映画版『田園交響楽』もおすすめです。

前回ご紹介したアンドレ・ジッドの小説『田園交響楽 (La Symphonie Pastorale)』は、1946年にジャン・ドラノワ監督により映画化されています。ちょうどいい機会なので見てみました。

雪に覆われた山村の風景は、原作で読んだイメージとぴったりでした。モノクロ映像で見る雪景色って、何だか不思議ですね。あんまり冷たさを感じさせなくて。

主要登場人物(牧師とその妻、息子ジャック、ジャックのフィアンセ、そして盲目の少女ジェルトリュード)の男女の五角関係が生みだす悶々とした心理描写は、原作よりもずっと生々しく描かれていました。

(そういえばジャックのフィアンセって、原作にも出てきましたっけ? すみません忘れました)

原作ではわりと駆け足で展開するクライマックスの場面などは、映画の方がより詳しく、また劇的に描かれていて、これはこれで味わい深かったです。

他の作品でもそうなのかもしれませんが、やっぱり原作→映画の順で見るのがいいと思います。よかったら見てみてくださいね。

クラシック映画は一時期、寝る間を惜しんで毎晩のように見ていたこともあったのですが、これを機にマイブームが再燃しそうです。これから『黒いオルフェ』を見ようと思いますので、今日はこれにて失礼します。

 

やっぱり似ている

おすすめ文学#10でご紹介したバルザックの『ゴリオ爺さん』について、書ききれなかったことをひとつ。

この記事を書く前に、2つのキーワード「ゴリオ爺さん」と「めぞん一刻」でグーグル検索してみました。すると件数は少ないながら、ヒットしました。やっぱり同じこと考える人がいるなと思い、ちょっと嬉しかったです。

めぞん一刻〔新装版〕(1) (ビッグコミックス)
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みなさん指摘されているように、この2作、共通点が多いのです。

どちらも舞台がおんぼろ安アパートで、そこで暮らす住人たちの人生が様々に絡み合い、何よりアパートの管理人が未亡人という設定に、ピンときた方も多かったのだと思います。

ただ、設定が似ているというだけで、「ゴリオ爺さん」の下宿屋の女主人ヴォケー夫人と、「めぞん一刻」の可憐な音無響子さんでは、趣はずいぶん異なります。バルザックが作品冒頭で描くヴォケー夫人像の酷いこと…

「彼女のぼってりと脂ぎった老けた顔、(・・・)教会の鼠みたいにまるまると肥った身体、はちきれそうにゆらゆら揺れる胸もとなどは、不幸がにじみ出、打算がもぐりこんでいるこの部屋とみごとに調和しており(・・・)」

(平岡篤頼訳 『ゴリオ爺さん』 新潮文庫、平成18年34刷、p. 15)

もう十分ですね。管理人の女性キャラの扱いに関しては、共通項を見つけるのはちょっと難しいようです。

何はともあれ……「ゴリオ爺さん」と「めぞん一刻」、国も時代も違えど、どちらも古典名作として永く愛されてゆくであろうこの2作品、ぜひとも読み比べてみてはいかがでしょうか。