「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」
第12回目。中秋の名月は、まだ少し先。ささやかなつなぎにでもなれば幸いです。
『檸檬 (新潮文庫)』
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#12 梶井基次郎 『Kの昇天』 ~月夜の縁~
梶井基次郎(1901~1932)といえば、「檸檬(れもん)」の作者です。スーパーの青果売り場でレモンを目にする度に、それがアメリカ産であれどこ産であれ、僕は日本文学史上に実る珠玉の短編「檸檬」を思い浮かべてしまいます。そんな作者のシンボルとも言えるレモンを、今宵は空に浮かべてみようと思います。ご紹介するのは「Kの昇天」――見上げれば、まんまるの月。
出典:梶井基次郎 『檸檬』 新潮文庫, 平成21年第73刷
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夏の夜など、僕はひとりで砂浜をぶらぶら歩くのが好きでした。
月のよく見える晩などは、砂浜は青白く照らされ、ぼんやりとですが、かなり遠くまで見渡すことができます。とはいえ景色を楽しむほど明るいわけでもないので、波の音を聞きながら、おのずと目線は自分の足元に集中します。
そうして月の映し出す自分の影ばかり見ていて、突然目の前に人があらわれた時など、かなりびっくりします。顔もよく見えない相手に挨拶するのも薄気味悪く、向こうだって僕のことを不審に思っているかもしれません。夜の一人歩きも出来なくなりつつある物騒なこのご時世なら、尚のことです。
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「Kの昇天」が書かれた時代(昭和最初期)、少なくともその作中の世界観では、人々は夜の浜辺でばったり出会っても、それほど互いに警戒心を抱くことはなかったのかもしれません。
主人公の「私」は眠れぬ夜更けに海岸に出て、そこで「K」という人物と出逢い、以後、夜の散歩仲間のような関係になるのです。月夜がもたらす、奇妙な縁(えにし)。Kは月の出る時刻に合わせて砂浜に出ては、月明かりの下の自分の影をじっと見つめ、「私」にこう打ち明けます。
「(影の中に)自分の姿が見えて来る。(・・・)段々姿があらわれて来るに随(したが)って、影の自分は彼自身の人格を持ちはじめ、それにつれて此方の自分は段々気持が杳(はる)かになって、或る瞬間から月へ向って、スースーッと昇って行く。」
(p. 156、()内は補足・原文ルビ)
実体とその影が分離して、影の方が実体としての意思を持つ。Kはそうやって自らを影に従わせ、月に吸い寄せられるように海辺を歩くのです。
どの作品か今ちょっと思い出せないのですが、太宰治もまた、夜の枕元の畳のうえに月明かりが小さく四角くうつり込んでいるのを見て、「私は月から手紙を貰った」と印象的な表現をしています。
月には、それが映し出す影かたちにまで、見る者の心に神秘的な念を抱かせる不思議な力があるのでしょうか。
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Kのようにあまり突き詰めて考えてしまうのはおすすめ出来ませんが、これからのお月見、心静かに空を仰ぐ目線をふと地面に下ろして、そこに映った自分の影に少しだけ思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
頑張り屋さんの人なら、物言わぬ自分の影に「いつもありがとう、お疲れさま」と声をかけてあげるとか。今回は話が逸れてばかりでしたが、これも月の仕業です。
今年(2015年)は9月27日が十五夜です。どうか晴れますように。
それでは。
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