の書いたものであれ、他人の書いたものであれ、ブンガクなくして、誰かの心にほんの少しでも寄り添える気がしないのも事実です。
いつか落ち着いたら、何かひとつでも読んでみてください。
苦しい時期を乗り越え、いつか誰かに、懐かしくて平和な思い出をゆっくりと語るその時に、古い物語の数々がきっと皆さんと共にある。そう願っています。
今後も、熱中症にはくれぐれも気をつけて、一日一日を乗り越えていきましょう。
それでは。
先生こんにちは、昔の「鹽」と言う字は恐ろしく難しいですが、
デザイン的に、とてもかっこいいですね、眼帯をした男の顔に
見えます。
先生のおっしゃる通り「誰かの心にほんの少しでも寄り添える」
と言う事は、とても大事ですね、それが文学でも、音楽でも、人
でもいえますね、おおかたの人は、子供のころから、競争社会の
中で生きなければならないですね、親友でも敵対してしまう事も
あります、それは仕方のないことです、それ故、自分の心に寄り
添ってくれる何かを求めると言う事だと思います、つまり「癒し」
が人には必要だと思います、先生の文章は、とても「心に寄り添
う、癒し」があると思います、Pool Engrishさんも、「人の心に
そっと寄り添う、癒し」の音楽を作ってもらいたいとお伝えくださ
い。
では、暑さが厳しいおり、お体に気を付けてください。
コンナムルさん、こんばんは。今日も一日暑かったですね。
なるほど「鹽」は確かに眼帯の男に見えますね。それもかなり強面の海賊のようです。昔、黒ひげ危機一髪というおもちゃで遊んだのを思い出しました(笑)。
「癒し」と仰っていただけて嬉しいです。まさに僕自身の癒しになっています。コンナムルさんのメッセージ、Pool Engrish氏にも必ず伝えます。ありがとうございました。