#55 テネシー・ウィリアムズ 『ガラスの動物園』 ~砕かれた角~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第55回目。時節柄、自宅で過ごす時間が多くなっていると思います。不謹慎かもしれませんが、今まで家族で過ごす時間が少なかった人たちにとっては、お互いどのくらい理解し合えているのか、関係を見つめ直してみる機会と捉えることもできそうです。この作品も、その一助となるかもしれません。

ガラスの動物園 (新潮文庫)
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#55 テネシー・ウィリアムズ 『ガラスの動物園』 ~砕かれた角~

アメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズTennessee Williams, 1911-1983)の代表作。作中の時代は世界恐慌直後の1930年代。都会の貧しい家庭を舞台に、近しいながらもすれ違ってしまう人間関係が描かれています。家族という枠組みのみならず、他人を思いやること、寄り添うこと、その難しさに気づかせてくれる作品です。

出典:テネシー・ウィリアムズ作/小田島雄志訳 『ガラスの動物園』 新潮文庫, 平成24年第29刷

 

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母親のアマンダ、娘のローラ、語り手でもある息子トムは、都会の密集した住宅街で貧しい生活を送っていました。父親は放浪の旅に出てしまい、婦人雑誌の在宅セールスをしている母親と、倉庫の作業員として安月給で働くトムが、どうにか家計を支えていました。

娘のローラはじき24歳になりますが、家に閉じこもって古いレコードを聴いたり、動物のガラス細工のコレクションを磨いたりして一日を過ごしています。脚に障がいを持っていることがコンプレックスで内向的な性格の彼女は、母親に無理やり行かされた専門学校も三日で辞めてしまいます。

アマンダは引きこもりの娘を心配して色々と世話を焼くのですが、概してそれは親の経験にもとづく価値観を押し付けるものでした。若い娘は結婚して家庭に入るか、手に職をつけるか、その二択に絞って前進すること以外に人生の価値を見出そうとしない彼女は、息子トムに愚痴をこぼします。

あの子のために計画と準備をしてやらなくちゃあと思うんだよ。(・・・)ビジネス・スクールに通わせてみると――無惨な大失敗!(・・・)教会の青年会に連れて行くと、これもまた大失敗。あの子はだれにも話しかけないし、だれもあの子に話しかけてくれない。結局いまあの子がなにをしてるかと言えば、ガラス細工をいじることと、すり切れたレコードをかけること、それだけ。なんていう人生だろう、若い娘がそうやって日々をすごすとは!

(p.70-71)

母親が頭ごなしに失敗と成功を定義付けるほどに、従順な性格のローラは同調せざるを得なくなり、結果として今の自分を肯定できない。自由な発想の芽を摘み取られたことで、彼女なりの最初の一歩を自発的に踏み出すこともできない。悪循環に満ちた家庭環境で、トムは姉ローラに対する同情の念を胸に秘め、そして彼自身も家を出て自由に生きたいと切望しています。

そんな中、トムは同僚のジムを家の夕食に招待します。ジムは明るい性格で野心家でもある「青年紳士」。出会いのないローラにとって千載一遇のチャンスとばかり、アマンダは娘を新しいドレスで着飾らせ、自分まで若い頃の思い出の詰まった古いドレスを引っぱり出して着るほど、露骨なハリキリ様を見せます。

実はこのジムという男、ローラとは少なからぬ因縁があったのですが、そのことに気後れしたローラは食事に同席しませんでした。それでも母親アマンダのおせっかいが功を奏し、ローラはジムと二人きりで話をすることに。そしてジムの社交的な態度は、ローラの心を少しずつ解きほぐしていきます。

人間ってだれでも、知り合ってみれば、そうこわいもんじゃない。(・・・)そしてだれでも、きみだけでなく人間ならだれでもが、なんらかの悩みをかかえている。きみはね、悩みがあるのは自分だけ、失意の人は自分一人、と思いこんでいる。だが周囲をちょっと見まわしてごらんよ、きみと同じように望みが満たされないでいる人間はいくらだっているんだぜ。

(p.142-143)

ジムはローラのことを古風な「いいタイプ」と褒め、彼女の脚のことを「ささやかなからだの欠陥」だと慰めます。頭ごなしに否定する母親とちがって、この人なら信用できるとローラは思ったはずです。だからこそ、ジムが彼女の内向的な性格について以下のように言っても、彼女は聞く耳を持てたのでしょう。

インフェリオリティ・コンプレックス! 知ってる? 自分を過小評価すること、つまり劣等感! ぼくもそれに悩まされたからよくわかるんだ。(・・・)きみは当然もっていいだけの自信を失っている。(・・・)だから、声を大にして忠告したい。自分がなにかの点で人よりすぐれていると思うことだ!

(p.149-150)

確かに、勇気づけられる言葉です。自分もかつては自信がなかったと告白している点でも説得力があります。しかし二人の関係はこの後最悪の状況に陥り、そしておそらく、ローラはそれまで以上に世の中に対して心を閉ざして生きることになるのです。この結末は、ジムのような人間の明と暗を浮き彫りにしています。

その暗の部分として(最悪の結末については詳細を控えますが)、僕はジムの未熟さと無責任さを挙げます。彼は口先では個性が大切だの、自信を持てだのとローラを励ましてはいたものの、じっさいは母親のアマンダ同様、ローラという人間を心から理解してなどいませんでした。

そもそも彼自身、成功者ではありません。どこかで聞きかじったような紋切り型の成功哲学にすがり、即席の強さや逞しさを演じている自分に酔うばかりで、相手を過去の自分(=失敗)と決めつけてしまうあたり、視野が狭く謙虚さにも欠けています。他人と比較することでしか自分を肯定できない中途半端な状態で、本当に悩み苦しんでいる人間にアドバイスをするのはとても危険なことです。

ガラスってこわれやすいのよ。いくら気をつけてもこわれるときはこわれるの。

(p.159)

これはジムがローラの大切にしていたガラス細工のユニコーンの角を誤って折ってしまった時の、彼女の意味深な言葉です。ちなみに僕はローラのような人間こそ、人生の苦しみを「苦しみ」として真正面から受け止める強さを持っている、数少ない人間だと思っています。もちろん、世間的な成功や幸福とは異なる次元で孤高に生きる人間への主観的なオマージュではありますが。

ユニコーンが角を失い、ただの馬になってしまった。この出来事は、ローラがジムという凡庸な男に象徴される世間体に毒されてしまった悲劇を描いています。ユニコーンは、幻想から生まれた動物です。本当に救いたいなら、救う側も幻想の世界を理解しなくてはいけません。幻想でなくては癒せないほどの孤独や悲しみに寄り添うだけの共感力が必要です。ただの馬では力不足、いずれは相手を傷つけてしまうでしょう。

そもそも、自分にとって良いことが、他人にとって良いとは限りません。自分はこれで成功した、自分はこれで人生を良い方向に変えられた――それが経験的に事実だとしても、その方法はその人にベストマッチしたということ以外に絶対的な根拠などなく――だから君も絶対にやるべきだ、と勧めるのはいささか無責任です。

家族にしろ、他人にしろ、相手の人生そのものを背負う、その覚悟があって、初めて相手に寄り添える。突き詰めてそう考えると、ある意味、人間不信にもなります。困っている人がいたらすぐに手を差し伸べるのも、やはり大切です。その時に、どれだけ相手の目線に立てるか、せめてそこは意識しなくては――少なくとも、ジムのような男にはなるまいと思いつつ(笑)。

それでは、今日はこれで失礼いたします。

 


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