黄色い花だということさえ知っていれば幸せ

僕の住んでいる地域では、今が桜の花の盛りです。天候が悪いせいもあって、ここ数日、外出しても桜をあまり目にしていませんが、雨の下でしっとりと咲いているであろう姿を心に思うだけでも、楽しいものです。

屋内に籠っている内に、花の季節が終わってしまっても、それはそれで趣深いとか何とか、徒然草にも書いてあります(137段)。目の前に咲いていなくても、思いを馳せれば、そこに花はある。気取っているのではなく、我ながら老人のような心境で、わしには見える、そう思います。

桜の季節に読みたくなる本など、枚挙にいとまがありませんが、鷺沢萠さんの「ケナリも花、サクラも花」はいかがですか。著者の韓国留学体験記である本書の表題作(第7章)、ここに出てくるケナリ(개나리:レンギョウ)の花のエピソードが好きです。

ケナリも花、サクラも花 (新潮文庫)
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レンギョウ。桜と同じ春の花で、黄色い花だというのは、この本を読んだ時に知りました。それ以上のことは、いまだ何も知りません。どこかで目にしているかもしれないけれど、これがその花だと識別することはできません。それっぽい黄色い花を見る度に、もしかしてこれがケナリかな? と無闇に胸おどらせる。何年も、そこ止まりの状態です。

検索すれば、どんな花かはすぐに分かるでしょうが、検索しません。きっと、きれいな黄色い花の画像がたくさんヒットするでしょうが、それを見てしまうと、ケナリという花に対する僕なりの思い入れが、中途半端に完結してしまう気がするからです。

どんな形でもいいから、実際に、出会いたい。どこかの公園で樹名札を見て、あ、これがケナリか、とひとり心でつぶやく日が来るかもしれない。だれかと歩いていて、ほら、レンギョウが咲いてるよ、と教えてもらう日が来るかもしれない。

消極的な感傷に浸りながら、そんな日は結局のところ来ないとして、それもまた、よいではないですか。月や花は目で見るもんじゃない、兼好法師はそう仰っていますから、レンギョウの花は検索するもんじゃない、はばかりながら、僕もそう言わせてもらいます。

徒然草も読んでみますか。佐藤春夫訳でどうぞ(対訳ではないのでご注意を)。

現代語訳・徒然草 (河出文庫)
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それでは。

 

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