#45 尾崎一雄 『梅干爺さん』 ~戦いは終わらない~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

45回目。連日深夜のサッカー観戦でバテ気味なのですが、お昼ごはんの梅干おにぎりとジャスミン茶で乗り切っています。ワールドカップの興奮を個人的にサポートしてくれる妙薬、梅干。地味だけどいい仕事しています。だから梅干よ、もっと自分を誇るがいい。世界は今、日の丸の底力に刮目している……という心境にいくらか通ずる気もしないでもない、そんな作品をご紹介します。

楠ノ木の箱(旺文社文庫)
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#45 尾崎一雄 『梅干爺さん』 ~戦いは終わらない~

尾崎一雄(1899-1983)の作品では、日常生活や身近な自然の情景をさりげなく描いたエッセイ風の短編が好きです。今回ご紹介する「梅干爺さん」は、タイトル通り梅干作りの得意な老人の話で、読めば昔ながらの手間暇かけた梅干の作り方が分かります。6月に実を漬けて、7月の梅雨明けの天日に干すまでの手順が書かれていて、僕も梅干おじさんやってみたくなりました(笑)。

出典:尾崎一雄 『楠ノ木の箱』 旺文社文庫, 昭和52年初版

 

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緒方老人は、普段はそれほど口うるさい人間ではないのですが、自家製の梅干に関しては並々ならぬこだわりを持っています。毎年6~7月の梅干作りの時期になると、文字通り口を酸っぱくして、妻や子どもにああでもない、こうでもないと細かく指示を飛ばす、梅干爺さん(自称)です。

梅干は、緒方老人が子どもの頃から慣れ親しんできたソウル・フード。郷里の下曾我村(小田原市)は当時から梅干の産地として知られていたそうで、緒方老人の家庭でも、彼の祖母伝来の昔ながらの製法を受け継いで自家製の梅干を作ってきました。

梅の実は、清水でよく洗い、ザルに上げてよく水気をきる。(・・・)漬け込む容器は、カメでも桶でも宜しい。但し、一度他の漬物に使った容器は避けなければならぬ。(・・・)漬けこむときは、梅の実、塩、梅の実と、層をつくるようにする。但し、やがて塩は梅からにじみ出る果汁で溶けて沈むから、塩は上層ほど多くする要がある。

(p.76-77)

匂いがうつるので他の用途で使った容器はダメというわけですが、僕みたいな不精者がいかにも割愛しそうなルールです(笑)。某料理マンガの、オムレツ専用のフライパンみたいです。こんな感じで梅干作りのノウハウが、典拠の古い文庫本のちいさな字でも、見開き1ページにわたって詳しく書かれています。

7月の梅雨明け。ひと月経った青漬梅を外に干す「土用干し」の段階までくると、緒方老人の神経過敏はいよいよピークに達します。ラジオで天気予報をチェックはするものの、不安定な夏の天候に油断は禁物、いつ雨が降ってくるかと気が気でなりません。

現在の我々がワールドカップの一試合一試合から目が離せないように、緒方老人もこの時期は、夜もおちおち眠れない日々が続くのです。梅たちが最高の持ち味を発揮できるように、必死で見守るわけです。

無事に梅を干し終えると、最後の工程として実くずれ防止のためやわらかい梅にシソを巻くのですが、この時点では例の鬼気迫る戦闘モードはすでに解除されており、老人はリラックスして子どもと一緒に作業をしています。

シソ巻きには、子供も手を出す。何となく面白いからだが、一つには、これでもう終り、という気分が、彼らにも安らぎを与えるらしい。(・・・)老人からは、あの土用干し時分の神経過敏さが消え去っている。

(p.79-80)

こうして彼は通常の好々爺に戻ったわけですが、しかし彼の本当の戦いは終わってはいないのです。というのも、実は彼の本職は梅干作りではなく、小説家なのです(モデルは作者本人ということです)。

