「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」
第44回目。5月の街を歩いていると、路傍にスミレの花を見かけます。今まであまり意識していなかったのですが、英語ではviolet、紫色の花の代名詞的存在です。また日本語の語源は「墨入れ」という大工道具に由来するそうです。「紫」と「墨」――紫の字を筆名に、拙いペンを執ることはや十年の私、佐藤紫寿は、スミレという花をもっと知るべきだったのです。そしてスミレといえば忘れてはいけないのが、この作品。
『ウィーン世紀末文学選 (岩波文庫)』
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#44 ポルガー 『すみれの君』 ~晩春の騎士道~
オーストリアの評論家、アルフレート・ポルガー(Alfred Polgar, 1873-1955)の短編小説「すみれの君」をご紹介します。時代に取り残され落ちぶれても、誇りだけは決して失うことのない没落貴族「すみれの君」。生きる勇気や希望を僕たちに分け与えてくれるのは、必ずしも時流に乗って栄える成功者とは限らない。男の苦悩、孤独、そして真の「ダンディズム」を、どうか君、古臭いと笑うことなかれ。
出典:池内紀 編訳 『ウィーン世紀末文学選』 岩波文庫, 2004年第11刷
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ルドルフ・フォン・シュティルツ伯爵は、数え切れないほどの浮き名を流し、大好きなカード賭博で山のような借金をこさえた放蕩貴族。その豪傑っぷりと陽気な性格から、男女を問わず人気者でした。そんな彼は、
きざなほどノンシャランな態度や物腰、歩き方、もの憂げに鼻にかかった声からしても、典型的なオーストリア貴族というものだった。伯爵は湯水のように金を使った。女友達には目をむくような高価な品を贈り物にした。きまってパリ特選の香水〈パルムのすみれ〉を添えてやる。そんなこともあり、(・・・)劇場筋の女たちから〈すみれの君〉とよばれていた。
(p.241)
折しも第一次大戦が終結し、共和制による貴族制度の廃止、戦後不況、元々あった自身の莫大な借金という三重苦に見舞われたルドルフは、元貴族にそぐわない様々な怪しい仕事をかけもちして糊口をしのいでいました。
食堂でろくなものが食べられなくても、ボーイへのチップは惜しまずはずむ。女性に贈り物をするために、その費用を当人からせびる。貴族としての見栄を張り続けるためなら、ルドルフは手段を選びません。
すみれの君は二重の性格をもっていた。何よりも自分の信条があり、およそその身に即さない場合でも頑として信条ばかりは守りとおす。みじめさと高貴さ、卑しさと気高さには厳しかったが、正と不正とは曖昧だった。
(p.244)
二重も三重も、すでに人格がお茶目に破綻していますよね(笑)。そんなルドルフのもとに、かつてのなじみの女友達ベッティーナが訪ねて来ます。彼女は身ごもっていたのですが、夫を事故で亡くしてしまい、生まれてくる子どもが私生児のレッテルを貼られる危機に瀕していました。
その危機を免れるために、ベッティーナはルドルフに自分と結婚してくれるよう頼むのです。もちろんそれは形だけの結婚で、ルドルフが子どもの父親であることを公的に証明し、おまけに爵位も継がせてしまえば御役御免、その場で離婚という段取りです。
ルドルフは悲しそうに首を振った。
「このたびの共和制は貴族を廃止しましたよ」
「称号は取りあげたかもしれません。でも尊い身分にはかわりはないわ!」
ベッティーナはきっぱりと言った。
伯爵は彼女の手をとってわななくようなキスをした。
「そうですとも、共和制など無視するといたしましょう!」
(p.249)
ルドルフとて百戦錬磨の色男、ベッティーナにかつがれていることなど、もとより承知の上だったはず。だからといって、目の前の困っている女性を放ってはおけない。そして貴族たる者は、単に女性を助けるだけでなく、彼女の名誉を守らねばなりません。その名誉とは他でもない、
婚姻の指輪である。花婿が花嫁に贈る指輪は、とりわけ美しい指輪でなくてはならない。とびきり高価なもの。言うまでもない。名誉にかかわることなのだ。にもかかわらず、まるであてがないのだった。いくら頭をしぼってみても名案が浮かばない。
(p.250)
しかし我らがすみれの君は、結婚式の当日には見事な指輪を携え、満を持してベッティーナに贈るのです。極貧の彼が、どうやってその指輪を都合できたのか。もしかしたら何となく予測がついている方もいらっしゃるかもしれませんが(笑)、その答えは是非とも作品を読んで見つけていただければと思います。
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信条のためなら、手段は選ばない(限度はありますよ?)。その手段が幾分かは人を困惑させたり驚かせたりするものであっても、結果的に愛嬌として許されてしまう。そういう男にある種の教養のように備わっている精神を、オーストリアの古い騎士道において「ダンディズム」と呼ぶことができるのかもしれません。
というのも、このダンディズムという言葉の定義は、本作品の出典『ウィーン世紀末文学選』に収録されている「ダンディ、ならびにその同義語に関するアンドレアス・フォン・バルテッサ―の意見」という作品に興味深く書かれているのです。全部読まなくても、端的にはこういうことです↓
つまるところ〈ダンディ〉が美的価値の概念であるのに対して、〈紳士〉は倫理的価値の概念である。
(p.145)
いやしくも芸術の一分野にたずさわる僕自身、もういい歳なのだから、人様から単なる「紳士的」なおっさんとの評価をいただくに留まらず、己の信条をストイックに追求する「ダンディ」な生き方を、今後皆さまにお見せしたいもの――我が「紫」の師、高潔にて孤独なる古の貴族、すみれの君のように。
では、今日はこれにて、ごきげんよう。
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先生こんにちは、野のスミレの花は、可愛くてきれいですね、私も
好きです、今回の作品に出てくる 「いいかっこしー」のような人
を実際知っています、借金してもおごってやる人で、別に仕事とか
の営業でもないのに、おごってやってましたね、それで、テレビを
つけで買っても金を払わず、眼鏡をつけで買っても金をはらわずと
言う人で死ぬまでそんな事をやっていました、でもとても面倒見の
良い人で、私も子供の頃にかわいがってもらいましたし、無理も聞
いてもらったので、まるで憎めない人でした。
ダンディと紳士的と言うなら、基本は紳士的で、心意気がダンディ
と言うのが良いかなとおもいますが、こう言う事も理論付けるよう
な私のような人間は、無粋でまだまだ子供と言う事です。
ちなみに私は、医療関係の人間ではなく、ただの無職のじじいです
昔は、建設関連の会社に勤めていました。
すみれは韓国語で、제비꽃 「チェビッコッ」「燕の花」と言います
그검 안녕히 계세요 では、さようなら。
コンナムルさん、こんにちは。先回のコメント返信にて、早合点してしまい大変失礼いたしました。
さて、コンナムルさんが実際に知っておられる「すみれの君」、きっと魅力的な方だったのでしょうね。もしも身内にそういう人がいたら、小説のモデルになっていただきたいです。
コンナムルさんは、お名前の通り韓国語が得意でいらっしゃる方かな、と思っていましたが、やっぱりそうだったのですね。僕はハングルは全く読めないので勉強になります。燕の花とは、縁起がよさそうですね。
寒暖の差がはげしい時期ですが、お身体お大事になさってください。失礼いたします。