暴夜な物語

古典文学の作品をご紹介することが多い当ブログですが、短編など、ボリュームの少ない作品をよく取り上げています。

紹介文を書くうえで原典を読み返すのに自分が楽だというのが一番の理由ですが、興味を持ってくださる皆さんにとっても、なるべく手に取りやすい作品をと考えています。

源氏物語など、一度はじっくり読んでみたいけれど、原典は長いし読みにくそうだからなかなか手が出ないというのは、皆さん以上に僕自身が思っていることです。

自称ブンガク好きですが、漫画やダイジェスト本、子ども向けリライトなどにさっと目を通して、しれっと原典を読んだことにしている有名な古典がいくつもあります。

アラビアン・ナイトという名前でおなじみの『千一夜物語』もそうです。船乗りのシンドバッドの冒険や、アラジンの魔法のランプ、アリババと盗賊のお話などが有名ですよね。これが岩波文庫の完訳版だと、全13巻にも及ぶ大作です。

千一夜物語 1(完訳) (岩波文庫)
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本棚の肥やしにするには十分すぎる厚みで、全巻ずらりと並べた光景はなかなかに良い眺めでありましょう。その分、読み切れなかった場合の後ろめたさは深刻です。

その場合、同じ岩波文庫でも、少年文庫の助けを借りることを考えます。こちらは上下巻のダイジェスト版なので、ずっと早く読み終わります。

アラビアン・ナイト 上 (岩波少年文庫)
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しかし、大人としてこれでは物足りない。かの有名な「千一夜」を読破したと豪語するには、いささか心細い。確かに上記の少年文庫には、アラジンもシンドバッドもアリババも登場します。一見すると、これだけでもアラビアン・ナイトの世界を満喫している気分になれるものです。

しかし、「千一夜」の代表作だと思われがちなアラジンやアリババの物語は、アラビア語の原本にはありません。近世にフランス語や英語などに翻訳される過程で追加された、いわばおまけのような作品なのです。

そこで「千一夜」のことをもう少し網羅的に、かつコンパクトに教えてくれる本を探していたところ、こちらに辿り着きました。

千一夜物語―幻想と知恵が織りなす世界 (アテナ選書)
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少し古い本ですが、解説としてもダイジェストとしても良書です。

収録されている十数話の作品も、明らかに有名どころだけを押さえたという感じではなく、どろどろした恋愛物から、歴史・宗教色の濃い作品まで、限られた紙面でもバランスよく千一夜の世界観を伝えてくれている印象がありました。

個人的には恋愛物が好きです。ただ美男子であるというだけで他に何の取柄もないダメ男のために、自らは武装し故郷である王国の軍勢と戦い実の兄三人の首をはねた美女の物語など、唖然としました。

しかも、波乱に満ちたそのカップルが迎える結末が、「末長く幸せに暮らす」というもの。やはり物語とは本来こうでなくてはいけないと、改めて思わされました。

少年文庫の解説で読んだと記憶していますが、明治時代に「千一夜物語」が初めて邦訳されたときのタイトルが、『開巻驚奇暴夜物語』。「暴夜」と書いて強引に「あらびや」と読ませたそうですが、さっきの殺戮美女の物語などを思えば、言い得て妙な当て字ですよね。

このようにして、完訳の全集を読むことを断固拒否し、何冊かの薄い本を読むだけでも、いくらかは本家本元の世界を知った気になれるものです。本好きのアプローチとしてはもちろん悪例です。お許しください。

それでは。

 

上野歩さんの『探偵太宰治』

映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』が公開されました。僕も近々観に行く予定です。

さて、太宰治を描いた作品はこれまでにも数多く発表されていますが、よい機会なのでひとつご紹介したい作品があります。最新の映画と併せて、是非ともチェックしていただければと思います。

探偵太宰治 (文芸社文庫 NEO)
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『探偵太宰治』。2017年に発表された書き下ろしの長編小説で、著者は上野歩さん。ちなみに、僕の短編小説集の書評を書いてくださった方です。

主人公の津島修治(太宰治)が探偵となって事件の謎を解く話で、小山初代、檀一雄、井伏鱒二など実在の人物が数多く登場する、伝記的な要素とフィクションの要素が織り交ぜられている作品です。

子どもの時から人一倍感受性の強かった修治が、現実とあの世の境目である「あわいの館」を訪れるという不思議な能力(というか体質)に目覚め、そのことをきっかけにさまざまな怪事件に関わっていきます。

作中では、最初の妻初代との東京での生活、親友である檀一雄との関係などが伝記的事実に基づいて鮮やかに描かれていて、太宰ファンの心をくすぐるトリビアがいくつも散りばめられています(鮭缶に味の素を大量に振りかける太宰とか…)。

文士として身を立て、故郷の家族や妻に一人前と認められたいと願う20代の男の等身大のプライドと苦悩が率直に描かれています。僕も太宰という人は、実は潔癖なほど真面目な生活人で、意外と亭主関白な男だと思っていたので、この作品に描かれる太宰像が妙にリアルに、そして改めて身近に感じました。

太宰治にあまり詳しくない方などは、どこまでがフィクションでどこまでが事実か分からなくなるかもしれません(これって、実は太宰作品の本質でもあります)。それくらい綿密に取材され、太宰のエッセンスをさりげなく、かつ余すところなく再現しているのです。

もちろん、探偵としての太宰が遭遇した出来事などはフィクションです。檀一雄は助手のワトソン君といったところでしょうか(笑)。架空の探偵物語としても楽しめ、太宰の伝記としても読みやすく勉強になる、まさに一挙両得の一冊です。

新作映画の公開もあり、太宰ブームが再燃しそうなこの時期、読んでみてはいかがでしょうか。

それでは。