「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」
第20回目。春にぴったりの物語をひとつ。心に添える一輪の花となりますように。
『林檎の樹(新潮文庫)』
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#20 ゴールズワージー 『林檎の樹』 ~春の追憶~
今回はイギリスの小説家ゴールズワージー(John Galsworthy, 1867-1933)の作品から『林檎の樹 (原題:The Apple Tree)』をご紹介します。春という季節に繰り広げられる若い男女の恋、その甘く切ないフィーリングに自然の情景描写をふんだんに織り込んだ、味わい深い中編小説です。
出典:ゴールズワージー 著/渡辺万里 訳 『林檎の樹』 新潮文庫、平成17年第76刷
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舞台はイングランド南西部のデボン州、銀婚式(結婚25周年)を迎えたアシャースト夫妻が、荒原のはずれの田舎道を車で通りがかります。二人の思い出の地に向かうドライブの途中でした。
ひと休みするため車を停め、春の陽のふりそそぐ新緑の木立の中でおだやかなひとときを過ごす二人。幸福そのものに描かれる中年夫婦ですが、そこで夫のフランク・アシャーストは、ひとり妙に心が騒ぐのを感じています。
彼は今日、この銀婚式ともあろう日に、ふと、なにか切ない憧れにかられた――が、それが何にであるか解らなかった。
(p. 7)
こうして物語のメインとなる回想シーン、26年前の若きフランク・アシャーストの青春が語られるのです。
が、ここまで紹介文を書いていて僕自身、妙な胸騒ぎを覚えました。……というのもこの作品、部分的にでもあらすじを語ろうとすると急にネタバレを起こしてしまいそうで、なかなか難しいのです。
物語の続きは是非とも皆さんで読んでいただければと思いますので、あとは作品の内容にあまり触れない程度に、僕がこの物語を読んで思ったことについて書いておこうと思います。
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さて、恋する女性の描写、というか女性の美しさそのものをどう表現するかということについて、『林檎の樹』のヒロインであるミーガン・デイヴィットという十七歳の少女は、まさに僕にとっての一つのお手本だったりします。
初登場のシーンでの彼女の描写は、意外にもファッションからはじまるのです。
風が彼女の脚に黒い羅紗のスカートをからませ、形のくずれた孔雀色の大黒帽をなぶった。着古した灰色のブラウスは少し綻びていたし、靴も破れていた。彼女の小さな両手は赤く荒れていて、首筋は日焼けして小麦色だった。
(p. 12)
これは単に粗末な衣服とか、化粧っ気のなさとか、そういう田舎娘の素朴な魅力を観念的に示しているのとはちがうと思います。ミーガンは農場で働く娘なので、自然と共に日々を生きている人間の証として、彼女の衣服は汚れ、手は荒れ、肌は日焼けをしているわけです。
そこに少しも人為的な装飾がなく、ありのままの姿で描かれる彼女こそが魅力的なんだと思います。
作者ゴールズワージーが自然の情景描写(花の香りとか、草木のざわめきとか、月の神秘的なひかりとか)をこれでもかと使ってミーガンの心身の美しさを際立たせる意図が、自分なりに分かるような気がします。
彼女こそ純真な自然の美しさそのままであり、あの生々した花のようにこの春の夜の一部だというのなら、どうしてその彼女の与えるすべてを奪わずにいられようか――
(p. 62)
彼女に恋する男にこうまで言わせるほど、自然の魅力をまとった女性とは美しいものなのでしょうか。
果てしなくロマンチック、それでいてどこか背徳的な情調も感じさせる……そんな春の恋の行方を追って、ゴールズワージーの『林檎の樹』を、是非とも読んでみてください。
それでは、今日はこれにて失礼します。
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