ギリシア神話に登場する神々は、何といってもその人間臭さが特徴で、それが物語の魅力にもつながっています。
ただ、最近ギリシア神話を読み直していたところ、その人間臭さが妙に鼻につくというか、物語なのは無論承知の上で、神々のあまりに自己中心的な行いに、どうにもイラっとしてしまう自分がいます(笑)。
太陽神であり芸術の神でもあるアポロンのエピソードで、月桂樹になった娘ダプネの悲劇を見てみます。
美しい乙女ダプネは、狩りと月の女神アルテミスに憧れ、彼女のように自由気ままに狩りをして暮らし、一生を処女で終えることを望んでいました。しかしアポロンがちょっかいを出してきたので、それを拒んで自身の姿を月桂樹の木に変えた、という話です。
『私のギリシャ神話 (集英社文庫)』
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上記の本をおすすめします。かの有名なベルニーニの彫刻『アポロンとダプネ』のカラー写真とともに物語をお楽しみいただけます。
ダプネに拒絶されたアポロンは嘆き悲しみ、彼女が姿を変えた月桂樹の枝葉で冠(かんむり)を作ります。その冠は、彼がダプネに誓った永遠の愛のシンボルとなりました。
このエピソード、昔はぼんやりと美しい話だなあと思って読んでいました。
しかし冷静に考えると、太陽神のギラギラした執念というか、フラれてなお月桂樹を自分の存在と強引に結びつけて、しれっと愛の神話に仕立て上げるところなど、煮ても焼いても食えん芸術家大先生だなと思います。
引き際いさぎよく己の非礼を恥じるという考えはみじんもなく、自分の生きた恋したトキメキの証を壮大な記念碑としてド派手に打ち立てることに腐心するばかり。どんだけ自分が大好きでいらっしゃるのか。
月桂樹の冠は、スポーツや芸術において成果をおさめた者に与えるものとして知られていますが、元をたどれば、アポロンが自身の失恋を都合のいいように美談化し、それを勝利や成功の概念と無理やり紐付けしたものでしかないのです。
権力者のエゴというか、あまりにも生々しくて、物語の空想に浸るどころじゃなくなってくるのです(泣)。現実世界と適度に距離を置くこともブンガクの醍醐味なのに、これじゃあ台無しじゃないか、と嘆くのは僕だけでしょうか。
僕だけです。ありがとうございます。
それでは、本日はこれにて。