「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」
第25回目。アメリカの作家カポーティ(Truman Capote, 1924-84)と言えば、やはり『ティファニーで朝食を』でしょうか。でも白状すると、僕はその小説を読んでいませんし、映画も観たことがありません。あまりに有名すぎる作品だと、逆にいつでも入手できると思い延々と保留してしまう……悪いクセです(-_-;)
『おじいさんの思い出(単行本)』
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#25 カポーティ 『おじいさんの思い出』 ~始まりと別れ~
カポーティの作品を実はほとんど知らない僕がご紹介する、『おじいさんの思い出(I Remember Grandpa)』。作家としてまだキャリアの浅い20代前半のカポーティが、彼の叔母さんのために書いた作品です(下記出典の村上春樹さんのあとがきより)。
家族のあり方を子どもの目線でシンプルに描いた本作品は、一見すると地味で、現代の読み手には物足りない部分もあるのかもしれません。けれども、いつの時代にもごく自然に受け入れられる、素朴で良質な感動を与えてくれる一冊であることは間違いありません。
出典:トルーマン・カポーティ:作/村上春樹:訳/山本容子:銅版画 『おじいさんの思い出』 文藝春秋, 1990年第11刷
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山のふもとの農家の男の子ボビーは、先祖代々暮らしてきた家を離れ、両親とともに山向こうの町に引っ越すことに。けれどもその新しい生活のためには、大好きなおじいさんとおばあさんを古い家に残して行かなければなりませんでした。
季節は冬のはじまり。出発を目前にひかえた一家はもう、楽しげな会話に花を咲かせることもありません。これまでずっと支え合って生きてきた家族が離れ離れになってしまう寂しさが、物語の冒頭からひしひしと伝わってきます。
人というものは一度離れてしまうと、それでもうおしまいになっちまうものなんだとおじいさんは言った。
(p. 14)
おじいさんがボビーに言ったこの言葉は、単純ですが、とても重く心にひびきます。距離的なことだけで言えば、ボビーはおじいさんに、山を越えていつでも会いに戻ることができるのです。
そもそもボビーの両親が家を出ると決めたのは、一家の稼ぎ手である父親の農業収入の安定のため、そしてボビーを学校に通わせ、将来生活に困らないようきちんと教育を受けさせるためでした。
そのことで互いに反目していた父親とおじいさんの心の溝が、もはや修復不可能だということが、先のおじいさんの台詞からも伝わってきますし、それが作品全体の雰囲気を表していると言っても過言ではありません。
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末長い幸せのため、経済的な生活基盤をたしかなものとすることは大事です。が、それとひきかえに、人は時としてかけがえのないものを代償としなくてはならないこともあります。
家族の絆というかけがえのないものを失うことの辛さ、苦しさは、この作品の登場人物たちも、そして僕たち読者も、はじめから嫌という程分かりきっていることだと思います。
それでも、何かを犠牲にして何かを手に入れなくては次に進めないような状況に、僕たちは人生の要所要所にて直面し、半ば混乱しながらも乗り越えて行かなくてはならないのかもしれません。
「(・・・)俺はボビーや君や、僕ら三人のために良かれと思ってやっているだけなんだよ」
(p. 30)
そう考えると、ボビーの父親のこの台詞もまた、おじいさんのそれと同じくらいの重みを感じさせます。
……結局、誰が悪いとか、誰が間違っているとか、そういうことではないんですよね。みんなそれぞれ、自分なりの考えをもって、愛する人たちと出来るだけ長く幸せでいたいと願っている。
カポーティの『おじいさんの思い出』を読んで、しみじみとそう感じました。秋の夜長に、是非とも読んでみてください。それでは。
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