#6 アンデルセン 『父さんのすることは、まちがいがない』 ~逆わらしべ長者~

 「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

回目。アンデルセンの童話から、成功哲学のヒントが見つかるかもしれません。(今回はストーリーの筋を最後まで追ってのご紹介です。あらかじめご了承ください。)

人魚姫―アンデルセンの童話〈2〉 (福音館文庫)
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#6 アンデルセン 『父さんのすることは、まちがいがない』 ~逆わらしべ長者~

「人魚姫」「マッチ売りの少女」「雪の女王」などでおなじみの、ハンス・クリスチャン・アンデルセンH. C. Andersen, 1805~1875)。皆さんそれぞれ、アンデルセンの童話で大好きな1、2作があるのではないでしょうか。僕は子供の時は「みにくいアヒルの子」、大人になってからは「絵のない絵本」にハマりました。今回ご紹介する「父さんのすることは、まちがいがない」という作品、僕はつい最近まで全然知りませんでしたが、これが日本昔話のある有名なお話にかなり似ていたのです。

出典:大塚勇三 編・訳『人魚姫 アンデルセンの童話2』福音館文庫(2003年初版)

※前掲書でなくても多くのアンデルセン童話集に収録されていると思います。参考までに、岩波少年文庫(大畑末吉訳)のタイトルは「とうさんのすることはいつもよし」です。

 

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「ワラシベ長者」って上で書いちゃってましたが、この「父さんのすること…(以下略)というアンデルセンの童話、僕たち日本人がよく知っている「わらしべ長者」の西洋版と言ってもいい程、よく似たお話なのです。

ただし、日本のわらしべ長者は、わらしべ一本から始まって最後は立派なお屋敷と田んぼを手に入れるという右肩上がりの成功物語なのに対して、「父さんのすること…」は、終盤まではずっと右肩下がり、どんどん落ちぶれていきます。

そんな父さんのすることの、どこがまちがいでないのか。お話の筋をざっと辿ってみたいと思います。

ある田舎に、わらぶき屋根の古い家に暮らす百姓夫婦がいました。貧しく持ち物の少ない夫婦でしたが、彼らは「馬」を持っていました。自分たちで使うこともあれば、近所の人に貸してお礼を貰うこともありました。しかしある日、夫婦は何を思ったか、その馬を「自分たちにもっと役に立つなにかと取りかえるほうが、きっとぐあいがいいだろう」 (p. 58) と考えたのです。

妻(おかみさん)の提案で、夫(父さん)は、馬をお金か別の物と交換するため市場に出かけます。ここから「わらしべ長者」と同じ、物々交換のシナリオが始まります。

わらしべ一本が元手の日本の若者に比べれば、馬一頭からスタートするデンマークのお父さんは相当有利なはず。本人もやる気満々らしく、市場までの道すがら出会った人々とも積極的に物々交換を繰り広げます。

けれどもこのお父さん、愛想は良くても投資のセンスは絶無と見え、「馬」→「牝牛」→「羊」→「ガチョウ」→「メンドリ」…何だかどんどん資本が小さくなってきて、挙句の果ては袋いっぱいの「腐ったリンゴ」だけを手にし、居酒屋に入ってしまいます。

腐ったリンゴという負債を抱えたお父さんは、居酒屋にいたお金持ちのイギリス人の紳士たちに「あんた、帰ったらかあちゃんに怒られるぞ~」と散々からかわれます。ところがお父さんは平然と、うちのかみさんは「父さんのすることに、まちがいはない」って褒めてくれますよ、と言います。

そこで賭けが始まります。もしも本当にお父さんがおかみさんに怒られなければ、イギリス人は大升いっぱいの金貨を支払うと約束してくれたのです。

家で夫を迎えたおかみさんは、馬、牝牛、羊…と右肩下がりの情けない報告を聞くたびに、「すてきな考え!」「うまい取りかえっこ!」などとベタ褒めし、とにかく前向きな意見でひたすら夫を立てるのです。これを見たイギリス人、いたく感動します。

「ものごとは、いつも下り坂でさがっていくのに、いつも、うれしがっているとは! これは、たしかに、お金をはらう値うちがあるよ!」

(p. 69)

悲しいことや辛いこと――「下り坂」のご時世、常に苦難や逆境に立ち向かって生きる人間にとっては、日本のわらしべ長者のような夢物語よりも、デンマークの百姓夫婦のポジティブ思考を見習うほうが現実的ではありますよね。

もちろん、夢みたいな「夢」すらウットリ見ることの叶わない現実そのものは、やはり悲しむべきことだとは思うのですが。

何はともあれ、自分たちの下り坂の人生をとことん肯定した結果として、百姓夫婦はイギリス人から金貨をどっさり受け取ります。わらしべ長者と同じくハッピー・エンドとなったわけですが、貰った金貨を夫婦がどう使ったのかということについては一切触れずに物語は終わります。

