#17 中勘助 『銀の匙』 ~こくこく読む~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

17回目。子供の頃、大切にしていた「あの気持ち」。それが何だったのかを、『銀の匙』は教えてくれます。大人として生きる日々に疲れたすべての人たちに読んでほしい、永遠の名作です。

銀の匙 (角川文庫)
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#17 中勘助 『銀の匙』 ~こくこく読む~

本作品について、夏目漱石は「普通の小説としては事件がないから俗物は褒めない」けれど「私は大好きです」と評価しました(下記出典文献の年譜より)。実際に読んでみて、まさにその通りだと思いました。読者をあっと驚かせる技巧的なストーリー展開はいらない。ただひたすら、一つ一つの平凡な事物を、子供のような純心と愛情でもって描き切る――それだけで小説は絶対的に面白いということを、中勘助『銀の匙』は証明しています。

出典:中勘助 『銀の匙』 角川文庫, 2015年改版6版

 

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身体の弱い母親の代わりに未亡人の「伯母さん」にかわいがられて育った主人公の「私」。とにかく引っ込み思案で、感受性が人一倍豊かなために、ほかの腕白な男の子たちとは仲良くなれず、伯母さんや近所の女の子とだけひっそりと遊ぶ子供でした。

内気でナイーヴな男の子の目線に立った、何気ない日常の思い出の数々が、短い章ごとに、明治時代のノスタルジックな雰囲気と相まって、やさしさと温かさと繊細さをもって語られてゆきます。本当に、美しい描写なんですよね。

たとえば僕が大好きなのは、桃の節句に、隣の家の「お蕙(けい)ちゃん」という女の子と二人で白酒をいただく、実にほんわかとしたシーンです↓

二人がひな段のまえへちょこなんとすわって仲よく豆煎などたべてると、伯母さんは(……)とろとろの白酒をついでくれる。白酒が銚子の口から棒みたいにたれてむっくりと盛りあがるのをこくこくと前歯でかみながらめだかみたいに鼻をならべてのむ。

(p. 122)

この情景が目に浮かぶようで、もう可愛らしくてしょうがない(笑)。二人の子供が「ちょこなん」と座って、白酒を「こくこく」飲む。五感に直接うったえかける描写がすばらしいです。

思えば僕も子供の頃、プラモデルとか昆虫とかミニ四駆とか、当時ほかの男の子が夢中になっていたものには全く興味がなかったです。むしろ、ひな祭りに女の子と一緒にのんびりお家でお菓子を食べたりして遊ぶなんて、最高に楽しいと思いますもの。

けれども「男子はたくましくあれ」という考え方は、昔も今も根強くありますよね。主人公の「私」もまた、男臭くて現実主義者の「兄」からは理不尽な反感を食うのです。彼は軟弱な弟のやることなすことすべて気に入らず、夜空の星を「お星様」とよぶことをさえ叱りつけます。

その時、「私」が兄に対して心に思った内容が僕には衝撃的だったのですが……ここは敢えて引用はしません。是非とも皆さんで作品を手に取って読んでみてください(前掲の角川文庫版だとp. 140、後篇の四章の最後です)。

大人の石頭に凝り固まったものの見方を子供ながらに押し付けられ、それに当てはまらない自分自身をわけも分からず寂しく思う……遠いあの頃のもやもやとした気持ちを、『銀の匙』は、物語あるいは言葉という形にして、僕たち読者にはっきりと示してくれた。そんな気がします。

私は常にかような子供らしい驚嘆をもって自分の周囲をながめたいと思う。

(p. 152)

そうして生まれたこの物語が、時代を越えて僕たち現代の大人に語り継がれてゆくことを、しみじみと嬉しく思います。

是非ともご一読ください。それでは、今日はこの辺で。

 


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#16 川端康成 『古都』 ~きれいな町、きれいな人たち~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

16回目は、川端康成の長編『古都』をご紹介します。

古都 (新潮文庫)
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#16 川端康成 『古都』 ~きれいな町、きれいな人たち~

眠り薬を多用していた時期に「うつつないありさま(作者あとがきより)で書いたという『古都』 。それでも、本作品が他と比べて極端に異彩を放っているという印象は、個人的にはあまりありません。恐ろしいほどのきめの細かさと、奥ゆかしい色気に満ちた文章。本作品は、そんな川端文学の魅力がバランスよく配合され、むしろ安心して味わえる一品、そう言っていいのではないでしょうか。

出典:川端康成 『古都』 新潮文庫, 平成12年第82刷

 

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春から冬にかけて一年の季節の移ろいを背景に、舞台である京都の文化や風物詩をふんだんに盛り込んだ本作品は、京都という地を知るための手引書としても広く読まれていることでしょう。

主人公の千重子は、呉服問屋の娘。彼女は実は捨子で、生き別れた双子の姉妹がいます。二十歳の美しい女性に成長した二人は、生まれて初めて、その夏の祇園祭の御旅所(祭のときに神社の神を迎える場所)で、運命に導かれるように出会うのです。

さて、魅力的な舞台や人物もさることながら、今回この作品を読み返していて僕が強く意識したのは、京都という町の有様からうかがえる、人間の生き方、とでも言うべきものでした。わりと序盤に、こんな描写があります↓

木のきれいなのは町のきれいさ、町の掃除のゆきとどいているせいだろう。祇園などでも、奥の小路にはいると、薄暗く古びた小さい家がならんでいるが、路はよごれていない。

(p. 52)

掃除好きの方だと、この描写にはビビっと反応するのではないでしょうか。古いまち京都が、今も変わらず美しくあることの、何気ない秘訣――そこに住む人々の地道な積み重ねを、しみじみと感じます。

その心は、彼らの仕事への姿勢にも見出すことができます。登場人物のひとりで、西陣織の若き職人の言葉です↓

「わたしかて、孫子の代までしめやはる、帯を織らしてもろてるとは、思わしまへんね。今では……。一年でも、しゃんとしめ心地のええように、織らしてもろてるのどす。」

(P. 71)

伝統工芸に従事し、その歴史の重みを背負う計り知れないプレッシャーの中で、目の前の仕事にひたむきに取り組む謙虚な姿勢が感じられます。かっこええなと思います。こういう職人さんの手から、結果として、孫子の代まで永く愛される逸品が生まれるのでしょうから。

ということで、かなりピンポイントな紹介文になってしまいました。僕にとって、ある意味では「人生の教科書」とも言えるかもしれない、川端先生の『古都』でした。

取りあえず、これから趣味の日課の掃除をしますので、今回はこれにて失礼いたします。

 


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