#31 芥川龍之介 『偸盗』 ~血ノ匂イ、花ノ香リ~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

31回目。平安時代末期の京の都が舞台の、愛と憎しみの人間模様を描いた物語をご紹介します。

 


地獄変・偸盗 (新潮文庫)

 

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#31 芥川龍之介 『偸盗』 ~血ノ匂イ、花ノ香リ~

芥川龍之介本人は、この作品を「一番の悪作」と評価していたようです。彼の文学観やテイストなどを想像すれば、そうかもしれないと思う節はあります。でも、劇的なストーリー展開など、現代の読み手にはむしろ喜ばれる部分も多い気がします。代表作「羅生門」と同じ舞台・時代設定なので、雰囲気はかなり似ています。ぜひとも両作品を読み比べてみてください。

出典:芥川龍之介 『地獄変・偸盗』 新潮文庫、平成28年第109刷

 

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かつての栄華はもはや見る影もない京の都。物語の序盤、不気味に静まり返った夏の炎天下の町並には、牛車に轢かれた蛇、疫病に侵され死にかけている女の姿などが克明に描かれ、それらが登場人物たちの荒んだ心理描写と相まって、作品全体を支配する破滅的な空気を生々しく伝えてきます。

偸盗(ちゅうとう)とは「盗み・盗人」のこと。タイトル通り、荒れ果てた都に暗躍する盗賊団の物語です。

リーダーの沙金(しゃきん)は、美しい容姿と冷酷な心をあわせ持った若い女です。盗賊団のメンバーである太郎次郎は、かつては仲の良い兄弟でしたが、沙金の魅力の虜になってしまったが故に悪事に手を染め、今では彼女をめぐって互いに憎み合っていました。

解説にもありますが、沙金はカルメンの日本版といった感じで、男たちを惑わせ破滅へといざなう、いわゆる魔性の女です。古今東西好んで使われるキャラクター設定ですよね。カルメンの他にも、僕は『マノン・レスコー』のマノンとか、部分的には『日はまた昇る』のブレット・アシュレなんかを沙金に重ねて読んでいました。

己は、悪事をつむに従って、益(ますます)沙金に愛着を感じて来た。人を殺すのも、盗みをするのも、みんなあの女故である。

(p. 32)

これは太郎の独白の一部ですが、こんな風に、沙金と関わった男たちはみな堕落の一途を辿ってしまうのです。

太郎や次郎だけでなく、育ての父親とも関係を持つ沙金。そんな彼女が目下思いを寄せている男は(やはり)イケメンの次郎です。彼女は次郎と一緒になるために、太郎や他の盗賊仲間たち、さらには自分を育ててくれた親の命までも敵に売ろうと画策するのです。彼女の企てを聞かされ、

次郎は、全身に水を浴びせられたような心もちがした。

「兄貴を殺す!」

沙金は、扇を弄びながら、素直に頷いた。

「殺しちゃ悪い?」

「悪いよりも――兄貴を罠にかけて――」

「じゃあなた殺せて?」

次郎は、沙金の眼が、野猫のように鋭く、自分を見つめているのを感じた。

(p. 44-45)

一切の迷いも罪の意識も感じさせない沙金の妖しいまなざしに魅せられた次郎が、彼女に逆らうことなどできるはずもありません。

盗賊団はかねての計画通り夜の羅生門に集い、リーダーの沙金によって自分たちの行動が敵に内通されているとも知らずに、彼女の指示を受けてそれぞれの持ち場に向かいます。こうして、星明かりの下、京の都に血なまぐさい死闘が繰り広げられることになるのです。

そんな中、盗賊団のメンバーでひとりだけ、羅生門の楼上で静かに待機している者がいました。彼女――沙金の家で下女として働く阿濃(あこぎ)は、登場人物のある男との関係によってその身に子を宿していました。

臨月を迎えている阿濃は、仲間たちが戦っている間も、羅生門の上からのんびりと月を眺め、幸福そうに微笑んでいるのです。

窓によりかかった阿濃は、鼻の穴を大きくして、思入れ凌霄花(のうぜんかずら)のにおいを吸いながら、(・・・)早く日の目を見ようとして、動いている胎児の事を、それからそれへと、とめどなく思いつづけた。

(p. 75)

月の照らす静寂のさなか、夏の花の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、小さな命の誕生を今か今かと待ち続ける阿濃。それと同時刻に、彼女の見下ろす真っ暗な町並のあちこちでは、多くの人間が憎しみ合い、傷つき血を流している……

この静と動、あるいは生と死の対比の描写こそが、劇的なストーリー展開に勝るとも劣らない、作品の最も魅力的な要素の一つだと思うのです。

阿濃は無事に出産することができるのか、そして沙金や次郎たちの血塗られた運命の行く末やいかに――芥川龍之介「偸盗(ちゅうとう)を、ぜひとも読んでみてください。

それでは。

 

 

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