立派なお屋敷を買ったのか、大きな畑を買ったのか、そういう後日談にアンデルセンは興味がなかったわけではないと思うのです。むしろこのお話の続きを、僕たち読者に自由に考えてみてほしい、そんなメッセージが込められているのではないかとも思うのです。

僕ならこの百姓夫婦に、手に入れた金貨でもう一度「馬」を買い戻させます。この馬は、貧乏だった時の彼らにとっても生活必需品ではなかった唯一の物であり、なおかつ近所の人たち(他人)の役に立っていた物です。

わずかな余裕でも、自分たちのためだけでなく、人のために使う。その気持ちを忘れなければ、いつか巡り巡ってさらに大きな形で見返りとして戻ってくるのかもしれません。

皆さんなら、この夫婦にどんな結末を思い描きますか?

 


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#5 梅崎春生 『春の月』 ~月に化かされた~

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回目。一足早い春月夜をお届けします。

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#5 梅崎春生 『春の月』 ~月に化かされた~

梅崎春生(1915~1965)は、第二次大戦後まもなくして文壇に登場した、いわゆる「戦後派」作家の一人です。直木賞を受賞した『ボロ家の春秋』(1954年)が有名ですが、今回ご紹介する『春の月』という短編(中編か)小説は、それより遡る1952年の作です。

梅崎の小説は、庶民的な題材を平易なタッチで描く中にも、油断しているといきなり心をえぐるような直球をぶつけてきます。ぼけっと気楽に読んでいる最中に、ふと深く考え込んでしまう自分がいて、それがとても新鮮な印象として残るのです。

出典:『ちくま日本文学全集 梅崎春生』筑摩書房(1992年第1刷)

 

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『春の月』は、東京下町かどこかを舞台に繰り広げられるホームコメディ的な作品です。梅崎文学の多くの作品に共通する庶民的な親しみ易さの他に、とりわけ本作品が放つ異彩ともいうべき特徴があります。それは、複数の登場人物ごとに、視点が次から次へと切り替わるという語りのスタイルです。

物語には10人くらいの老若男女が順番に登場するのですが、最初は、須貝という都庁勤務の貧乏青年の視点からスタートし、須貝君にまつわるドタバタ劇が一通り展開すると、やがて彼の恋人・谷川魚子とのキスシーンに入ります。

二人が唇を重ね合わせた瞬間、それまで須貝目線で進行していた物語が一転して魚子の視点にバチっと切り替わり、キスをした後の魚子の本音が明かされます。

「このひとの口は、今日は鶉(うずら)豆のにおいがするわ」(・・・)谷川魚子は無感動にそんなことを考えていました。眼は見開いたままです。 

(p. 150、下線部分は原典ルビ)

倦怠期カップルだったのですね。ですます調のあけっぴろげな感じの描写が地味に笑えます。

さて、二人のやり取りからほどなくして、一台の車が彼らの傍を走り過ぎます。すると今度は、その車に乗っている男(牧山)に視点が切り替わり、須貝&魚子のシーンは瞬時に幕を引き、牧山のストーリーにバトンタッチされ、車内での会話が始まるのです。

このようにして、物語は同じ舞台・時間を共有しながらも、人物の視点がめまぐるしくシフトし、十人十色の人間模様が主観的に映し出されてゆきます。あたかも月の様相が、時間や天候あるいはその時の気分によって見え方が変わるがごとし、です。

先ほどの須貝・魚子カップルのように、登場人物間で面識がある場合もありますが、そうでない場合もあります。

基本的に一度舞台からはけた人物が再び視点の主として登場することはないのですが、先ほどの須貝君などは後の5人目あたりの登場人物のストーリーにちょい役として姿を現します。「須貝」とは明記されていないので、想像をかきたてられて面白いのです。

『春の月』のにぎやかな群像劇の最後の登場人物が舞台を退くと、物語は急激にトーンダウンし、静かで侘しい雰囲気に包まれます。

「空には大きな春の月が出ています。盛り場の塵埃を通すせいか、赤黒く濁って、汚れた血のようです。まだすこし欠けているようですが、もう満月になるのも、明日か明後日のことでしょう。あとはただ、夜風が吹いているだけです。」

 (p. 230)

登場人物たちの喜怒哀楽に満ちた人生の活気をあえてぶち壊す、このラストの情景描写に、ふと我に返るような奇妙な感覚を抱きます。それまで見てきた作中の他人事の人生の連鎖が、ここへきて僕自身にバトンタッチされたような……そんな気さえするのです。

春の月に、化かされたのかな? 梅崎春生の小説は、時折このような不思議な感覚を読み手に委ねてくるのです。それもきわめて唐突に――これがまたクセになるのです。

ぜひぜひ、読んでみてください。

 


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