ブンガクの世界に閉じこもっている。それだけが理由ではないけれど、現実に痛ましい出来事が多すぎる世の中で、そのつど自分の気持ちを露わにすることにも嫌気がさす。
そんな僕でも、何か言わずにはおれないこともあります。
先日、NHKのドキュメンタリー番組で、九州大学の研究室で自殺したとみられる元大学院生の事件を見ました。たしか以前にも放送されていて、そのときも、番組を見た後、思い起こすたびに涙が止まらなくなり、それが一週間くらい続いたのを覚えています。
非常勤講師の仕事やアルバイトをかけもちし、奨学金などの借金を背負い、ぎりぎりの生活に耐えながら、それでも研究に一生を捧げようとした、その人の死が、僕のような半端者の物書き風情の共鳴するところとなったことは、故人にしてみれば迷惑な話かもしれませんが。
少し、僕自身のことを話します。
大学・大学院と、文学を専攻していました。修士課程の最後の年、学位論文執筆のさなか、このまま博士課程に進学し文学の研究を続けるか、自分で文学作品を生み出す道に進むか、迷った時期がありました。
大学講師か、小説家か。僕の能力ではいずれも茨の道に変わりはない、何とも無謀な二択でした。もとより、博士号を持っている人でも正規雇用の研究職に就くのが容易ではない状況は、僕が現役院生の当時(2000年代前半)でも周知のことだったので、生活の安定は望めない可能性もいくらかは覚悟していました。
望みの薄い二択なら、やりたいことをやって絶望したい。小説を書くことが夢でした。だから僕は修士課程までで研究生活を終えると、非正規やフリーランスとして食いつなぎながら物を書いてゆく人生を選びました。実際は、食うための生活、奨学金やローンの返済に追われて思うように執筆時間が取れず、著作も10年の活動期間で2冊きり。それでも後悔はしていません。
もしもあの時、夢を諦めて経済の安定にすがる算段のみで博士課程に進み、研究職を志していたら――卒業後、専任のポストに至らず、非常勤やアルバイトだけで糊口をしのぐ日々が続いていたら――皮肉にも、今よりなお苦しい状態になっていたかもしれない。九州大学の事件を知って、改めてそう思いました。
あの元大学院生にとっては、研究こそが生き甲斐であり、人生のすべてだったはずです。その夢が、非正規・貧困という条件付きでしか叶わなかった状況でも、たとえ終わりのない苦悩から抜け出せなくても、己の選んだ道を力尽きる直前まで貫いた。事件の面影に滲んだその生き方に、胸が痛みます。
こんな人が報われない世の中はまちがっている。頑張っている人間が評価されないのはおかしい。はばかりながら、どこか似ていると言えば似ている人生を歩んでいる人間として、単にそう嘆くことしかできないのが残念でなりません。
そして何より、番組が伝えた、他者への思いやりに満ちた故人の人柄を感じさせるエピソードの数々に、僕は涙しました。結果として事件を起こしてしまったとはいえ、多くの人から愛される人物だったことは、疑いないと思うのです。
今後、同じような悲劇が繰り返されないために、個人としても社会としても何ができるのか。
ただ言えることは、あなたの分まで、頑張らなくてはいけない――勝手ながらそう誓い、はかり知れない苦しみを自分なりに少しでも引き継ぎ、悲劇の爪痕なんかではなく、ほんのわずかな希望やなぐさめでもいいから未来に残したいと思っている人間が、ここにも一人いるということ。どうか、安らかに。
それでは、今日はこれで失礼いたします。
先生コンナムルです先ほどのコメントの最後に「より生活の為」が
入ってしまいましたが、前の部分が飛んで表記されたもので、間違
いですので気にしないでください、何か意味深な感じですが、単な
るまちがいです、失礼しました、おっとまた体に力が入ってしまい
ました、ではさようなら。
コンナムルさん、こんばんは。
作曲の道を目指しておられたコンナムルさんが、最終的にちがうお仕事を選び、ご家族のために戦ってこられたことは、本当にすばらしいと思います。僕には到底真似できないことです。
僕は夢を追い続けることを選んだと言えば聞こえはいいですが、それに見合った結果もまだまだ出せていません。そこは自業自得と言われ納得もしますが、九州大学の元院生の方は、研究と生活の安定の両立が保証されてしかるべきにもかかわらず、これはやはり日本の大学の雇用システムの問題で、自己責任の言葉で片づけるにはあまりに薄情で、そこはやはり悔しいですね。
「水色の思い出」をお読みいただきありがとうございます。加筆修正した部分(細かい修正がほとんどなのですが)にまでご感想を述べていただいて、感慨無量です。ついさっきまで、新しい短編を1つ書いていたのですが、なかなか骨が折れてげっそりしていたところでした(笑)。
今日はもう、お言葉に甘えてバーボンをいただいて休もうと思います。暑くなってきましたので、コンナムルさんもお身体に気をつけてください。それでは、失礼いたします。
先生こんにちは、九州大学の元大学院の方のお話は、本当にいたまし
い話ですね、また先生の辿ってこられた道にも重なる点がおありだと
言う事ですね、結局自分で決断するしかありませんが、先生のおっし
ゃるように自分の夢を諦めないと言うのは立派だと思いますし、命を
かける夢がある事自体すごい事だと思います、私は、何かを決断する
時は、最近、死ぬ時にあの時ああすれば良かったと後悔しないかで判
断する様にしてます、勿論先生の様に命がけの夢よりはかなり次元が
低いですが、以前もお話しましたが、作曲の道に行きたかったのです
が、やはり生計を立てるのは無理と判断しました、知り合いのプロの歌手にも聞いてもらいましたが、アマチュアの域を脱していないとの
事で、その方のレコード会社では、アマチュアの作曲は採用しないとの事でした、他のレコード会社もありますが、結局全く関係のない会社に就職して作曲は趣味にしました、また作詞もしていて、有名な作詞家の先生にも、プライベートでお会いする事がありましたが、結局
自分の作詞を見ていただこうとしたら、寸前で、同じ詩の一部が先に
他の曲に使われている事が分かり、断念しました、つまり私は、その夢より生活を優先としました、結婚もして子供もいたので、その会社
で働く事を選びました。
人それぞれに何かを犠牲にして夢を掴まなければならない事があります、どちらかを採るかは、その人の決断だと思います、その点先生の
御判断は立派だと思います。
さて、先生の「水色の思い出」を読ませていただきました、中でも「水色の家の魔女」が良かったです、まるで映画を見ているようでした、少年の様に胸がわくわくしました、素直に面白いなあと思いました、他の作品で加筆修正されたところは、以前の表現も良かったですが、今度は、より自然な流れになった様に感じました、先生かなり御苦労されましたね、生意気な事を言ってすみません。
これからもお体に気を付けてください、あまり自分を厳しく追い込まない様にされる良いと思います、色々お忙しいと思いますが、ちょっとの合間にでも生き抜きをしてバーボンでも飲んで体の力を抜くと良いです、私はあちらこちらにがたが来て、無意識に体に力が入ってしまい、意識して力を抜くのに一苦労しています、先生もこうならない
様にお気を付けて頑張ってください。
より生活の為