モヒート解禁

新潟のメキシコ料理店 「エル・ミラソル」 さんにて。

 

モヒート

キューバで生まれた、メキシコでも人気のカクテル 「モヒート(Mojito)」 が今年も夏メニューに登場です。

まずはそのまま、ライムの酸味を味わって、半分近くまで減ったらストローでミントをぐしぐし潰して存分に香りを楽しむのが僕は好きです。甘さもかなり控えめなのでお料理とも合うと思います。

さて、キューバが舞台の小説で真っ先に思い浮かぶのは、ヘミングウェイ『海流のなかの島々 (Islands in the Stream)』 です。

海流のなかの島々(上) (新潮文庫)
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海流のなかの島々(下) (新潮文庫)
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ヘミングウェイの作品でもとりわけお酒やカクテルが頻繁に登場し、多くの登場人物たちによってガンガン飲まれます。飲まなくてはやってられない、大人の人生の悲哀と情熱をぐちゃまぜにしたような物語なのです。

主人公トマス・ハドソン(そしてヘミングウェイ自身)がこよなく愛するカクテルの一つが、フローズン・ダイキリ。作中ではだいたいダブルサイズ・砂糖抜きで飲まれています。

モヒートと同じく、キューバ発祥のラム・ベースのカクテルです。どちらも甘くないのが基本かと。お酒も人生も。

「良いシャンペンある?」

「あるが、実にうまい地元のカクテルがあってな」

「らしいわね。今日は何杯飲んでる?」

「分らん。十一、二杯かな」

〈沼澤洽治訳 『海流のなかの島々』 新潮文庫(平成19年34刷) 下巻 p. 130より〉

こんな会話を交わしながら、さりげなくモヒートを注文してみてはいかがでしょうか。飲み過ぎてお店に迷惑かけてはだめですよ。

以上、「実にうまい地元のカクテル」のご紹介でした。是非ともお試しあれ。

それでは。

 

#2 アンダスン 『手』 ~僕は見ている~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第2回目。今回はアメリカの小説です。

ワインズバーグ・オハイオ (新潮文庫)
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#2 アンダスン 『手』 ~僕は見ている~

シャーウッド・アンダスンSherwood Anderson, 1876-1941)は、20世紀アメリカ文学の礎を築いた作家でありながら、彼の影響を受けたとされるフォークナーやヘミングウェイらと比べると、知名度としては(少なくとも日本では)低いように思います。そんな「いぶし銀」の作家アンダスンの魅力を少しでも伝えたく、今回は彼の代表作である『ワインズバーグ・オハイオ』から、「手」という短編をご紹介します。

出典:アンダスン著/橋本福夫訳『ワインズバーグ・オハイオ』新潮文庫(平成4年41刷)

 

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 『ワインズバーグ・オハイオ』は、25編の短編から成る作品です。オハイオ州の「ワインズバーグ」という架空の町を共通の舞台に、そこに住む様々な人たち(おおむね、1編につき1人にスポットライトを当てて)の人間模様が、緻密かつディープな感じで描かれています。

全編中、十数編のエピソードにくりかえし登場するのが、ジョージ・ウイラードという、地元の新聞記者の若者です。彼はいわば、『ワインズバーグ・オハイオ』全体の主人公であり、それぞれの物語に登場する町の住人たちとの関わりを通じて、僕たち読者のナビゲーターを務めてくれる存在なのです。

ただし、彼は「語り手」ではありません。我らがウイラード君もまた、僕たち読者にとってはワインズバーグのいち住人であり、その人間模様が観察されるべき対象なのです。

さて、今回ご紹介する「手(原題:HANDS)にて、ウイラードが関わるワインズバーグの住人は、ウイング・ビドルボームという老人です。老人、と書かれていますが、実際は40歳。ビドルボームという名前も偽名です。

ほかの住人に知られてはいけない過去を抱えたまま、町はずれの小屋に20年間ひとりぼっちで暮らす彼は、苦悩のゆえに実年齢よりもずっと老けて見えるのでしょう。太宰治『人間失格』の結末にも、同じような感じの描写がありましたよね。

そんなビドルボームにも、ワインズバーグでたったひとりだけ友達と呼べる人間がいました。ほかでもない、ウイラードです。ふだんは無口でおどおどしているビドルボームも、ウイラードの前では安心しておしゃべりになり、しきりに「手」を動かします。

これが、ビドルボームの大きな特徴です。彼の(体型は太っているのに)ほっそりとした繊細な手は、とてもよく動きます。内に秘めたさまざまな感情が手指に乗り移ったかのように、実によく動くのです。

「ウイング・ビドルボームの物語は手の物語なのである。今の彼の名前も(・・・)鳥の翼の羽ばたきのように、落ち着きなく動く彼の手の活動ぶりからついたあだ名だった。」

 (p. 15)

けれどもビドルボームは、自分の「手」を恐れています。情感たっぷりに動くこの「手」のおかげで、彼は過去に人々から誤解され、以前住んでいた町を追い出されてしまったのです。

ビドルボームの悲しい過去の詳細については、是非とも作品を読んで知って頂ければと思います。彼の被った「誤解」は、僕たちの生きる現代社会においても、もしかしたら身近に見聞きあるいは経験することかもしれません。

偽名で暮らすワインズバーグで唯一心を許し合えるかに思えたウイラードに対しても、結局ビドルボームは自分の過去への強いトラウマから本当の自分をさらけ出すことができず、逃げ帰ってしまいます。

そうして今夜もひとり、粗末な夕食のテーブルにつきます。食べ終わってから、テーブル下の床にひざまづき、落ちていたパンくずを丁寧に拾っては口に運ぶ……その「手」の動きがランプの明かりに照らされ、そして物語は静かに終わるのです。

ひとりぼっちに戻ってしまったビドルボーム。そんな彼の姿を最後まで見つめ続けるのは、作者のアンダスン、そして僕たち読者だけとなりました。誰にも心を開くことができず、孤独に生きる人間。アンダスンは作家として、そういった人たちに寄り添っていたかったのだと、僕は思うのです。

「同情をもって物語られたとしたら、名も知れない人たちのなかにひそんでいる多くの不思議な美しい素質がひき出せるにちがいないのだから。」

(p. 15)

語り手のこの短い言葉に、少なくとも『ワインズバーグ・オハイオ』における、アンダスン文学の本質が示されています。僕自身、拙い作品を書くとき――自分が何のために書いているのか、見失いそうになった時――いつもこの言葉を胸に呼び起こしています。

 


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