ものづくりという点では、梅干も小説も同じです。昔ながらの製法を守って、一切の妥協を許さずに梅と向き合う老人の姿勢は、彼の創作に対するそれにも必ずや通じていることは想像に難くありません。

しかし老人は、自分の生産作業に於ける手ごたえを、しかと受けとめることができなかった。何かあやふやなのである。そこには、あるもどかしさ、とりとめの無さがつきまとって離れないのだ。

(俺が確実に「作った」と自分を納得させることのできるのは、この梅干だけではないかな。これには確かな手ごたえがある。…)

(p.88)

僕自身、生活のための仕事と創作活動の二足のわらじを履いてはいるものの、生き甲斐(生きる意味、と言ってもいいかもしれません)を見出すことができるのは後者でも、確実な手応えを感じているのは前者です。

この感覚は、食えるものと食えないものとか、需要があるものとない(それは僕に限ってですけれど)ものとかいう以前の、もっと根本的なところに原因があるように思うのです。でもそれは緒方老人の言うように「何かあやふや」で、今のところその正体は掴めていません。

ただ一つ言えること――緒方老人の梅干にしろ、僕の書くものにしろ、昔ながらの製法やスタイルが打ち捨てられてゆく時代に生きていることを百も承知の上で、それでも己のかび臭い仕事ひとつを続けて行く。否、仕事そのものが自ずから続いて行くのです。

ワールドカップが終われば、選手たちはそれぞれの国、そしてそれぞれのリーグに帰り、彼ら自身のいつもの戦いへと戻って行きます。戦いは、終わりはしない。決勝戦を見終える頃には、僕たちもそれぞれの戦いにいっそう集中しなくてはなりませんね。

何はともあれ、ひとまずはグループ突破。よかった。(追:ベルギー戦、残念だったけど、でもよかった。すばらしい戦いでした。)

皆さんも寝不足にはくれぐれも気をつけて、この時期を元気に乗り越えてください。

長くなりました。それでは。

 


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「#45 尾崎一雄 『梅干爺さん』 ~戦いは終わらない~」への2件のフィードバック

  1. 先生こんにちは、梅干しは美味しいし、体にも良いので、私も好き
    です、ちなみに、韓国語で「梅干し」は、「매실 장아찌」メシル 
    チャンアッチ、と言います。
    さて、今回、先生が作品を書き続ける事を書かれていますが、その
    事で、思い出さる事があります、昨年亡くなられた、純音楽家の遠
    藤賢司さんのテレビでのインタビューです、「何故歌われるのですか?」との質問に、「自分の事を分かって欲しいから」と答えられ
    ていました、遠藤賢司さんは、それを音楽でやってると言う事でした。
    それを聞いて、私は、やはり全ての文学も含めて芸術は、「自分の
    事を分かって欲しい」と言うのが根本でかつ、すべてだと思いまし
    た、媒体が本であれ、インターネット書籍であれ、音声であっても
    それは、手段に過ぎず、根本は、何を分かって欲しいか、そして重
    要なのは、感性のみと考えております。
    例えば先生が、文学的な事で、先生の感性で、だれかに口頭で伝え
    て、聞き手が、先生の感性を受け取って、何か感じるものがあれば
    成立と言う事だと思います。
    生意気な事を言って申し訳ありません。
    だんだん暑くなりますが、お体に気を付けて、頑張ってください。

    1. コンナムルさん、こんにちは。
      「自分を分かってほしい」、その通りだと思います。コミュニケーションの一種なのですね。
      たしかに、何も書きたくない時期があって、そういう時は気持ちが連動して誰にも会いたくなくなります。仕事関係の定期的なコミュニケーションに結構救われていますね(;’∀’)
      梅干しはメシルチャンアッチ、ですか。すごく躍動感のある響きですね(笑)。
      蒸し暑い日が続いていますが、お身体に気をつけてお過ごしください。

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