#30 宮沢賢治 『猫の事務所』 ~みんな、かわいそう~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

30回目。先日、藤城清治さんの影絵展を見てきました。その影響で宮沢賢治の童話を読み返したくなって、ブックオフで新潮文庫版の「銀河鉄道の夜」を購入。表題作や「セロ弾きのゴーシュ」など、懐かしい作品が多数収録されていたのですが、その中に一編、隠れた名作を再発見したのでご紹介します。

猫の事務所
新編 銀河鉄道の夜(新潮文庫)
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#30 宮沢賢治 『猫の事務所』 ~みんな、かわいそう~

15年くらい前に読んだきり、すっかり忘れ果てていた童話「猫の事務所」。猫好きの人ならタイトルを見ただけですぐにページを開いてみたくなるのではないでしょうか。

でもこれは、かわいい猫ちゃんたちのほのぼのとした癒しの物語ではありません。作中の猫たちが演じているのは、いつの世も無くなることのない、いじめや差別を繰り返す僕たち人間の、ありのままの姿なのです。

出典:宮沢賢治 『新編 銀河鉄道の夜』 新潮文庫、平成14年第29刷より「猫の事務所」

 

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主人公の「かま猫」は、猫の第六事務所で働く書記。彼は事務長の黒猫の下で働く4名の書記(白猫、虎猫、三毛猫、かま猫)の中ではいちばん下っ端で、他の3匹の同僚たちから職場でいじめを受けていました。

かま猫がいじめられる理由の一つは、彼の外見です。生まれつき毛皮が薄く寒さに弱いため「かまど」の中で眠らなくてはならず、全身が煤まみれで汚れているのです。

「かま猫」という呼び名自体、彼の身体的ハンディキャップや容姿への差別的な表現であり、彼が本来は何猫なのか、いっさいの説明はありません。

かま猫はあたりまえの猫になろうと何べん窓の外にねて見ましたが、どうしても夜中に寒くてくしゃみが出てたまらないので、やっぱり仕方なく竈のなかに入るのでした。(・・・)やっぱり僕が悪いんだ、仕方ないなあと、かま猫は考えて、なみだをまん円な眼一杯にためました。

(p. 132)

自分が他とちがう存在であることを肯定できない社会で、それでもかま猫は仕事を辞めず、同じかま猫仲間たちの期待も背負い、懸命に生きています。

彼は実際に4名の書記の中ではいちばん仕事ができる猫で、事務長の黒猫だけは、かま猫のことを有能な部下としてかわいがっていました。

そのことが、他の3匹の先輩たちの妬みを買うのは明らかです(人間の社会でもよくありますもんね)。先輩たちはかま猫のいないところで彼の悪口を言って上司の黒猫をそそのかし、とうとう職場の全員がかま猫の敵となってしまい、彼はいじめの集中砲火を受けるのです。

猫なんていうものは、賢いようでばかなものです。

(p. 132)

だからこんな低レベルないじめが起こるのだと、童話を読む僕たち人間は、はたして自分たちとは無関係な事のように一笑に付すことができるでしょうか。

いじめのエスカレートしてゆく職場はある結末を迎え、猫の事務所そのものが廃止になってしまうのですが、この終わり方をどう考えるかが物語を読み解くうえで重要なポイントになるので、詳しくは是非とも作品を読んでいただければと思います。

この作品が末永く人々に読まれることを考えたとき、正直複雑な気持ちになります。物語に描かれる出来事が、未来永劫、僕たち人間にとっての未解決の問題として読み継がれていくならば、それはさすがに情けないことですからね。

でも、まずは読んでみてください――猫が好きな人も、人間が好きな人も。

それでは。

 


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#29 中島敦 『山月記』 ~一流の代償~

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29回目。芸術に限らずあらゆる分野で「一流の作」を残すことの、ある種の極致が描かれている。そんな風に思わせられる作品です。

李陵・山月記 (新潮文庫)
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#29 中島敦 『山月記』 ~一流の代償~

中島敦(1909~1942)の代表作『山月記』は、「人虎伝」という中国の古典を下敷きに創作された短編小説です。現代の小説と比べて難しい漢字や熟語が多くて読みづらいかもしれませんが、簡潔、強烈なメッセージ性を持つ名作です。

原典のタイトル通り人が虎になるという話で、虎の姿とその獰猛性が、人間の内面で肥大した「自尊心」や「羞恥心」の表象として描かれています。そのような感情とどう向き合えばいいのかという疑問をふまえて、ご紹介してみたいと思います。

出典:中島敦 『李陵・山月記』 新潮文庫、平成20年第74刷

 

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若きエリート官吏の主人公・李徴は、詩人になる夢を叶えるため一度は仕事を辞めたものの、名は売れず生活は苦しくなり再就職。その時はもう、以前の同僚たちは彼よりも遥かに出世していました。

夢破れ、かつて自分が見下していた人間のもとで働かなくてはならない屈辱に、エリートとしての李徴の自尊心は深く傷つきました。彼は発狂し、その姿は「人喰虎」へと変貌してしまったのです。

虎となった李徴はかつての友人と出会い、草むら越しに己の思いを語ります。

自分は元来詩人として名を成す積りでいた。(・・・)曾て作るところの詩数百篇、(・・・)自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

(p. 13-14)

猛獣に成り果てた今でも、李徴は高名な詩人になる夢を諦めきれず、自分の作品を友人に口述筆記させるのです。その執念はまさに獲物を執拗に狙う虎の姿勢に重なります。しかし、李徴の詩について友人は、一流の作として今一歩及ばないと感じるのです。

おそらくは李徴自身、そう感じていたのでしょう。今度は自嘲気味に本心をさらけ出し、即興で自分の気持ちをありのまま詩にすると、それは聞く人々の心に「粛然として」響いたのです(p. 15)。

恥も外聞もかなぐり捨てた瞬間に、李徴は一流の詩人になれた、と解釈できるわけですが、彼がそこにたどり着くまでには、やはり凡庸なプライドや羞恥心を自分の内部に増幅させる過程を避けて通ることはできなかったと思うのです。

誰かに認めてほしい、有名になりたい、そういった欲望を抱き続けるからこそ見えてくる世界がある。それが唯一の道ではないにしても、一流の仕事を完成させるために人は虎になってしまうこともあるのだとしたら、その代償の大きさはいかばかりでしょう。

この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。(・・・)天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。

(p. 17)

李徴は、虎になった自分がふと口ずさんだ即興詩が彼の生涯の最高傑作であることに気付いていたのでしょうか。もしそうだとしたら、この台詞は、さらなる悲しみを重ねて友人の胸を打ったのだろうと思うのです。

今回はこれまでにします。中島敦『山月記』、ぜひとも読んでみてください。

ではでは。

 


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