#59 武者小路実篤 『お目出たき人』 ~道学者のヴァーチャル恋愛~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第59回目。コロナの影響も含め、他人との直接的な交流が減っている昨今、メールやSNSの文面などの限られた情報から、相手の状況や気持ちを汲み取ろうとするスタンスが役に立つ反面、もうウンザリだと思う自分もいます。こちらの想像が空回りしているだけで、実は相手に何にも伝わっていなかったと痛感することがあります。そんな時、この小説の主人公を思い出します。

 


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#59 武者小路実篤『お目出たき人』 ~道学者のヴァーチャル恋愛~

「片思い」をテーマに扱った小説は、古今東西、数え切れないほどあると思いますが、今回ご紹介する小説『お目出たき人』は、まあまあ突き抜けた部類に入るのではないでしょうか。片思いの相手と一度も話したことがないまま、現実の交流をことごとくすっとばして、ただただ恋慕の情だけを数年間にわたって募らせた青年の物語。相手の気持ちを直接確かめる機会をまったく持たず、想像力だけを徹底的にひとり歩きさせると、どうなるのか。当然の結果と思う一方で、思わず自身を見つめ直してしまう一冊です。

出典:武者小路実篤 『お目出たき人』 新潮文庫,令和2年第5刷

 

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主人公は、「女に餓えている」26歳の青年です。7年前にある女性に片思いをしていましたが、その女性が去った後、彼はずっと「若い美しい女と話した事すらない」まま、日々を悶々として過ごしていました(p.12)。

ここ数年間、彼の心の寂しさを埋めていたのは、以前近所に住んでいたという女学生でした。彼女が一里ほど離れたところに引っ越してからも、彼は鶴のことを一途に想い続け、彼女と結婚することを切に望んでいました。

そんな女性と、この数年間、どんなドラマが繰り広げられてきたのかと言えば、なんにもありません。そもそも前述の通り、彼は7年ほど、若い美しい(彼の恋愛対象となりうる)女性とは、会話をしたことがないのです。

鶴とは一度も話をしたこともなければ、ここ1年ほど、顔すら見ていません。つまり、少なくとも鶴からすれば、彼女と結婚したがっているこの男は、元近所の住人として顔くらいは何となく覚えているかもしれない程度の、ほぼ赤の他人なのです。にもかかわらず彼は、

鶴程自分の妻に向く人はないように思われて来た。(・・・)かくて自分の憧れている理想の妻として鶴は自分の目に映ずるようになった。女に餓えている自分はここに対象を得た、その後益々鶴を愛するようになり、恋するようになった。そうして自分の妻になることが鶴にとっても幸福のように思えて来た。

(p.13-14)

そう信じて疑いません。彼は自分の両親を説得し、鶴の家族との間に仲介役を立て彼女に求婚します。断られてしまった後も、彼は彼女の学校帰りを見計らって、時おり彼女の顔をこっそりと見に出かけたりしていました。

「女に餓えている」彼が、傷心を癒すためにとりあえず身近の鶴を選んだのであれば、要するに相手は誰でも良かったのだろう、と読んでいて思うのですが、彼の鶴への思いは、プラトニックであるが故に、妄想だけがどんどん膨らみ、先走り、空転し、けれどもその一途さだけは絶対的な真実となっていったのです。

一日として鶴のことを考えない日はなかった。自分には鶴と一緒になって始めて全人間たることが出来るように思えた。

(p.69)

上記の「全人間」に、「ホールのにんげん」と無理やりルビが振ってあるのが笑えるのですが、彼にとっては笑いごとではありません。妄想の中では、鶴はすでに彼の妻であることが運命づけられています。彼女と夫婦になることは「自然の命令」であり、「深い神秘な黙示がある」、そんな次元でどっぷり信じ込んでいるのです(p.84)。

まだ物語を読んでいない人からすれば、何だか危なっかしい作中人物にしか映らないと思うのですが、それでも、憎めない部分もあるのです。独りよがりである反面、自分の欲望だけを押し通して、それが叶わない時に逆上して相手を攻撃したりするような了見の狭い人間というわけでもないのです。

鶴を恋している人があるとする。(・・・)そうしてもし鶴がその人に心があって、そうして親の命令で自分の処へくるならば鶴にも気の毒である。(・・・)自分は自分の快楽の為に他人を不幸にしようとは思わない。自分の恋の為に他人の恋を犠牲にしたくはない。まして自分の恋している女の不幸を喜ばない。

(p.36)

臆病ではあるけれど、根はやさしいのでしょうね。直接的な行動に出られず、あれこれ妄想に始終してしまうのも、事を荒立てたくない、他人も自分も傷つけたくないという本心の裏返しだとすれば、この人物に親しみを抱くこともできそうです。これじゃあ一生カノジョできんぞ、と心配しつつ、その稀有なストイシズムが、彼の望み通りに誰をも傷つけることなく報われることを密かに願いたくもなります。

もちろん彼は恋愛下手ではあるでしょうが、ある種の哲学者(自称「道学者」)でもあります。自分の恋の行方がどうなるのか、最初から予期していながら、敢えて茨の道を選んだと言えなくもない節があります。

空想は現実によって破られるかも知れない。しかし新らしい空想はヒドラの足のように切られても切られても生ずるものだ。これがよく人間にとって唯一の隠遁場になる。

(p.67)

恋に恋するような片思いに身を置くことで、現実の恋愛の喜びや痛みからは逃げ続けることになるものの、空想によってのみ得られる救いも、確かにあるような気がします。そしてその空想力は、彼自身をなぐさめるという消極的な結果にとどまらず、いつか、彼以外の誰かに対する「やさしさ」や「共感力」としても発揮される日が来るのではないかとも思います。

けれども、何だかんだで、直接いくべき時はいかなければなりません。作中でも、彼に貴重なアドバイスをする友人がいます。自他ともに道楽者を認める彼の言うことには、

君が女に恋されようと思ったら、プラトニックな考をすてなければいけない。何んでも露骨にゆくに限る、そうして気に入るようなことをどんどん云えばいいのだ。

(p.51)

そうだよなあと思いつつ、どっちが正解ということもないのだと思います。空想力と、実際的な行動力、この二刀流で、愛する人に幸せになっていただくことが大切と心得ます。

妄想の世界に自己を貫き通した主人公の恋の行方がどうなるのか、彼の恋愛観に共感する人も、そうでない人も、ひとまず最後まで見届けてみてはいかがでしょうか。きっと、現代の恋愛や人間関係にも通じるものがあると思います。

武者小路実篤『お目出たき人』を、是非とも読んでみてください。

それでは。

 

 

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